2006年08月
2006年08月31日
ネットをさまよっている途中に、こんなのをみつけた。
http://www.mhr-cci.or.jp/cci_info/katudou/bukai/050800_gourmet_guide/gg.pdf#search=%22%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%B8%82%E3%80%80%E7%84%BC%E8%82%89%22
三原商工会議所の発行した「みはらグルメマップ」。
訪問したことがある店もあるし、そうでない店もある。
こういった、一覧にされている資料があると、何かと便利。
営業時間と定休日ぐらいは、わかるとうれしい。
そういえば、なぜか、エブリイの営業時間をよく聞かれる。
エブリイは、午前10時から午後10時の営業時間。
検索をかけても、見つけられない。
焼肉屋のぐりぐり家は、夕方からしかやっていない。近々行くと思う
福山地区では、ランチタイムもやっているのだが、三原ではやらないのだろうか。
ぐりぐり家も、三原店で検索をかけても、見つけられない。
検索をかけて、ひっかかるようになると、わかりやすいんだけどなぁ・・・。
また、「まいどおおきに食堂」の外装が完成されていた。
看板には「ごはんや 三原駅前食堂」と書いてあるので、そういうらしい。
どちらかというと、三原港前のほうが表現的には適切な気がしないでもないけど・・・。
立て看板が出ていて9月11日からの営業だそうで。
でも、なんとなく、普通の食堂・・・。
それだったら、あの近辺にある伝統的な食堂にチャレンジしてみたいと思うのは、私だけだろうか。
http://www.mhr-cci.or.jp/cci_info/katudou/bukai/050800_gourmet_guide/gg.pdf#search=%22%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%B8%82%E3%80%80%E7%84%BC%E8%82%89%22
三原商工会議所の発行した「みはらグルメマップ」。
訪問したことがある店もあるし、そうでない店もある。
こういった、一覧にされている資料があると、何かと便利。
営業時間と定休日ぐらいは、わかるとうれしい。
そういえば、なぜか、エブリイの営業時間をよく聞かれる。
エブリイは、午前10時から午後10時の営業時間。
検索をかけても、見つけられない。
焼肉屋のぐりぐり家は、夕方からしかやっていない。近々行くと思う
福山地区では、ランチタイムもやっているのだが、三原ではやらないのだろうか。
ぐりぐり家も、三原店で検索をかけても、見つけられない。
検索をかけて、ひっかかるようになると、わかりやすいんだけどなぁ・・・。
また、「まいどおおきに食堂」の外装が完成されていた。
看板には「ごはんや 三原駅前食堂」と書いてあるので、そういうらしい。
どちらかというと、三原港前のほうが表現的には適切な気がしないでもないけど・・・。
立て看板が出ていて9月11日からの営業だそうで。
でも、なんとなく、普通の食堂・・・。
それだったら、あの近辺にある伝統的な食堂にチャレンジしてみたいと思うのは、私だけだろうか。
2006年08月30日
本日の中国新聞(備後版)のワイドびんご欄に、こんな見出しが。
「タコのまちピンチ」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200608300005.html
予想された結果ではあるのだけれども、三原市は呉市にタコの漁獲高を追い抜かれたそうだ。
合併により、島嶼部の面積が増大したことで起こったことである。
これは別に珍しいことではなくて、尾道市が国産レモンの収穫量が日本一になったことと変わらない。瀬戸田町は、尾道市と合併したのだから。もし仮に万が一、瀬戸田町が三原市と合併していたのならば、三原市が国産レモン収穫量の日本一になった可能性もゼロではなかった。
三原市は、瀬戸田とは合併しなかったし、山地部の本郷町、久井町、大和町と合併したのだから、海岸線は変化しなかった。
呉市は倉橋島と上蒲刈島と豊島と大崎下島を合併したのだから、海岸線は驚異的に増大した。
そういう類の漁獲量の増大である。
しかし、本当の重大な問題は、漁師さんたちの後継者不足である。その件に関しては、三原市のサイトにも記述がある。
http://www.city.mihara.hiroshima.jp/kankou/kanko-tokusyu/index.html
三原市が「タコのまち」と称した経緯は、三原観光協会が推進した事に主因がある。
当時はまさか「平成の大合併」など予想されるはずもなく、特産物である「たこ」に白羽の矢をたてて、それを主軸に三原市の観光物産を展開することは、まったく持って無難であり、妥当と思われる。
第一次産業とは、後継者がいてなんぼの世界である。
もちろん第二次産業も後継者がいてなんぼなのだが、第一次産業は後継者のみならず、気候や風土も深くかかわっているし、本当に長い時間をかけて守り継がれて成り立っているので、その苦労の差は比較するのが野暮になる程あると思う。
実は私は「タコのまち」という呼称が、あまり好きではない。しかし、タコは大好物である。
タコのまちとしてアピールするならば、まず、その漁獲量が確保されていることと、地場での消費が確保されていることの2点を同時にクリアして、初めて「タコのまち」と言えるからである。
タコのまちと呼称した最初の段階には、地場での加工品の特産品化が確保されておらず、現在では漁獲量県内1位が確保できない。
タコ漁に対しての、何らかの措置を行わない限り、遠くない将来において、「タコのまち」という看板は下ろさざるをえないであろうと思われる。
将来において、よその土地からもってきたタコで、タコ料理やタコの加工品をつくったり、三原の家庭でタコ料理をしたからといって、「昔はタコがよく取れたんです」なんてふうに「タコのまち」をアピールすることは、根っこが浅く、あまり好ましくない。美しくない。
また、漁獲量ではなく、タコの品質で勝負するという手もあるのだが、それに関しては「タコの品質の差」がよくわからないので、言及できない。
ともかく、特産品は、生産(漁獲?)されることが肝心なのだと思う。
そして、それを街の特産としてアピールするには、住民がそれを大切にしているか、ということも、大切である。
実際の例では、三原と同じくタコで有名な兵庫県明石市には「タコ検定」があり、たこ焼きとも異なる「明石焼き(たまご焼き)」がある。
とはいえ、三原のタコは旨い!・・・と私は思っている。
私は、生のまま皮をはいで身をそいだ刺身が最高に旨いと思う。むっちりとした感触とぷりぷりとした感触が同時に存在し、淡白さの中に存分に旨みがあり、品があるのに力もある。
そして、シンプルな味付けのタコ飯も旨い。タコをぶつ切りにして、米と一緒に炊き上げる。旨い醤油を入れるだけ。だしはタコからたっぷり出てくる。タコから赤い色が米に移り、どことなく赤飯のようにも見える。炊き立ての米の甘さと、タコの甘さ、醤油の香ばしさがあいまって、この上なく旨い。
三原に生まれて、新鮮なタコを食べることが出来て、なんて贅沢なんだろう。
三原もタコも愛しているだけに、心配でならない。
でも、私はタコ漁師には、なれない。
そこが、まったくもって、持論の説得力を欠くところである。
「タコのまちピンチ」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200608300005.html
予想された結果ではあるのだけれども、三原市は呉市にタコの漁獲高を追い抜かれたそうだ。
合併により、島嶼部の面積が増大したことで起こったことである。
これは別に珍しいことではなくて、尾道市が国産レモンの収穫量が日本一になったことと変わらない。瀬戸田町は、尾道市と合併したのだから。もし仮に万が一、瀬戸田町が三原市と合併していたのならば、三原市が国産レモン収穫量の日本一になった可能性もゼロではなかった。
三原市は、瀬戸田とは合併しなかったし、山地部の本郷町、久井町、大和町と合併したのだから、海岸線は変化しなかった。
呉市は倉橋島と上蒲刈島と豊島と大崎下島を合併したのだから、海岸線は驚異的に増大した。
そういう類の漁獲量の増大である。
しかし、本当の重大な問題は、漁師さんたちの後継者不足である。その件に関しては、三原市のサイトにも記述がある。
http://www.city.mihara.hiroshima.jp/kankou/kanko-tokusyu/index.html
三原市が「タコのまち」と称した経緯は、三原観光協会が推進した事に主因がある。
当時はまさか「平成の大合併」など予想されるはずもなく、特産物である「たこ」に白羽の矢をたてて、それを主軸に三原市の観光物産を展開することは、まったく持って無難であり、妥当と思われる。
第一次産業とは、後継者がいてなんぼの世界である。
もちろん第二次産業も後継者がいてなんぼなのだが、第一次産業は後継者のみならず、気候や風土も深くかかわっているし、本当に長い時間をかけて守り継がれて成り立っているので、その苦労の差は比較するのが野暮になる程あると思う。
実は私は「タコのまち」という呼称が、あまり好きではない。しかし、タコは大好物である。
タコのまちとしてアピールするならば、まず、その漁獲量が確保されていることと、地場での消費が確保されていることの2点を同時にクリアして、初めて「タコのまち」と言えるからである。
タコのまちと呼称した最初の段階には、地場での加工品の特産品化が確保されておらず、現在では漁獲量県内1位が確保できない。
タコ漁に対しての、何らかの措置を行わない限り、遠くない将来において、「タコのまち」という看板は下ろさざるをえないであろうと思われる。
将来において、よその土地からもってきたタコで、タコ料理やタコの加工品をつくったり、三原の家庭でタコ料理をしたからといって、「昔はタコがよく取れたんです」なんてふうに「タコのまち」をアピールすることは、根っこが浅く、あまり好ましくない。美しくない。
また、漁獲量ではなく、タコの品質で勝負するという手もあるのだが、それに関しては「タコの品質の差」がよくわからないので、言及できない。
ともかく、特産品は、生産(漁獲?)されることが肝心なのだと思う。
そして、それを街の特産としてアピールするには、住民がそれを大切にしているか、ということも、大切である。
実際の例では、三原と同じくタコで有名な兵庫県明石市には「タコ検定」があり、たこ焼きとも異なる「明石焼き(たまご焼き)」がある。
とはいえ、三原のタコは旨い!・・・と私は思っている。
私は、生のまま皮をはいで身をそいだ刺身が最高に旨いと思う。むっちりとした感触とぷりぷりとした感触が同時に存在し、淡白さの中に存分に旨みがあり、品があるのに力もある。
そして、シンプルな味付けのタコ飯も旨い。タコをぶつ切りにして、米と一緒に炊き上げる。旨い醤油を入れるだけ。だしはタコからたっぷり出てくる。タコから赤い色が米に移り、どことなく赤飯のようにも見える。炊き立ての米の甘さと、タコの甘さ、醤油の香ばしさがあいまって、この上なく旨い。
三原に生まれて、新鮮なタコを食べることが出来て、なんて贅沢なんだろう。
三原もタコも愛しているだけに、心配でならない。
でも、私はタコ漁師には、なれない。
そこが、まったくもって、持論の説得力を欠くところである。
2006年08月29日
8月29日は「焼肉の日」だとジャスコさんのチラシに書いてあった。
いったい誰が決めたのだ・・・と、検索をしてみたら・・・
http://www.pulgogi.net/histry.html
全国焼肉協会という団体が、平成5年に制定したとのことで。
全国焼肉協会?ふーん。
じゃ、その「全国焼肉協会」って?
http://yakiniku.or.jp/
そ、そんな団体が、公式に存在するのですかっ!
びっくりである。
世の中には、いろいろな団体があるものだ。
その全国焼肉協会のサイトを、ぼんやりと眺め続けていると、どんどん焼肉を食べたくなるわけで・・・。
すっかりワナにはまっているような気がするけど、この際ワナにはまってしまってもいいかもしれない。
焼肉を食べることは、やはり幸せである。
焼肉といえば、一時期「焼肉は、肉を食べに行っているのだから、ご飯なんぞで腹を膨らませては邪道だ。ご飯は頼まん」と、私はご飯抜きで焼肉を食していた時期がある。
しかし、である。
肉だけを食べるのと、ご飯をちょこちょことほおばりながら肉を食べるのでは、焼肉の味わいがまったく異なることに、あるとき気がついた。
禁欲的に肉だけを焼き、口に放り込み、酒を飲み、肉を焼き・・・、の繰り返しでは、案外、肉が胃袋に量が入らない。あっという間に、口が飽きてしまうからである。肉の種類を変えてみても、口がすぐに肉の味で充満してしまい、飽き飽きである。
あるとき、あまりにも空腹のため、ご飯を1杯だけ頂こうと思った。
肉・肉・肉・肉とたべづづけたあと(間に「酒」が入るけど)、ご飯を一口頂くと、口の中の肉肉しさがさっぱりと洗い流され、再び肉・肉・肉・肉と、肉を胃袋に流し込めることに気がついた。
いわゆる、箸休めであるが、それは、キムチでも、酒でも、スープでもなく、ご飯が一番効果的である(私にはね・・・)。
よくよく考えてみれば、ご飯を自制したのは、焼肉のときに「ご飯を中心にしておかずとして肉を食べる」という自分の発想が気に入らなかったためであり、「お肉を中心に、ごはんを箸休めに食べる」という発想がなかったためであろう。
今から思うと、考えが甘かったといわざるを得ない。
これは、フランス料理にも言えることで、料理をたらふく楽しみたかったら、パンが上手な箸休め(箸は使わないので、フォーク休め?)になるし、寿司ならガリがその役割を果たすのだろう。
腹いっぱいの満足感を達成する食べ物について、ご飯の役割は重要であるが(おにぎりとは、その役割を最大限に生かした食べ物である、と思う)、ご飯とはその役割だけではなく、ほかの食材を生かすことにも長けた、すばらしい存在であることを認識させられるばかりである。
そういえば、もうすぐ、稲の収穫の時期。
実るほど頭をたれる稲穂かな。
我が心に刻み付けるべき日本人の美学だと思う。稲のようにありたい。
そして、私はそんなコメの国である「日本人のパン屋」なのである。
コメとがっぷり四つに組むような複雑な心境。
でも、パンも旨いが、米が旨い。米は大切な日本人の魂である。
そんな米の魂を心の柱に縛り付けながら、一方で小麦製品のパンを作る。
それが、「日本人のパン屋」のスタンスだと思う。
私としては米もパンも大切にしたいし、やはり旨い食べ物は幸福である。
いったい誰が決めたのだ・・・と、検索をしてみたら・・・
http://www.pulgogi.net/histry.html
全国焼肉協会という団体が、平成5年に制定したとのことで。
全国焼肉協会?ふーん。
じゃ、その「全国焼肉協会」って?
http://yakiniku.or.jp/
そ、そんな団体が、公式に存在するのですかっ!
びっくりである。
世の中には、いろいろな団体があるものだ。
その全国焼肉協会のサイトを、ぼんやりと眺め続けていると、どんどん焼肉を食べたくなるわけで・・・。
すっかりワナにはまっているような気がするけど、この際ワナにはまってしまってもいいかもしれない。
焼肉を食べることは、やはり幸せである。
焼肉といえば、一時期「焼肉は、肉を食べに行っているのだから、ご飯なんぞで腹を膨らませては邪道だ。ご飯は頼まん」と、私はご飯抜きで焼肉を食していた時期がある。
しかし、である。
肉だけを食べるのと、ご飯をちょこちょことほおばりながら肉を食べるのでは、焼肉の味わいがまったく異なることに、あるとき気がついた。
禁欲的に肉だけを焼き、口に放り込み、酒を飲み、肉を焼き・・・、の繰り返しでは、案外、肉が胃袋に量が入らない。あっという間に、口が飽きてしまうからである。肉の種類を変えてみても、口がすぐに肉の味で充満してしまい、飽き飽きである。
あるとき、あまりにも空腹のため、ご飯を1杯だけ頂こうと思った。
肉・肉・肉・肉とたべづづけたあと(間に「酒」が入るけど)、ご飯を一口頂くと、口の中の肉肉しさがさっぱりと洗い流され、再び肉・肉・肉・肉と、肉を胃袋に流し込めることに気がついた。
いわゆる、箸休めであるが、それは、キムチでも、酒でも、スープでもなく、ご飯が一番効果的である(私にはね・・・)。
よくよく考えてみれば、ご飯を自制したのは、焼肉のときに「ご飯を中心にしておかずとして肉を食べる」という自分の発想が気に入らなかったためであり、「お肉を中心に、ごはんを箸休めに食べる」という発想がなかったためであろう。
今から思うと、考えが甘かったといわざるを得ない。
これは、フランス料理にも言えることで、料理をたらふく楽しみたかったら、パンが上手な箸休め(箸は使わないので、フォーク休め?)になるし、寿司ならガリがその役割を果たすのだろう。
腹いっぱいの満足感を達成する食べ物について、ご飯の役割は重要であるが(おにぎりとは、その役割を最大限に生かした食べ物である、と思う)、ご飯とはその役割だけではなく、ほかの食材を生かすことにも長けた、すばらしい存在であることを認識させられるばかりである。
そういえば、もうすぐ、稲の収穫の時期。
実るほど頭をたれる稲穂かな。
我が心に刻み付けるべき日本人の美学だと思う。稲のようにありたい。
そして、私はそんなコメの国である「日本人のパン屋」なのである。
コメとがっぷり四つに組むような複雑な心境。
でも、パンも旨いが、米が旨い。米は大切な日本人の魂である。
そんな米の魂を心の柱に縛り付けながら、一方で小麦製品のパンを作る。
それが、「日本人のパン屋」のスタンスだと思う。
私としては米もパンも大切にしたいし、やはり旨い食べ物は幸福である。
2006年08月24日
タウン情報誌ウインク福山・備後9月号に、「ドルチェのジェラート」の事が掲載されました。といっても、ちょこっと載ったぐらいです。
今回は、取材していただいた方に30分ほどジェラートのことを熱く語ったのですが、それがぎゅっと凝縮されております。凝縮されすぎで、行間にかなりの意味が詰まっており、読み解くのがなんぎします。
例によって、私は手だけの出演で(前回は背中だけ)、ジェラートはデコポンです。しかも、ちょっと控えめ盛りになっております。本当は、もっと盛ってます。
でも・・・。
おいしいもの研究家って・・・。
うーん。そうだったんだー。うーん。
単に、食い意地がはっているだけなんだけどなぁ・・・。
たいそうだなぁ・・・。
で、本文の感想はこのぐらいで。
一つ上に掲載されていた、松永のラ・ムーにあるたこ焼き屋(なんと一船100円!!)に、とっても心惹かれてしまいました。自分のところはそっちのけで、「あー、たこ焼きやー。安いし、ええなぁ。」と遠い目・・・。
たこ焼き、食べたい。
今回は、取材していただいた方に30分ほどジェラートのことを熱く語ったのですが、それがぎゅっと凝縮されております。凝縮されすぎで、行間にかなりの意味が詰まっており、読み解くのがなんぎします。
例によって、私は手だけの出演で(前回は背中だけ)、ジェラートはデコポンです。しかも、ちょっと控えめ盛りになっております。本当は、もっと盛ってます。
でも・・・。
おいしいもの研究家って・・・。
うーん。そうだったんだー。うーん。
単に、食い意地がはっているだけなんだけどなぁ・・・。
たいそうだなぁ・・・。
で、本文の感想はこのぐらいで。
一つ上に掲載されていた、松永のラ・ムーにあるたこ焼き屋(なんと一船100円!!)に、とっても心惹かれてしまいました。自分のところはそっちのけで、「あー、たこ焼きやー。安いし、ええなぁ。」と遠い目・・・。
たこ焼き、食べたい。
2006年08月09日
あまりにも暑くて(だって、毎日35度越えるんだもの)、ジャスコ2階の家電売り場に扇風機を買いに行ったついでに、旧館部分の屋上駐車場に上がってみた。
さすがに駐車台数は少なくパラパラと停車している。
さて、ここから見える風景が案外いい感じ。
まずは、北側。思いっきり桜山が見える。JRの高架が邪魔していない分、すっきりとした光景。
桜山には桜山城という山城があった。現在でも、古井戸とか残っている。登山道が整備されており、気合を入れて登山するピクニックが楽しめるという・・・。
また、この山上から見る三原市街もなかなかのもの。
(SANTA様のサイトより)桜山の頂上から市街を撮影
http://redsanta.up.seesaa.net/image/sakurayama_01.jpg
次に、西側。手前にジャスコの駐車場。道路は最近よく混んでいる県道で、その向こうは三原城舟入櫓。
舟入櫓には、昭和天皇が戦後に御幸された折に宿泊されたと聞いている。春になると、桜がきれい。
最後に、北東には極楽寺が見える。全景では小さかったので、拡大画像にしてみた。あまり画像でははっきり写っていないが、三重の塔が美しい。寺の下から見ると、もっと美しい。ちなみにダルマがたくさん収蔵されている「青山コレクション達磨記念堂」のあるお寺である。
尾道は「寺の街」として有名だが、三原だって寺は多い。城下町というものは、寺が多いのが通例である。
昔、三原城を中心に多くの寺院が配置された。そのため、山側には多くの寺院がある。
尾道と三原の一番大きな差は、街の広がり方の歴史にある。
まぁ、尾道と三原を比較しても、街の特性が異なるのだからあまり意味はないが、現在の街のスタンスの違いの一要素として、方向性の差の原点はそこにあったのではないか、とも思う。
尾道は、裏手に山を抱え、目前には尾道水道があり、東西に細長く広がるしか選択肢がなかった。東西がダメなら山側を開発するしかない。それが、「坂の街」を形成した重要なポイントである。
三原は、裏手に山を抱えていたが、目前には沼田川の遠浅の扇状地(?)が広がっていたため、埋め立てが可能だった。そのため、新田開発や、塩田開発のために干拓を行った。それが時代を経て、工業地や市街地へと変わり、現在に至っている。
南側も撮影しようと思ったのだが、意外と見慣れた風景だったので、やめておいた。でも、筆影山がきれいに見えた。
現在、プロフィールの写真が「筆影山」です。エブリイのなかったころに撮影したものです。でも、ジャスコ屋上からみると、また感じが良いんだなぁ。
また、機会があれば、撮影してみよう。
そういえば、大阪に出ているときに、新幹線で三原に帰ってきたとき、あの筆影山を見た瞬間に「ああ、帰ってきたんだなぁ」と、しみじみ思ったものである。
本当に、我がふるさとの山。そして、我がふるさとの川(沼田川)。街は変わろうとも、自然の姿は変わらない。
さすがに駐車台数は少なくパラパラと停車している。
さて、ここから見える風景が案外いい感じ。
まずは、北側。思いっきり桜山が見える。JRの高架が邪魔していない分、すっきりとした光景。
桜山には桜山城という山城があった。現在でも、古井戸とか残っている。登山道が整備されており、気合を入れて登山するピクニックが楽しめるという・・・。
また、この山上から見る三原市街もなかなかのもの。
(SANTA様のサイトより)桜山の頂上から市街を撮影
http://redsanta.up.seesaa.net/image/sakurayama_01.jpg
次に、西側。手前にジャスコの駐車場。道路は最近よく混んでいる県道で、その向こうは三原城舟入櫓。
舟入櫓には、昭和天皇が戦後に御幸された折に宿泊されたと聞いている。春になると、桜がきれい。
最後に、北東には極楽寺が見える。全景では小さかったので、拡大画像にしてみた。あまり画像でははっきり写っていないが、三重の塔が美しい。寺の下から見ると、もっと美しい。ちなみにダルマがたくさん収蔵されている「青山コレクション達磨記念堂」のあるお寺である。
尾道は「寺の街」として有名だが、三原だって寺は多い。城下町というものは、寺が多いのが通例である。
昔、三原城を中心に多くの寺院が配置された。そのため、山側には多くの寺院がある。
尾道と三原の一番大きな差は、街の広がり方の歴史にある。
まぁ、尾道と三原を比較しても、街の特性が異なるのだからあまり意味はないが、現在の街のスタンスの違いの一要素として、方向性の差の原点はそこにあったのではないか、とも思う。
尾道は、裏手に山を抱え、目前には尾道水道があり、東西に細長く広がるしか選択肢がなかった。東西がダメなら山側を開発するしかない。それが、「坂の街」を形成した重要なポイントである。
三原は、裏手に山を抱えていたが、目前には沼田川の遠浅の扇状地(?)が広がっていたため、埋め立てが可能だった。そのため、新田開発や、塩田開発のために干拓を行った。それが時代を経て、工業地や市街地へと変わり、現在に至っている。
南側も撮影しようと思ったのだが、意外と見慣れた風景だったので、やめておいた。でも、筆影山がきれいに見えた。
現在、プロフィールの写真が「筆影山」です。エブリイのなかったころに撮影したものです。でも、ジャスコ屋上からみると、また感じが良いんだなぁ。
また、機会があれば、撮影してみよう。
そういえば、大阪に出ているときに、新幹線で三原に帰ってきたとき、あの筆影山を見た瞬間に「ああ、帰ってきたんだなぁ」と、しみじみ思ったものである。
本当に、我がふるさとの山。そして、我がふるさとの川(沼田川)。街は変わろうとも、自然の姿は変わらない。
2006年08月08日
今年も、もうそろそろやっさ祭りが二段ばねでやってくる。
やっさ踊りの特徴である「二段ばね」は、しなやかな足裁きと体の沈め方で、体勢を2段階に変化させる。この二段ばねが出来れば、やっさ踊りはほとんど出来たも同然で、手さばきはおまけと言っても過言ではない。
と、えらそうに書いてみたけど、私は上手に踊れない。
我が父は、これでもかというぐらい「やっさ踊り」は上手なので、見たまんまを書いてみた。
先日、父に「やっさは出るの?」と季節の挨拶(毎年、この時期は、この話をふる)をしたところ、「もう還暦に近いんじゃけ、しんどいの」と言いながら、出る気満々だったので、きっと今年も踊るのでしょう。
父は、祖父が踊っているのを見て育ち、私は父が踊っているのを見て育ち、私の娘も、私が踊っている姿を見て育つのだろうか・・・。
ちーたー、練習せんと、いけんじゃろか?
さて、今晩ジャスコ店から帰宅する途中、駅前広場でステージを組み立てていた。いくつかのやぐらも立ち、もうすぐ観覧席も出来るのだろう。
やっさ踊りの時間の駅前あたりときたら、本当に実際に熱気があふれていて(体感温度で5度は上がっているような気が)、かなり暑いことこのうえない。
今年の夏も、暑い夏なので、踊る方も観る方も、熱中症にはお気をつけて。
私は・・・仕事してますから。(涙)
やっさ踊りの特徴である「二段ばね」は、しなやかな足裁きと体の沈め方で、体勢を2段階に変化させる。この二段ばねが出来れば、やっさ踊りはほとんど出来たも同然で、手さばきはおまけと言っても過言ではない。
と、えらそうに書いてみたけど、私は上手に踊れない。
我が父は、これでもかというぐらい「やっさ踊り」は上手なので、見たまんまを書いてみた。
先日、父に「やっさは出るの?」と季節の挨拶(毎年、この時期は、この話をふる)をしたところ、「もう還暦に近いんじゃけ、しんどいの」と言いながら、出る気満々だったので、きっと今年も踊るのでしょう。
父は、祖父が踊っているのを見て育ち、私は父が踊っているのを見て育ち、私の娘も、私が踊っている姿を見て育つのだろうか・・・。
ちーたー、練習せんと、いけんじゃろか?
さて、今晩ジャスコ店から帰宅する途中、駅前広場でステージを組み立てていた。いくつかのやぐらも立ち、もうすぐ観覧席も出来るのだろう。
やっさ踊りの時間の駅前あたりときたら、本当に実際に熱気があふれていて(体感温度で5度は上がっているような気が)、かなり暑いことこのうえない。
今年の夏も、暑い夏なので、踊る方も観る方も、熱中症にはお気をつけて。
私は・・・仕事してますから。(涙)
op.4
フランスの作曲家、エリック・サティ(1866-1925)。
彼の作品は、「ジムノペディ」、「グノシエンヌ」、「おまえが欲しい」、「ピカデリー」等、題名は知らなくても、曲を聴くと「ああ、これね。知ってる!」と、思わぬ所で案外知られている。
サティの作品にはユニークなものが多くある。
演奏にまるまる一日もかかるもの(ヴィクサシオン)や、演奏すると普通の曲なのに小節数が1小節のもの(タンゴ)。奇妙なタイトルのついたもの(ひからびた胎児、官僚的なソネチネetc.)
そして、特筆すべき作品は「家具の音楽」である。
それは「誰かに聴かれるための音楽」ではなく、何も主張しない、何も押し付けない、空気と同じような感触の音楽を目指してつくられた。
サティは、とある演奏会の時、その「空気と同じような音楽」を休憩中に演奏することを試みた。
休憩が始まり、観客は思い思いに席から離れはじめた時、その音楽の演奏が始まった。
もちろん、観客は演奏が始まったのだから、席について聴こうとした。
だが、そのとき、サティは観客に大声でこう叫んだ。
「さぁ、おしゃべりを続けて!歩き回っていいんだ!音楽を聴いてはいけない!」
現在ではあたりまえとなった、BGMの概念を先取りしすぎたサティ。
そして、彼の目指した「空気と同じような音楽」は、今では日本の街に溢れかえっている。何も主張しない、何も押し付けない、空気と同じような感触の音楽・・・。
フランスの作曲家、エリック・サティ(1866-1925)。
彼の作品は、「ジムノペディ」、「グノシエンヌ」、「おまえが欲しい」、「ピカデリー」等、題名は知らなくても、曲を聴くと「ああ、これね。知ってる!」と、思わぬ所で案外知られている。
サティの作品にはユニークなものが多くある。
演奏にまるまる一日もかかるもの(ヴィクサシオン)や、演奏すると普通の曲なのに小節数が1小節のもの(タンゴ)。奇妙なタイトルのついたもの(ひからびた胎児、官僚的なソネチネetc.)
そして、特筆すべき作品は「家具の音楽」である。
それは「誰かに聴かれるための音楽」ではなく、何も主張しない、何も押し付けない、空気と同じような感触の音楽を目指してつくられた。
サティは、とある演奏会の時、その「空気と同じような音楽」を休憩中に演奏することを試みた。
休憩が始まり、観客は思い思いに席から離れはじめた時、その音楽の演奏が始まった。
もちろん、観客は演奏が始まったのだから、席について聴こうとした。
だが、そのとき、サティは観客に大声でこう叫んだ。
「さぁ、おしゃべりを続けて!歩き回っていいんだ!音楽を聴いてはいけない!」
現在ではあたりまえとなった、BGMの概念を先取りしすぎたサティ。
そして、彼の目指した「空気と同じような音楽」は、今では日本の街に溢れかえっている。何も主張しない、何も押し付けない、空気と同じような感触の音楽・・・。
2006年08月05日
某アマチュア音楽団体の広報に、クラシック音楽にまつわるコラムを書いていました。
とりあえず、ページを埋めるために・・・駄文を書き連ねた感じです。
現在は、しばらく音楽団体に参加していなかったので、書いていません。
タイトルは"Tacet"。「タチェット」と発音します。厳密ではないですけど。
意味は、「静かにしなさい」という感じの意味のイタリア語で、私のやっている楽器のパート符に、「音楽用語」として時々登場するのです。それが現れると、私のパートはお休みで、音を出すところはありません。
「あんた今、静かにしといてくれへんか」と言われても、いろいろ思う事や考える事はあるわけです。そういった逆説的な意味で、タイトルに使用することにしました。
楽譜に"Tacet"と書いてあるときは、実際に物思いにふけることが多いのです。はらへった、とか。たいくつだ、とか。冷房きいてない、とか。練習に入る前に食べたもののこと、とか。(笑)
結局、20本ぐらい書いたのかなぁ。
我ながら、よく続いたものです。
そんなわけで、せっかくのテキストの財産がもったいないので、こちらに転載しようと思っています。
そして、ちょっと前に書いた「じゃじゃじゃじゃーん」は、広報に掲載していない、"Tacet"みたいなものかもしれません。
もしかすると、続きを書くかもしれません。
仕事とはあまり関係はないし、三原ともあまり関係はないのですが、音楽もパンも、あまり私にとっては思考回路に区別はないので、問題はないでしょう。著作権も、私にあるはずです。(笑)
迷惑な人は、手を上げて下さいね。
え?
ほんとに手を上げた?
見えませんから・・・。
・・・見えなかった事にさせて下さい。
というわけで、適時ブログにアップしていきます。
とりあえず、ページを埋めるために・・・駄文を書き連ねた感じです。
現在は、しばらく音楽団体に参加していなかったので、書いていません。
タイトルは"Tacet"。「タチェット」と発音します。厳密ではないですけど。
意味は、「静かにしなさい」という感じの意味のイタリア語で、私のやっている楽器のパート符に、「音楽用語」として時々登場するのです。それが現れると、私のパートはお休みで、音を出すところはありません。
「あんた今、静かにしといてくれへんか」と言われても、いろいろ思う事や考える事はあるわけです。そういった逆説的な意味で、タイトルに使用することにしました。
楽譜に"Tacet"と書いてあるときは、実際に物思いにふけることが多いのです。はらへった、とか。たいくつだ、とか。冷房きいてない、とか。練習に入る前に食べたもののこと、とか。(笑)
結局、20本ぐらい書いたのかなぁ。
我ながら、よく続いたものです。
そんなわけで、せっかくのテキストの財産がもったいないので、こちらに転載しようと思っています。
そして、ちょっと前に書いた「じゃじゃじゃじゃーん」は、広報に掲載していない、"Tacet"みたいなものかもしれません。
もしかすると、続きを書くかもしれません。
仕事とはあまり関係はないし、三原ともあまり関係はないのですが、音楽もパンも、あまり私にとっては思考回路に区別はないので、問題はないでしょう。著作権も、私にあるはずです。(笑)
迷惑な人は、手を上げて下さいね。
え?
ほんとに手を上げた?
見えませんから・・・。
・・・見えなかった事にさせて下さい。
というわけで、適時ブログにアップしていきます。
2006年08月04日
三原の夏の風物詩といえば、半どん夜市とやっさまつり。半どん夜市は、この週末で今年はおしまいです。
半どん夜市の公式サイトは、こちら。ケータイならこちら。
私は行けぬまま、今年も終わりそうです。
毎週、帝人通りのにぎやかな夜を横目に、帰宅しておりました・・・。(涙)
せめて、明日は近くなので(徒歩2分だし)、すこし立ち寄ってみようかなぁ。
そういえば。
夜店といえば、アメリカンドックとフレンチドックの違いって、わかりますか?
私は、わかりません。
ついでに。
ドック、じゃなくって、ドッグなんですってね。最後は「にごる」のが、正解だとか。
ホットドッグが "Hot dog" なのに、ホットドックと呼ばれているのと、同じ現象が起きているそうです。
参照サイトは、こちら。
誤用って、おもしろいなぁ。
でも、他人事ではない。
オギロパンのコロッケが入ったり、ウインナーが入ったりしているものはといえば・・・「コロッケドック」「ウインナードック」・・・。
まちがえてるやんか・・・。(涙)
半どん夜市の公式サイトは、こちら。ケータイならこちら。
私は行けぬまま、今年も終わりそうです。
毎週、帝人通りのにぎやかな夜を横目に、帰宅しておりました・・・。(涙)
せめて、明日は近くなので(徒歩2分だし)、すこし立ち寄ってみようかなぁ。
そういえば。
夜店といえば、アメリカンドックとフレンチドックの違いって、わかりますか?
私は、わかりません。
ついでに。
ドック、じゃなくって、ドッグなんですってね。最後は「にごる」のが、正解だとか。
ホットドッグが "Hot dog" なのに、ホットドックと呼ばれているのと、同じ現象が起きているそうです。
参照サイトは、こちら。
誤用って、おもしろいなぁ。
でも、他人事ではない。
オギロパンのコロッケが入ったり、ウインナーが入ったりしているものはといえば・・・「コロッケドック」「ウインナードック」・・・。
まちがえてるやんか・・・。(涙)
本店の事務所に、芸予地震が起こるまで飾ってあった航空写真がありました。芸予地震の際に、その揺れで額ごと落下してしまい、額が破損し、この数年は飾られることもなく、事務所の端にひっそりと息を潜めておりました。
先日、ジャスコの周年祭のネタを書いた折に、ふとその写真の存在を思い出しました。そういえば、あの写真って、どうなったんだろうか、と。
記憶をたどれば、たしかあの写真には、ジャスコ新三原店建築中の姿が映っていたはず。
すぐに本店に連絡すると。
「あるよ。たぶん。」
と、何気なく答えられてしまいました。
モノを確認してみると、これがまた、懐かしい限り。
旧ジャスコ、天満屋、ニチイ、高架工事中で仮設の三原駅。まだ線路すらない山陽本線と呉線の高架。国道へ直接接続していない中之町へ通じる県道。
その光景は、私の高校生の頃の思い出のままでした。
この写真は、資料として価値がある。
そう思いました。
ジャスコ店も、この写真の頃からの営業ですから(一度、改装があったので、移転していますが・・・)、なんとなく縁を感じたので、額を新装して、ジャスコ店での復活となったわけです。
三代目親分(社長)にこの航空写真の話を聞いてみたところ、
「ありゃーの。ヘリコプターから撮ったんじゃけぇ。」
「何でヘリコプター?」
「県の視察で乗ったんど」
聞く相手を間違えた(といっても、親分にきかな、わからへんけど)。写真より、ヘリコプターに乗った話のほうが、重要らしい。(笑)
ともかく、なにかの視察で、ヘリコプターに搭乗して、そのときの記念のようなもので、どうやら市内の老舗写真店のご主人さんが撮影された・・・らしい。
ということは、ネガが残っているかも?
とりあえずは、現在確認中です。
先日、ジャスコの周年祭のネタを書いた折に、ふとその写真の存在を思い出しました。そういえば、あの写真って、どうなったんだろうか、と。
記憶をたどれば、たしかあの写真には、ジャスコ新三原店建築中の姿が映っていたはず。
すぐに本店に連絡すると。
「あるよ。たぶん。」
と、何気なく答えられてしまいました。
モノを確認してみると、これがまた、懐かしい限り。
旧ジャスコ、天満屋、ニチイ、高架工事中で仮設の三原駅。まだ線路すらない山陽本線と呉線の高架。国道へ直接接続していない中之町へ通じる県道。
その光景は、私の高校生の頃の思い出のままでした。
この写真は、資料として価値がある。
そう思いました。
ジャスコ店も、この写真の頃からの営業ですから(一度、改装があったので、移転していますが・・・)、なんとなく縁を感じたので、額を新装して、ジャスコ店での復活となったわけです。
三代目親分(社長)にこの航空写真の話を聞いてみたところ、
「ありゃーの。ヘリコプターから撮ったんじゃけぇ。」
「何でヘリコプター?」
「県の視察で乗ったんど」
聞く相手を間違えた(といっても、親分にきかな、わからへんけど)。写真より、ヘリコプターに乗った話のほうが、重要らしい。(笑)
ともかく、なにかの視察で、ヘリコプターに搭乗して、そのときの記念のようなもので、どうやら市内の老舗写真店のご主人さんが撮影された・・・らしい。
ということは、ネガが残っているかも?
とりあえずは、現在確認中です。
2006年08月03日
この暑い最中、暑い我が家から逃げ出すために、宮浦あたりに外出してみた。
とはいえ、暑いものは暑いわけで、結局、暑いのだ。
さて、まずは、雑貨屋のブルドック。
このお店は元「紳士服のはるやま」の店舗の居抜き(?)で、場所としては宮浦大通りに面していて、中央分離帯のある道路のため、南方向からは、ちと入りにくい(地図)。でも、宮浦大通りの1本東の道から入っていくと、店舗の裏から入れるので、問題ない(ちなみに店舗裏口は、閉鎖しているので、店には入れない)。
商品構成は・・・案外素直な雑貨屋さんだった。もっといかがわしいアイテムなどあれば、魅力的に思う(私はね・・・)。
店内に、強烈な冷房機があって、強烈な冷風を吹き出していた。おもわず、そこで涼んでしまった。ひやくて、きもちいい。
次に、改装オープンした、ニチエー宮浦店(地図)。フードガーデンと称していて、食料品を充実させている様子。
店内を回ってみると、入り口左手に、地元の農家の生産した農作物が販売されている。ものを見ると、新鮮そうで、なにより安い。これはしめたものだ。昼までにはいいのがなくなってしまいそうなので、休みの日の楽しみが増えた。
あと、マヨネーズ売り場に「松田のマヨネーズ風(甘口)」があった。こんど、マヨネーズなくなったら、買いにこよう!
最後に、そのニチエー宮浦店の真向かいにある「モリモト」に行ってみた(地図)。
我が家は、ここで、醤油を買うことにしている。「五平醤油」といって、小豆島でつくられている醤油であり、三原の須波に販売店がある。
須波の販売店に行けば、ワンランク上の「特上五平醤油」が販売されているのだが、須波はすこし遠いので、近場のこちらで「ノーマル五平醤油」。ちなみに、濃口、薄口、だし醤油などなど、バリエーションもある。
また、ここでは、三原の誇る「テングソース」も販売している。「ウスター」や「とんかつソース」や「お好みソース」などなど。
モリモトは、思いがけずディープな店である。
結局、五平醤油だけ購入して帰宅。
暑い最中の外出だったが、結局涼を得ることもなく、やはり暑いばっかりだった。
とはいえ、暑いものは暑いわけで、結局、暑いのだ。
さて、まずは、雑貨屋のブルドック。
このお店は元「紳士服のはるやま」の店舗の居抜き(?)で、場所としては宮浦大通りに面していて、中央分離帯のある道路のため、南方向からは、ちと入りにくい(地図)。でも、宮浦大通りの1本東の道から入っていくと、店舗の裏から入れるので、問題ない(ちなみに店舗裏口は、閉鎖しているので、店には入れない)。
商品構成は・・・案外素直な雑貨屋さんだった。もっといかがわしいアイテムなどあれば、魅力的に思う(私はね・・・)。
店内に、強烈な冷房機があって、強烈な冷風を吹き出していた。おもわず、そこで涼んでしまった。ひやくて、きもちいい。
次に、改装オープンした、ニチエー宮浦店(地図)。フードガーデンと称していて、食料品を充実させている様子。
店内を回ってみると、入り口左手に、地元の農家の生産した農作物が販売されている。ものを見ると、新鮮そうで、なにより安い。これはしめたものだ。昼までにはいいのがなくなってしまいそうなので、休みの日の楽しみが増えた。
あと、マヨネーズ売り場に「松田のマヨネーズ風(甘口)」があった。こんど、マヨネーズなくなったら、買いにこよう!
最後に、そのニチエー宮浦店の真向かいにある「モリモト」に行ってみた(地図)。
我が家は、ここで、醤油を買うことにしている。「五平醤油」といって、小豆島でつくられている醤油であり、三原の須波に販売店がある。
須波の販売店に行けば、ワンランク上の「特上五平醤油」が販売されているのだが、須波はすこし遠いので、近場のこちらで「ノーマル五平醤油」。ちなみに、濃口、薄口、だし醤油などなど、バリエーションもある。
また、ここでは、三原の誇る「テングソース」も販売している。「ウスター」や「とんかつソース」や「お好みソース」などなど。
モリモトは、思いがけずディープな店である。
結局、五平醤油だけ購入して帰宅。
暑い最中の外出だったが、結局涼を得ることもなく、やはり暑いばっかりだった。