2006年01月
2006年01月17日
最近、ハイクリームの形が変わりました。クリームは、従来通りの自家製カスタードクリームです。ふんわりした菓子パンの生地に、そのクリームを包み込み、アーモンドスライスをのっけて、焼いています。
オギロパンのクリームパンは、2つあって、もう一つは「クリームパン」です。
こちらは、普通のクリームパンで、表面にはなにものっかっていません。
これが、ジャムパンなら、黒ゴマが乗っています。
これが、ケシつぶアンパンなら、切れ込みが入っています。
さて、「ハイクリーム」は、その名の通り、ハイ(high)なクリームパンです。気分が、でなくて、材料が、です。
ノーマルクリームと、ハイクリーム、ですね。
カローラとセルシオの関係と、同じですね。
そういうことです。
オギロパンのクリームパンは、2つあって、もう一つは「クリームパン」です。
こちらは、普通のクリームパンで、表面にはなにものっかっていません。
これが、ジャムパンなら、黒ゴマが乗っています。
これが、ケシつぶアンパンなら、切れ込みが入っています。
さて、「ハイクリーム」は、その名の通り、ハイ(high)なクリームパンです。気分が、でなくて、材料が、です。
ノーマルクリームと、ハイクリーム、ですね。
カローラとセルシオの関係と、同じですね。
そういうことです。
2006年01月15日
三原のお好み焼き屋さんで「モダン焼き」といえば、「お好み焼き+そばorうどん」である。
お好み焼き自体は、生地、キャベツ、ソースのトリニティー。それが、基本。
注文のとしては、
「おばちゃーん。肉たまモダン、1つー」
これで、通常のお好み焼き、肉たまそばが出てくる。
さて、その「モダン焼き」だが。
三原は、関西風と広島風のお好み焼き文化圏の狭間にある地域だと思われ、本来「モダン焼き」とは、関西風の呼び方である。関西風では、生地にそばをはさむ方式で焼くお好み焼きを「モダン焼き」と称するが、それが、三原に入ったときに、「そばをいれたお好み焼きは、モダン焼き」というように認知され、三原で広まっていったのではないだろうか。
私も、最近まで、「お好み焼きとは、モダン焼きだ。」と思っていた。もちろん、そばが入っている(うどんもすきだ)。モダン焼きに豚たま、といえば、満足する結果が得られると思っていた。
しかし、福山から妻が嫁いできて、それがどうやら「三原ローカル」であることが、わかった。
うちの妻と、私のオーダーの方法が、全く違う上に、店ごとのローカルルールもあり、オーダーの度に頭を抱える事になったからである。
モダンといえば、そば入り。これが、私の常識。
モダンって、なんやねん。これが、妻の常識。
モダンに肉たま。これでいい。と、思うのが、私の常識。
それを「そば肉たま」と言わなければ落ち着かないのが、妻の常識。
で、結局「モダン焼き」って、なんやねん。
モダン焼きは「お好み焼き+そばorうどん」でしょう。三原ではね。
モダン焼き表記のメニューを置くお好み焼き屋さんは、三原に多い。
それだけ、「モダン焼き」という表現が、一般化している証拠だとおもう。
最近、お好み焼きばっかりだなぁ。
そんなに、好きじゃないんだけどなぁ。
お好み焼き自体は、生地、キャベツ、ソースのトリニティー。それが、基本。
注文のとしては、
「おばちゃーん。肉たまモダン、1つー」
これで、通常のお好み焼き、肉たまそばが出てくる。
さて、その「モダン焼き」だが。
三原は、関西風と広島風のお好み焼き文化圏の狭間にある地域だと思われ、本来「モダン焼き」とは、関西風の呼び方である。関西風では、生地にそばをはさむ方式で焼くお好み焼きを「モダン焼き」と称するが、それが、三原に入ったときに、「そばをいれたお好み焼きは、モダン焼き」というように認知され、三原で広まっていったのではないだろうか。
私も、最近まで、「お好み焼きとは、モダン焼きだ。」と思っていた。もちろん、そばが入っている(うどんもすきだ)。モダン焼きに豚たま、といえば、満足する結果が得られると思っていた。
しかし、福山から妻が嫁いできて、それがどうやら「三原ローカル」であることが、わかった。
うちの妻と、私のオーダーの方法が、全く違う上に、店ごとのローカルルールもあり、オーダーの度に頭を抱える事になったからである。
モダンといえば、そば入り。これが、私の常識。
モダンって、なんやねん。これが、妻の常識。
モダンに肉たま。これでいい。と、思うのが、私の常識。
それを「そば肉たま」と言わなければ落ち着かないのが、妻の常識。
で、結局「モダン焼き」って、なんやねん。
モダン焼きは「お好み焼き+そばorうどん」でしょう。三原ではね。
モダン焼き表記のメニューを置くお好み焼き屋さんは、三原に多い。
それだけ、「モダン焼き」という表現が、一般化している証拠だとおもう。
最近、お好み焼きばっかりだなぁ。
そんなに、好きじゃないんだけどなぁ。
2006年01月12日
宮浦に、最近できたとあるお好み焼き屋さんに行ってみた。
雑誌の福山ウィンクの情報よると、「オリジナルソースをつかった、三原焼き」とのことで、そこだけを読むと、宮浦の「さっちゃん」のような感じなのかなぁ、と、思う。
オリジナルソース。これは曲者で、ソースはなかなか小さい規模で作る事は難しい。オリジナルブレンドである場合が多い。駅前の「てっちゃん」のソースは、中間醸造さんのテングソースをベースに、アレンジを加えている。
さて、オリジナルソースとは、いかなるものか?
そして、焼き方はどうなのだろうか?
そのあたりが、私の好奇心のそそられるところだった。
水曜日が定休日と言う事なので、木曜日の夜に訪問してみた。
店内は、白が基調の、お好み焼き屋さんというより、おしゃれな居酒屋のようなかんじ。厨房には、おじさまが一人いらっしゃって、鉄板を仕切っている。そして、サービスとして奥様のような方と、娘さん二人で切り盛りされているような感じだ。
座敷は2テーブル。カウンターが6〜7席。4人がけテープル席が2つ。ある程度の規模は確保されている。
さて、メニューを眺めてみる。
お好み焼き(卵入り)が400円。
モダン焼き・うどんorそば(卵入り)が500円。
あと、トッピングが、肉、イカ、のしいか、モツ、ネギ、海老、チーズ、餅などなど。100円プラス
鉄板焼メニューもあり、ちょっと飲める感じ。
基本的だと思われる、モダン焼きのそばの肉で、いくことにする。
残念ながら、テーブル席に座った為、まったく焼いているところを見る事が出来なかった。
でも、ソースとマヨネーズは、事前に席に届いていた。
こっそり、ソースを味見してみた。
うーん。テングがベースで、それにオタフクの焼そばソースが混ざっているような感じ。もしかすると、オタフクのお好みソースも、隠し味に入っているかも。絶妙なブレンド。
そうこうするうち、鉄板にて、お好み焼きが供された。
当然ながら、見た目は、まったくもって、お好み焼き。
しかし、こてをさしていくと、違和感を感じる。生地の感触が、あまりにも力が弱い。強すぎるのも考え物だが、弱すぎる。まるで、焼そばに卵がぺたりと乗っていて、お好みのカタチをしているような・・・。
食べていくと、その違和感が、確信に変わる。これは、お好み焼きではなくて、焼そばの卵のせ焼きである。お好み焼きとしての一体感が、希薄だ。
キャベツはきちんと火が通っており、おいしいのだが、お好み焼きとしての存在感を醸し出す、名傍役というわけではない。
お好み焼きは、お好み焼きとして、一体感がある食べ物であることが、お好み焼きの存在意義だとおもうのだが、これでは、バラバラの印象しか持つ事が出来ず、お好み焼きとしての評価は出せない。
主因は、生地の少なさにあるのではないだろうか。それとも、この生地の少なさを、「三原焼き」の特徴とするのだろうか。
しかも、広島のお好み焼きにはあるまじき存在である「マヨネーズ」まで供されているというのも、いかんともしがたい。マヨネーズは、あると旨いのだが、お好み焼き単体で食べて、それに変化をつける為にマヨネーズの風味を借りるのが正しい広島県人のありかたであるし、マヨネーズなしで、食べる事が、王道である、と、私は勝手に思っている。
一応完食したものの、「お好み焼き」を食べた感は少なく、すこしかたすかしだった。
旨いのだから、まったく評価に値しない訳ではないのだが、お好み焼きのなんたるかは、やはり、お好み焼きとしての一体感だと思うのだ。それが、バラバラになってしまえば、それは、お好み焼きではない。
ちょっとした違いなのだが、私の判断基準はそこなので、今回は、すこし残念だった。
この傾向は、新しいタイプのお好み焼き屋さんに、多く感じる。
これも、お好み焼きの新時代なのだろうか。
今年は、古きよき、お好み焼きを探す1年になりそうな気がする。
雑誌の福山ウィンクの情報よると、「オリジナルソースをつかった、三原焼き」とのことで、そこだけを読むと、宮浦の「さっちゃん」のような感じなのかなぁ、と、思う。
オリジナルソース。これは曲者で、ソースはなかなか小さい規模で作る事は難しい。オリジナルブレンドである場合が多い。駅前の「てっちゃん」のソースは、中間醸造さんのテングソースをベースに、アレンジを加えている。
さて、オリジナルソースとは、いかなるものか?
そして、焼き方はどうなのだろうか?
そのあたりが、私の好奇心のそそられるところだった。
水曜日が定休日と言う事なので、木曜日の夜に訪問してみた。
店内は、白が基調の、お好み焼き屋さんというより、おしゃれな居酒屋のようなかんじ。厨房には、おじさまが一人いらっしゃって、鉄板を仕切っている。そして、サービスとして奥様のような方と、娘さん二人で切り盛りされているような感じだ。
座敷は2テーブル。カウンターが6〜7席。4人がけテープル席が2つ。ある程度の規模は確保されている。
さて、メニューを眺めてみる。
お好み焼き(卵入り)が400円。
モダン焼き・うどんorそば(卵入り)が500円。
あと、トッピングが、肉、イカ、のしいか、モツ、ネギ、海老、チーズ、餅などなど。100円プラス
鉄板焼メニューもあり、ちょっと飲める感じ。
基本的だと思われる、モダン焼きのそばの肉で、いくことにする。
残念ながら、テーブル席に座った為、まったく焼いているところを見る事が出来なかった。
でも、ソースとマヨネーズは、事前に席に届いていた。
こっそり、ソースを味見してみた。
うーん。テングがベースで、それにオタフクの焼そばソースが混ざっているような感じ。もしかすると、オタフクのお好みソースも、隠し味に入っているかも。絶妙なブレンド。
そうこうするうち、鉄板にて、お好み焼きが供された。
当然ながら、見た目は、まったくもって、お好み焼き。
しかし、こてをさしていくと、違和感を感じる。生地の感触が、あまりにも力が弱い。強すぎるのも考え物だが、弱すぎる。まるで、焼そばに卵がぺたりと乗っていて、お好みのカタチをしているような・・・。
食べていくと、その違和感が、確信に変わる。これは、お好み焼きではなくて、焼そばの卵のせ焼きである。お好み焼きとしての一体感が、希薄だ。
キャベツはきちんと火が通っており、おいしいのだが、お好み焼きとしての存在感を醸し出す、名傍役というわけではない。
お好み焼きは、お好み焼きとして、一体感がある食べ物であることが、お好み焼きの存在意義だとおもうのだが、これでは、バラバラの印象しか持つ事が出来ず、お好み焼きとしての評価は出せない。
主因は、生地の少なさにあるのではないだろうか。それとも、この生地の少なさを、「三原焼き」の特徴とするのだろうか。
しかも、広島のお好み焼きにはあるまじき存在である「マヨネーズ」まで供されているというのも、いかんともしがたい。マヨネーズは、あると旨いのだが、お好み焼き単体で食べて、それに変化をつける為にマヨネーズの風味を借りるのが正しい広島県人のありかたであるし、マヨネーズなしで、食べる事が、王道である、と、私は勝手に思っている。
一応完食したものの、「お好み焼き」を食べた感は少なく、すこしかたすかしだった。
旨いのだから、まったく評価に値しない訳ではないのだが、お好み焼きのなんたるかは、やはり、お好み焼きとしての一体感だと思うのだ。それが、バラバラになってしまえば、それは、お好み焼きではない。
ちょっとした違いなのだが、私の判断基準はそこなので、今回は、すこし残念だった。
この傾向は、新しいタイプのお好み焼き屋さんに、多く感じる。
これも、お好み焼きの新時代なのだろうか。
今年は、古きよき、お好み焼きを探す1年になりそうな気がする。
皆実に「花兆」という、レストランと言うか、御食事処というか、飲食店がある。
一昔前は「みのり」という名前だったと記憶しているのだが、知らない間に「花兆」に屋号が変わっていた。メニューには「みのり定食」というものもあるので、単純に屋号が変わっただけなのかもしれない。
ここに、おもしろいセットメニューがある。
それが「中かそばとオムライス(表記は、メニュー通り)」のセットなのだ。
花兆さんの中華そばは、鶏ガラベースのなつかしい風味のスープに、ほろほろになった赤身のチャーシュー2枚とメンマがたくさん。麺は細くて縮れている。これはこれで、美味しい。
オムライスは、今よくあるような、とろとろ卵がのっかっているタイプではなく、チキンライスをきっちり火の通った卵でくるんでいる。それに、デミグラスソースのような感じの茶色いソースがかかっている。これはこれで、美味しい。若干チキンライスが薄味なのは、好みが分かれるところかもしれない。ソースが足りないと思ったら、追加ができる様子。
その中華そばとのセットになると、やきめしとオムライスのどちらかになる。やきめしは、セットとしては、とても普通なので、ここはオムライスを選択する。
しばらく待つと、お盆に中華そばとオムライスがのっかってやってくる。ラーメン用のコショウもひと缶ついてくる。花兆さんのテーブルの上には、割り箸とつまようじぐらいしかなくて、調味料はひとつもない。だから、コショウも同時に配膳される。
さて、この「中かそばとオムライス(表記は、メニュー通り)」なのだが、それぞれはそれぞれで美味しいのだが、セットとしては、なにがなんだか方向性がよくわからない。相互作用があるか、といえば、全くない。
中華そばをすすったあと、オムライスを食す。オムライスを食したあと、中華そばをすする。これは、まったく別物の風味で、混じりあう事はない。中華そばは中華そば。オムライスはオムライス。主役が二人いる時代劇で、どちらも協調せず、話が進んでいくような感じである。
いつも、「これって、変わったセットだなぁ・・・。」と思いながらも、ついつい注文してしまう自分がいる。たぶん、ここでしか味わえないセットだからなのだろう。そして、かなりボリュームがあり、食後はこれ以上にない満腹感を味わう事ができる。
中華そばも、オムライスも、どっちも食べたい時は、間違いない選択ではあるのだが、中華そばとオムライスを同時に食べたい欲求自体が、間違えているような気がする。
花兆さんの、もうひとつの特徴は、器がよいことかもしれない。妙に味わい深い器で、供される。
このお店は、意外と深い。
そういえば、花兆さんの仕出しって、すごく美味しいんだよなぁ・・・。
一昔前は「みのり」という名前だったと記憶しているのだが、知らない間に「花兆」に屋号が変わっていた。メニューには「みのり定食」というものもあるので、単純に屋号が変わっただけなのかもしれない。
ここに、おもしろいセットメニューがある。
それが「中かそばとオムライス(表記は、メニュー通り)」のセットなのだ。
花兆さんの中華そばは、鶏ガラベースのなつかしい風味のスープに、ほろほろになった赤身のチャーシュー2枚とメンマがたくさん。麺は細くて縮れている。これはこれで、美味しい。
オムライスは、今よくあるような、とろとろ卵がのっかっているタイプではなく、チキンライスをきっちり火の通った卵でくるんでいる。それに、デミグラスソースのような感じの茶色いソースがかかっている。これはこれで、美味しい。若干チキンライスが薄味なのは、好みが分かれるところかもしれない。ソースが足りないと思ったら、追加ができる様子。
その中華そばとのセットになると、やきめしとオムライスのどちらかになる。やきめしは、セットとしては、とても普通なので、ここはオムライスを選択する。
しばらく待つと、お盆に中華そばとオムライスがのっかってやってくる。ラーメン用のコショウもひと缶ついてくる。花兆さんのテーブルの上には、割り箸とつまようじぐらいしかなくて、調味料はひとつもない。だから、コショウも同時に配膳される。
さて、この「中かそばとオムライス(表記は、メニュー通り)」なのだが、それぞれはそれぞれで美味しいのだが、セットとしては、なにがなんだか方向性がよくわからない。相互作用があるか、といえば、全くない。
中華そばをすすったあと、オムライスを食す。オムライスを食したあと、中華そばをすする。これは、まったく別物の風味で、混じりあう事はない。中華そばは中華そば。オムライスはオムライス。主役が二人いる時代劇で、どちらも協調せず、話が進んでいくような感じである。
いつも、「これって、変わったセットだなぁ・・・。」と思いながらも、ついつい注文してしまう自分がいる。たぶん、ここでしか味わえないセットだからなのだろう。そして、かなりボリュームがあり、食後はこれ以上にない満腹感を味わう事ができる。
中華そばも、オムライスも、どっちも食べたい時は、間違いない選択ではあるのだが、中華そばとオムライスを同時に食べたい欲求自体が、間違えているような気がする。
花兆さんの、もうひとつの特徴は、器がよいことかもしれない。妙に味わい深い器で、供される。
このお店は、意外と深い。
そういえば、花兆さんの仕出しって、すごく美味しいんだよなぁ・・・。
2006年01月11日
クーポンマガジンなるものがある。
雑誌にクーポンがついていて、お店にそのクーポンを持っていくと、なんらかのサービスが受けられるというもの。
三原にも、そんな感じのものが、新しく出来た様子。
ハラジン、というらしい。「三原人」の「み」を取り除いて「ハラジン」。
飲食店などの情報を中心に構成された、A4サイズの三つ折りの「チラシ」で、三原市内の店鋪に設置する形式で配付されているらしい。そのチラシを持っていくと、なんらかのサービスがある、とのこと。
さんあいジャーナル、躍進三原ニュース、経済レポート、ウインク、タウン情報福山など、地域を限定した紙媒体に、仲間入りかな?
いろんな情報源があると、便利といえば、便利。
クーポンの経費はさておき、お店の事を知ってもらうという事は、大切な事だと思う。
現代の情報事情を考えると、ネットなどで直接的にお店が情報を提供できる時代なのだから、積極的にお店がアピールすることは、そんなに難しい事ではないような気がする。ちょっとの手間さえかければ、紙媒体よりも、信憑性の高い、速報的な情報提供ができるはず。
とはいえ、飲食業は、「旨いものをつくる事」が得意分野であり、情報提供は別の分野(能力)だし、情報分野が得意な業種に「アウトソーシング」することも、悪い事ではないような・・・。
でも、オギロパンは、このブログですら、自力で自腹なので(なにより、私が文章を書くのが、好きなのだし)、そういった紙媒体に掲載予定はない。
昔から、広告に経費をかけない主義であり、広告代も、価格の一部になるのだから、安くて旨いパンを売るためには、不要だそうです(三代目親分、談)。
薄利多売のオギロパンには、私もそれが正解だと思う。
それがとても「うちらしい」選択だとも思う。
ジャスコ店は、ジャスコのチラシに掲載される場合があるけど、あれは経費的に最初から「組み込まれている」ものなので、利用はさせて頂いているけれど、「うーん。つらいっ。」と思う事もある。ネタ的な面でも、内容的な面でも、商売の哲学的な面でも。
売り出しは、お客様には「わかりやすい」けど、その時だけがんばってもね。
ふつうに、なにげなく、あたりまえに、ちょこっと食べてもらえるような、パン屋がいいなぁ。
雑誌にクーポンがついていて、お店にそのクーポンを持っていくと、なんらかのサービスが受けられるというもの。
三原にも、そんな感じのものが、新しく出来た様子。
ハラジン、というらしい。「三原人」の「み」を取り除いて「ハラジン」。
飲食店などの情報を中心に構成された、A4サイズの三つ折りの「チラシ」で、三原市内の店鋪に設置する形式で配付されているらしい。そのチラシを持っていくと、なんらかのサービスがある、とのこと。
さんあいジャーナル、躍進三原ニュース、経済レポート、ウインク、タウン情報福山など、地域を限定した紙媒体に、仲間入りかな?
いろんな情報源があると、便利といえば、便利。
クーポンの経費はさておき、お店の事を知ってもらうという事は、大切な事だと思う。
現代の情報事情を考えると、ネットなどで直接的にお店が情報を提供できる時代なのだから、積極的にお店がアピールすることは、そんなに難しい事ではないような気がする。ちょっとの手間さえかければ、紙媒体よりも、信憑性の高い、速報的な情報提供ができるはず。
とはいえ、飲食業は、「旨いものをつくる事」が得意分野であり、情報提供は別の分野(能力)だし、情報分野が得意な業種に「アウトソーシング」することも、悪い事ではないような・・・。
でも、オギロパンは、このブログですら、自力で自腹なので(なにより、私が文章を書くのが、好きなのだし)、そういった紙媒体に掲載予定はない。
昔から、広告に経費をかけない主義であり、広告代も、価格の一部になるのだから、安くて旨いパンを売るためには、不要だそうです(三代目親分、談)。
薄利多売のオギロパンには、私もそれが正解だと思う。
それがとても「うちらしい」選択だとも思う。
ジャスコ店は、ジャスコのチラシに掲載される場合があるけど、あれは経費的に最初から「組み込まれている」ものなので、利用はさせて頂いているけれど、「うーん。つらいっ。」と思う事もある。ネタ的な面でも、内容的な面でも、商売の哲学的な面でも。
売り出しは、お客様には「わかりやすい」けど、その時だけがんばってもね。
ふつうに、なにげなく、あたりまえに、ちょこっと食べてもらえるような、パン屋がいいなぁ。
2006年01月07日
JR三原駅から、三原港をつなぐ通りが、マリンロード。そこに立って、北側(JR三原駅方向)を眺めてみた。
駅の裏には、マンションが建っている。その後ろには、昔から変わらぬ姿で三原を見下ろしている「桜山」がある。桜山は、春になったら山全体に桜が咲く訳ではなく、昔は山城が山頂にあり、その城主が「桜山氏」だった、と、聞いた事があるが、定かではない。
マリンロードから眺めると、マンションが鎮座する風景は、「今時の地方都市」と言う感じ。
駅から駅前広場を眺めると、これまた「今時の地方都市」の典型である、活気のない駅前と、消費者金融の看板の洪水。
こんなものだ、と、思ってはみるけれど・・・。
これでいいのか、とも、思う。
昭和の時代に比べ、三原駅の乗降客は半減していると言う。乗降客が少なくなれば、駅前のにぎわいはもちろん低くなる。これも、時代の流れ。
昭和40年代頃は、三原駅から帝人通りにかけて、そして、三原駅からマリンロードを通り三原港にかけては、にぎわっていたと言う。人の流れがあったからこそ、にぎわっていた。
すっかり車社会化が進み、地方都市こそ、歩く事を忘れてしまいそうな人たちが多い。
歩かないのに、歩く必要のある中心街が活性化するというのは、通常の発想では、不可能に思われる。
ふと、ヨーロッパの街を思い出す。
旧市街は、車の乗り入れが制限されて、人々は歩き、町中は活気がある。車は旧市街の外縁の駐車場に置き、町中に入るようになっている。パーク&ライド、である。
で、旧市街のそばに、新市街が広がり、大型ショッピングセンターなども並ぶ。
ヨーロッパでは、旧市街と新市街が共存した都市設計がなされている。
しかし、これも、ヨーロッパの人の伝統を大切にする意識がそうさせるのだから、すっかり日本に移行させると言うのも、無理な話。
だから、古き良きものも、あっさりと取り壊し、無節操な建築物であふれかえる。あふれかえっても、飽和しているから、空きテナントなどが増える。結局、無節操な街になってしまう。
景観がどうのこうの、という話もあるが、景観よりもなにより、街が生きていない。街が効率的でない。暮らしにくい。
街作りを考える事は、いかに住民にとって住みやすい街であるか、という点が大事であり、その為には、具体的に街の姿を描く必要があると思う。そして、その「住民にとって住みやすい街」という姿は、住民がなにを求めるかで、変化していく。
もし、仮に、住民が「なにも求めない」場合は、どうしたら良いのだろうか。
もし、仮に、住民が「自分だけが住みやすい街」を求めた場合、どうしたら良いのだろうか。
そういうときのための、「偉い人」が、三原にも存在しているんと、ちゃうん?
三原にとって(いや、今の日本にとって・・・)、大切なことは、教育だと思う。
学校教育ではなく、人間としての教育。
まずは、家庭教育。親が子を育てる力。一人の人間として。一人の三原人として。
学校を卒業する為の勉強は、大人になってからは、まったく役にたちません。
そんな所に、親が重点を置くのは、子供が大人になってから、一人の人間として生きていくという構想がないからなのだろうか。
夜9時頃の三原の街中、塾帰りの子供達を迎えに、たくさんの車が、道路に停まる。
三原の街が、一番賑やかな瞬間なのかもしれない。
駅の裏には、マンションが建っている。その後ろには、昔から変わらぬ姿で三原を見下ろしている「桜山」がある。桜山は、春になったら山全体に桜が咲く訳ではなく、昔は山城が山頂にあり、その城主が「桜山氏」だった、と、聞いた事があるが、定かではない。
マリンロードから眺めると、マンションが鎮座する風景は、「今時の地方都市」と言う感じ。
駅から駅前広場を眺めると、これまた「今時の地方都市」の典型である、活気のない駅前と、消費者金融の看板の洪水。
こんなものだ、と、思ってはみるけれど・・・。
これでいいのか、とも、思う。
昭和の時代に比べ、三原駅の乗降客は半減していると言う。乗降客が少なくなれば、駅前のにぎわいはもちろん低くなる。これも、時代の流れ。
昭和40年代頃は、三原駅から帝人通りにかけて、そして、三原駅からマリンロードを通り三原港にかけては、にぎわっていたと言う。人の流れがあったからこそ、にぎわっていた。
すっかり車社会化が進み、地方都市こそ、歩く事を忘れてしまいそうな人たちが多い。
歩かないのに、歩く必要のある中心街が活性化するというのは、通常の発想では、不可能に思われる。
ふと、ヨーロッパの街を思い出す。
旧市街は、車の乗り入れが制限されて、人々は歩き、町中は活気がある。車は旧市街の外縁の駐車場に置き、町中に入るようになっている。パーク&ライド、である。
で、旧市街のそばに、新市街が広がり、大型ショッピングセンターなども並ぶ。
ヨーロッパでは、旧市街と新市街が共存した都市設計がなされている。
しかし、これも、ヨーロッパの人の伝統を大切にする意識がそうさせるのだから、すっかり日本に移行させると言うのも、無理な話。
だから、古き良きものも、あっさりと取り壊し、無節操な建築物であふれかえる。あふれかえっても、飽和しているから、空きテナントなどが増える。結局、無節操な街になってしまう。
景観がどうのこうの、という話もあるが、景観よりもなにより、街が生きていない。街が効率的でない。暮らしにくい。
街作りを考える事は、いかに住民にとって住みやすい街であるか、という点が大事であり、その為には、具体的に街の姿を描く必要があると思う。そして、その「住民にとって住みやすい街」という姿は、住民がなにを求めるかで、変化していく。
もし、仮に、住民が「なにも求めない」場合は、どうしたら良いのだろうか。
もし、仮に、住民が「自分だけが住みやすい街」を求めた場合、どうしたら良いのだろうか。
そういうときのための、「偉い人」が、三原にも存在しているんと、ちゃうん?
三原にとって(いや、今の日本にとって・・・)、大切なことは、教育だと思う。
学校教育ではなく、人間としての教育。
まずは、家庭教育。親が子を育てる力。一人の人間として。一人の三原人として。
学校を卒業する為の勉強は、大人になってからは、まったく役にたちません。
そんな所に、親が重点を置くのは、子供が大人になってから、一人の人間として生きていくという構想がないからなのだろうか。
夜9時頃の三原の街中、塾帰りの子供達を迎えに、たくさんの車が、道路に停まる。
三原の街が、一番賑やかな瞬間なのかもしれない。