2006年02月
2006年02月28日
先日、とてもよくして頂いているとある設計士さんから、こんな事を聞いた。
「瀬戸田に、旨いローストチキンがあるよ」
その時は、「そうなんですかー」という感じだったのだが、後から気になって仕方がない。
そういえば、うちには「薄塩のお京さん」が居たではないか。瀬戸田在住者である。
頼んでみれば、買ってきてもらえるかも・・・。なんて、思いながら、お京さんにその話をする事をずっと忘れていた。
ある日、タイミングよく思い出して、そのローストチキンの話をすると、
「瀬戸田では、有名で、時には給食に出る時がある」
「リーズナブルな値段で販売されている」
「瀬戸田の人間で、知らないものは居ないのでは?」
「ハーブ鶏を使用しているらしい」
「手羽とモモしか、ない」
などなど、散文的な情報を頂いた。
これは、食べてみなければ、と、思い、お京さんに、仕事を依頼する事にした。
「是非、そのローストチキンを、ゲットしてきて下さい!」
お京さんは、あっさり、翌日、ゲットしてきた。
「けっこう、常温でも持つんですって。地方発送とかも常温らしいですよ。1週間ぐらいかな?」
なんて言いながら、私にローストチキンを渡した。
仕事を終え、「今晩、何食べよう・・・。あ、ローストチキンもらったよなぁー」と、思い出し、早速、電子レンジにて温めなおしを行い、ビールとともに食すことにした。お京さんは、気を利かせて「手羽&モモ」を1組(本当は1本づつから買えるらしい)買ってきてくれていた。
さしあたり、モモを一口、かじってみる。
「うん。うむ・・・・はぐはぐはぐ・・・・」
旨かった。なんだ、これは。とても旨いではないか。
思わず、ビールを飲むのを忘れてしまったぐらい、両手にタレがべっとりついて、それを舐めながら一心不乱にモモと組み合ってしまった。
肉質が良くて、風味も良い。タレとの組み合わせも絶妙。柔らかく、そして弾力のある鶏の肉が、口の中に転がり込む度、咀嚼し、口の中では、鶏の旨味のハーモニーが完成される。
勢い余って、手羽のほうも。
これも同じく、最後まで一気にむさぼってしまった。
さらには、骨しか残っていなかった。
これは、旨いローストチキンだ!
でも、もってきてもらったのは、前日の夜購入分だったそうで。これが、焼き立てだったら、もっと旨いだろうなぁ、と、思った。
瀬戸田に行った折には、かならず、行きます。
玉木商店のローストチキンは、最高です!
ちなみに、ローストチキンの画像がないのは、夢中で食べちゃったからです・・・。
玉木商店
http://www9.ocn.ne.jp/~siomati/tamaki.html
なぜか、サイトを開くと、サイレンが鳴るので、音にびっくりします。ご注意。
「瀬戸田に、旨いローストチキンがあるよ」
その時は、「そうなんですかー」という感じだったのだが、後から気になって仕方がない。
そういえば、うちには「薄塩のお京さん」が居たではないか。瀬戸田在住者である。
頼んでみれば、買ってきてもらえるかも・・・。なんて、思いながら、お京さんにその話をする事をずっと忘れていた。
ある日、タイミングよく思い出して、そのローストチキンの話をすると、
「瀬戸田では、有名で、時には給食に出る時がある」
「リーズナブルな値段で販売されている」
「瀬戸田の人間で、知らないものは居ないのでは?」
「ハーブ鶏を使用しているらしい」
「手羽とモモしか、ない」
などなど、散文的な情報を頂いた。
これは、食べてみなければ、と、思い、お京さんに、仕事を依頼する事にした。
「是非、そのローストチキンを、ゲットしてきて下さい!」
お京さんは、あっさり、翌日、ゲットしてきた。
「けっこう、常温でも持つんですって。地方発送とかも常温らしいですよ。1週間ぐらいかな?」
なんて言いながら、私にローストチキンを渡した。
仕事を終え、「今晩、何食べよう・・・。あ、ローストチキンもらったよなぁー」と、思い出し、早速、電子レンジにて温めなおしを行い、ビールとともに食すことにした。お京さんは、気を利かせて「手羽&モモ」を1組(本当は1本づつから買えるらしい)買ってきてくれていた。
さしあたり、モモを一口、かじってみる。
「うん。うむ・・・・はぐはぐはぐ・・・・」
旨かった。なんだ、これは。とても旨いではないか。
思わず、ビールを飲むのを忘れてしまったぐらい、両手にタレがべっとりついて、それを舐めながら一心不乱にモモと組み合ってしまった。
肉質が良くて、風味も良い。タレとの組み合わせも絶妙。柔らかく、そして弾力のある鶏の肉が、口の中に転がり込む度、咀嚼し、口の中では、鶏の旨味のハーモニーが完成される。
勢い余って、手羽のほうも。
これも同じく、最後まで一気にむさぼってしまった。
さらには、骨しか残っていなかった。
これは、旨いローストチキンだ!
でも、もってきてもらったのは、前日の夜購入分だったそうで。これが、焼き立てだったら、もっと旨いだろうなぁ、と、思った。
瀬戸田に行った折には、かならず、行きます。
玉木商店のローストチキンは、最高です!
ちなみに、ローストチキンの画像がないのは、夢中で食べちゃったからです・・・。
玉木商店
http://www9.ocn.ne.jp/~siomati/tamaki.html
なぜか、サイトを開くと、サイレンが鳴るので、音にびっくりします。ご注意。
2006年02月26日
2006年02月23日
食パンを買う時、こんな事をお店に伝える事が多いですね。
「食パン1斤ちょうだい。5枚切りで!」
さて、5枚切りは良いとして、1斤という単位に今回は注目してみたいと思います。
単位の「斤」とは、実は1ポンド(約450グラム)の事です。でも、食パン1斤が、450グラムかと言うと、そういう訳ではないんです。
これには、諸説ありまして、かいつまんで結論を出すと、こういうことになります。
「食パンの1斤という単位は、重量の『斤』とは、表現は同じだが、重さは異なる」
「あくまで、1斤という単位は、パン屋においては、食パン『ひとかたまり』の単位である」
という事になります。
これに関連する事項で、「1本」という単位があります。
当社では、「1本」の単位は、ふた通りあります。
まず、角食パンの場合。1本で3斤の「かたまり」が取れますから、1本=3斤となります。
そして、山食パンの場合。1本で2斤の「かたまり」が取れますから、1本=2斤となります。
もうひとつ関連する事項で、当社の「イギリスパン」の事例があります。
イギリスパンは、単位があいまいなのです。
これは、焼成する時のケースに生地を2玉入れて焼く、イギリスパン専用のケースを使用しているため、イギリスパンの1本は、1斤だったりします。1本=1斤なのです。
要は、「食パン1斤」と言う場合は、パン屋にとっては、販売の最小単位の分量を指すと言ってみても、過言ではないでしょう。
表現が面倒な事になっておりますが、統一するという観念が、当社に欠けているから、こんな事が起こってしまうのでしょう。
だから、コッペパン=メロンパン・・・なのかな?
「食パン1斤ちょうだい。5枚切りで!」
さて、5枚切りは良いとして、1斤という単位に今回は注目してみたいと思います。
単位の「斤」とは、実は1ポンド(約450グラム)の事です。でも、食パン1斤が、450グラムかと言うと、そういう訳ではないんです。
これには、諸説ありまして、かいつまんで結論を出すと、こういうことになります。
「食パンの1斤という単位は、重量の『斤』とは、表現は同じだが、重さは異なる」
「あくまで、1斤という単位は、パン屋においては、食パン『ひとかたまり』の単位である」
という事になります。
これに関連する事項で、「1本」という単位があります。
当社では、「1本」の単位は、ふた通りあります。
まず、角食パンの場合。1本で3斤の「かたまり」が取れますから、1本=3斤となります。
そして、山食パンの場合。1本で2斤の「かたまり」が取れますから、1本=2斤となります。
もうひとつ関連する事項で、当社の「イギリスパン」の事例があります。
イギリスパンは、単位があいまいなのです。
これは、焼成する時のケースに生地を2玉入れて焼く、イギリスパン専用のケースを使用しているため、イギリスパンの1本は、1斤だったりします。1本=1斤なのです。
要は、「食パン1斤」と言う場合は、パン屋にとっては、販売の最小単位の分量を指すと言ってみても、過言ではないでしょう。
表現が面倒な事になっておりますが、統一するという観念が、当社に欠けているから、こんな事が起こってしまうのでしょう。
だから、コッペパン=メロンパン・・・なのかな?
2006年02月21日
数日前から、動きのなかった「エースボール跡地」に、重機や機材などが、運び込ばれていた。
今日、その重機が動きだした。長い基礎の棒を、地中に埋め込む作業をしていた。
重機は、まず、深い穴を掘り、そして、その掘った穴に、基礎となるパイプを差し込んでいっていた。
パイプを地中に差し込む時、それはもう、すぅー、っと。気持が良いぐらいにすんなりと、地中に滑り込んでいっていた。
さて、基礎さえ打てば、あとは、建物ということになるのだろう。
6月に、業務用スーパーエブリイが営業を始めるらしいし、そのあたりぐらいに、「旧エースボール」の地区のショッピングセンターが出来上がる、ということだろう。
とにかく、しばらくは、賑やかな状態なんだろうなぁ。
工事を見るのは、結構好きだ。
今日、その重機が動きだした。長い基礎の棒を、地中に埋め込む作業をしていた。
重機は、まず、深い穴を掘り、そして、その掘った穴に、基礎となるパイプを差し込んでいっていた。
パイプを地中に差し込む時、それはもう、すぅー、っと。気持が良いぐらいにすんなりと、地中に滑り込んでいっていた。
さて、基礎さえ打てば、あとは、建物ということになるのだろう。
6月に、業務用スーパーエブリイが営業を始めるらしいし、そのあたりぐらいに、「旧エースボール」の地区のショッピングセンターが出来上がる、ということだろう。
とにかく、しばらくは、賑やかな状態なんだろうなぁ。
工事を見るのは、結構好きだ。
2006年02月10日
本日より、神明さんです。
ただいま、ジャスコさんの駐車場ゲートは、稼働していません。
とりあえずは、神明さん協賛で、無料開放なのかな?
でも、西側平面駐車場から2階駐車場へのスロープは閉鎖されていました。
2階駐車場へは、食品館のスロープから上がるしかないみたいです。
意図がいまいち、よくわからなかったりします。
でも、1階西のトイレ(グルメドールさんのとこ)は、改装工事中のため、稼働しておりません。
その他のトイレは使えます。工事は明日までだそうです。
寒い時期なのに・・・。神明さんなのに・・・。
ただいま、ジャスコさんの駐車場ゲートは、稼働していません。
とりあえずは、神明さん協賛で、無料開放なのかな?
でも、西側平面駐車場から2階駐車場へのスロープは閉鎖されていました。
2階駐車場へは、食品館のスロープから上がるしかないみたいです。
意図がいまいち、よくわからなかったりします。
でも、1階西のトイレ(グルメドールさんのとこ)は、改装工事中のため、稼働しておりません。
その他のトイレは使えます。工事は明日までだそうです。
寒い時期なのに・・・。神明さんなのに・・・。
2006年02月08日
先日、WOWOWで、映画「タンポポ」が放送されていた。伊丹十三監督作品である。
内容は、ひなびたラーメン屋さんのサクセスストーリーのような感じ。一つのラーメン屋さんが、徐々にいろいろな要素を加えていき、最後には旨そうなラーメン屋さんになっていく。
でも、この映画の面白さは、メインストーリーである「ラーメン屋さん物語」からサッとスライドして展開する、数々の挿話たち。これがまた、ひとつひとつ面白く良くできている。なにより、ラーメンだけになりそうな話なのに、食べ物がたくさんでてくる事により、食べ物の世界が広がっていくような感じがする。
実際に、その食べ物を廻る話だったり、たんなる小道具として扱われていたり、食べ物をテーマにした物語としては、傑作なのではないだろうか。
伊丹十三作品は、計算が鼻につく場合もあるけれども、なにより面白さがずば抜けている。楽しませたい意気込みを感じる。
たとえば、線路をバックにした絵がある場合、必ず最高のタイミングで電車が通ったり、赤面する場面では、本当に顔を赤く塗っていたり、乱闘シーンで、乱闘自体を撮影せず、バケツが飛んできたり、人が倒れ込んでくるシーンで構成したり・・・。絵が計算されていて、一瞬あざとさを感じたりする。
でも、旨いものを、旨いものとして映像にしているという点では、やはり素晴しい。
タンポポを見ると、鴨南蛮そばが食べたくなるし、オムライスが食べたくなるし、ラーメンが食べたくなるし・・・。
特に印象に残る「オムライスの挿話」は、スラップスティック風にできていて、リズミカルなコメディー仕立て。なんと、この映画にでてくるオムライスは、「半熟とろとろオムライス」の元祖らしくて、洋食の有名老舗店「たいめいけん」と伊丹十三監督の両者のもとで、生み出されたものらしい。つまり、それまでは、「半熟とろとろオムライス」は、なかったという事なのだろう。当り前だけど。
実際、「たいめいけん」のメニューには「タンポポオムライス」があり、検索をかけるとたくさんヒットする。あの映画に出てくる「オムライス」が食べられるとは・・・。
一度、食べてみたいと、切に願うばかりである。
お腹が空くから見てはいけない、と、思いながらも、ついついまた見てしまう「タンポポ」。
最後のシーンは、誰もが最初に口にする「食べ物」である。その辺りの構成もにくいなぁ。
この映画は、食べ物を扱った映画として、本当に良くできているなぁ、と思う。
内容は、ひなびたラーメン屋さんのサクセスストーリーのような感じ。一つのラーメン屋さんが、徐々にいろいろな要素を加えていき、最後には旨そうなラーメン屋さんになっていく。
でも、この映画の面白さは、メインストーリーである「ラーメン屋さん物語」からサッとスライドして展開する、数々の挿話たち。これがまた、ひとつひとつ面白く良くできている。なにより、ラーメンだけになりそうな話なのに、食べ物がたくさんでてくる事により、食べ物の世界が広がっていくような感じがする。
実際に、その食べ物を廻る話だったり、たんなる小道具として扱われていたり、食べ物をテーマにした物語としては、傑作なのではないだろうか。
伊丹十三作品は、計算が鼻につく場合もあるけれども、なにより面白さがずば抜けている。楽しませたい意気込みを感じる。
たとえば、線路をバックにした絵がある場合、必ず最高のタイミングで電車が通ったり、赤面する場面では、本当に顔を赤く塗っていたり、乱闘シーンで、乱闘自体を撮影せず、バケツが飛んできたり、人が倒れ込んでくるシーンで構成したり・・・。絵が計算されていて、一瞬あざとさを感じたりする。
でも、旨いものを、旨いものとして映像にしているという点では、やはり素晴しい。
タンポポを見ると、鴨南蛮そばが食べたくなるし、オムライスが食べたくなるし、ラーメンが食べたくなるし・・・。
特に印象に残る「オムライスの挿話」は、スラップスティック風にできていて、リズミカルなコメディー仕立て。なんと、この映画にでてくるオムライスは、「半熟とろとろオムライス」の元祖らしくて、洋食の有名老舗店「たいめいけん」と伊丹十三監督の両者のもとで、生み出されたものらしい。つまり、それまでは、「半熟とろとろオムライス」は、なかったという事なのだろう。当り前だけど。
実際、「たいめいけん」のメニューには「タンポポオムライス」があり、検索をかけるとたくさんヒットする。あの映画に出てくる「オムライス」が食べられるとは・・・。
一度、食べてみたいと、切に願うばかりである。
お腹が空くから見てはいけない、と、思いながらも、ついついまた見てしまう「タンポポ」。
最後のシーンは、誰もが最初に口にする「食べ物」である。その辺りの構成もにくいなぁ。
この映画は、食べ物を扱った映画として、本当に良くできているなぁ、と思う。
節分と言えば、すぐに頭に浮かぶもの。それは、豆・・・だったはず。
鬼が出てきて、豆をまいて、
「鬼は外。福は内。」
と、ひとりよがりな宣言をする日。
じゃあ、鬼は外で、
「おれら、どこにいったらええんじゃろ・・・」
と、途方にくれ、福の神は、
「うちら、頭数、足りんよ」
と、途方にくれる。需要と供給の、アンバランス。
ひいらぎ、鰯の頭、鬼の面、まめまき。これらが、節分を読みとくキーワードだったのに。
近ごろの節分はといえば、関西方面から浸透してきた「太巻き恵方無言丸かじり」という風習が、すっかり馴染んでしまい、節度のある日ではなく、すっかりハレの日になってしまったような。
クリスマスと同じく、なんだか神妙な顔をして、太巻きのずらりと並んだ売り場を、じっと眺めてしまう。いつから、こんな節分になってしまったのだろう。
鬼に金棒、鬼の目にも涙、鬼の攪乱、鬼が笑う・・・。ある意味、生活のそばにあったはずの「鬼」という存在。それすら薄らいでしまう「太巻きまるかじり」。節分の主役は、ある意味「鬼」であったのではないのだろうか。
秋田では、大晦日に「悪い子はいねーがー」と言いながら、「なまはげ」がやってくる。
親の言う事をきいているか、とか、悪さをしてないか、とか、顔に似合わず、モラルをてんびんにかけて、子供を威嚇する。間違えても、「カネを出せ」とか、「どこか連れていくぞ」とか、鬼のエゴイズムのためにやってくる訳ではない。
なまはげは、思いがけず、良いヤツなのかもしれない。
さて、三原では、節分になると「鬼の豆」と呼ばれる、西洋のハロウィンのような風習が、完全復活している。学校が終わった時間からあとは、街に子供達と保護者の方が、溢れかえっている。手にビニール袋をさげて、歩いている。袋の中には、お菓子が入っている。街の人が、子供達の為に、「鬼の豆」と称するお菓子を用意し、ふるまっている。
それが焼き鳥屋なら、焼き鳥をふるまっているし、お肉屋さんでは、揚げたてコロッケをふるまっていた。なんとも大盤振る舞い。
この日だけは、子供達の安全は、完全に確保されている。「見守り隊」なんて、いらない。街に子供達と保護者が、まんべんなく、溢れているのだから。
そして、店先に、こんな紙が貼られるのだ。
「鬼の豆は、ありません。」
「鬼の豆は、終わりました。」
そう。資源は限りあるのだ。先着順なのだ。
そして、街は、明日から再び、静けさを取り戻す。
さしあたり、私のささやかな願いは、御家庭にて、太巻きの丸かじりを恵方に向かって無言で行った後に、きちんと「豆まき」をして欲しい、という事。豆まきは、御家庭で。
それが、家内安全の礎となるのです。
鬼が出てきて、豆をまいて、
「鬼は外。福は内。」
と、ひとりよがりな宣言をする日。
じゃあ、鬼は外で、
「おれら、どこにいったらええんじゃろ・・・」
と、途方にくれ、福の神は、
「うちら、頭数、足りんよ」
と、途方にくれる。需要と供給の、アンバランス。
ひいらぎ、鰯の頭、鬼の面、まめまき。これらが、節分を読みとくキーワードだったのに。
近ごろの節分はといえば、関西方面から浸透してきた「太巻き恵方無言丸かじり」という風習が、すっかり馴染んでしまい、節度のある日ではなく、すっかりハレの日になってしまったような。
クリスマスと同じく、なんだか神妙な顔をして、太巻きのずらりと並んだ売り場を、じっと眺めてしまう。いつから、こんな節分になってしまったのだろう。
鬼に金棒、鬼の目にも涙、鬼の攪乱、鬼が笑う・・・。ある意味、生活のそばにあったはずの「鬼」という存在。それすら薄らいでしまう「太巻きまるかじり」。節分の主役は、ある意味「鬼」であったのではないのだろうか。
秋田では、大晦日に「悪い子はいねーがー」と言いながら、「なまはげ」がやってくる。
親の言う事をきいているか、とか、悪さをしてないか、とか、顔に似合わず、モラルをてんびんにかけて、子供を威嚇する。間違えても、「カネを出せ」とか、「どこか連れていくぞ」とか、鬼のエゴイズムのためにやってくる訳ではない。
なまはげは、思いがけず、良いヤツなのかもしれない。
さて、三原では、節分になると「鬼の豆」と呼ばれる、西洋のハロウィンのような風習が、完全復活している。学校が終わった時間からあとは、街に子供達と保護者の方が、溢れかえっている。手にビニール袋をさげて、歩いている。袋の中には、お菓子が入っている。街の人が、子供達の為に、「鬼の豆」と称するお菓子を用意し、ふるまっている。
それが焼き鳥屋なら、焼き鳥をふるまっているし、お肉屋さんでは、揚げたてコロッケをふるまっていた。なんとも大盤振る舞い。
この日だけは、子供達の安全は、完全に確保されている。「見守り隊」なんて、いらない。街に子供達と保護者が、まんべんなく、溢れているのだから。
そして、店先に、こんな紙が貼られるのだ。
「鬼の豆は、ありません。」
「鬼の豆は、終わりました。」
そう。資源は限りあるのだ。先着順なのだ。
そして、街は、明日から再び、静けさを取り戻す。
さしあたり、私のささやかな願いは、御家庭にて、太巻きの丸かじりを恵方に向かって無言で行った後に、きちんと「豆まき」をして欲しい、という事。豆まきは、御家庭で。
それが、家内安全の礎となるのです。