2009年03月
2009年03月14日
以前、「花兆の中かそばとオムライス」という記事を書いた。
久しぶりにその花兆で、「中かそばとオムライス」を食べたのだが、驚いたことに、オムライスが進化していた!
以前は、古式ゆかしいチキンライスが玉子に包まれたオムライスだったものが、最近はやりの「とろとろオムライス」になっているではないか・・・。
この形式のオムライスは、伊丹十三により考案され、銀座の「たいめい軒」で具現化された話は有名である。そして、伊丹十三監督による映画「タンポポ」により、世に知らしめられた・・・と思う。
今ではオムライスといえば、この「とろとろオムライス」が主流になりつつあり、古式ゆかしいオムライスは、オムライス界で端のほうに追いやられているような気がしないでもない。
たぶん、近い将来、とろとろオムライスと古式ゆかしいオムライスは、再び均衡を保ち、同列に扱われるであろう、と勝手に予測している。古式ゆかしいオムライスには、それはそれで魅力があるのだ!
卵のとろとろ感を味わいたいのであれば、「とろとろオムライス」でもよいかもしれないが、チキンライスと薄焼き玉子とケチャップソースのハーモニーという点では両者には玉子焼きの差が大きい。
とろとろ卵では、一体感が増しすぎて、どんぶり状になり、「卵かけごはんチキンライス風味ソースがけ」という状態にもなりかねない。
古式ゆかしいオムライスでは、それぞれが単独に主張しあい、チキンライスと薄焼き玉子とソースのハーモニーを個人主義的に楽しめる。
どちらが良いかどうかは置いておき(好みの問題である)、現在の主流は「とろとろオムライス」であることは、タウン情報誌などの情報でオムライスが出てきた時に必ず「とろとろオムライス」であることから、自明の理ともいえる。
ともかく、その主流に、「花兆」が乗ったのである。
嬉しくもあり、さみしくもある。
古式ゆかしいオムライスにも、魅力があるのだ。
ぜいたくを言うならば、「中かそばとオムライスのセット」にも2種類設けて、「中かそばととろとろオムライスのセット」と「中かそばとオムライス・トラディショナルのセット」と、好みにあわせてほしいような気がしないでもない・・・が、それは本当にぜいたくというものである。
というより、たぶん、一言「前のオムライスでお願いします」といえば、対応していただけるであろう。
お店とのコミュニケーションとは、メニュー上で行なうのではなく、実際にお店とのコミュニケーションで成り立つのである。
で、次回「中かそばとオムライス」を食べる時、私はどうするか・・・というと。
両方とも魅力的なので、その時の気分で主張したいなぁ・・・。
お店の方には、ご迷惑をおかけするのかなぁ・・・。
久しぶりにその花兆で、「中かそばとオムライス」を食べたのだが、驚いたことに、オムライスが進化していた!
以前は、古式ゆかしいチキンライスが玉子に包まれたオムライスだったものが、最近はやりの「とろとろオムライス」になっているではないか・・・。
この形式のオムライスは、伊丹十三により考案され、銀座の「たいめい軒」で具現化された話は有名である。そして、伊丹十三監督による映画「タンポポ」により、世に知らしめられた・・・と思う。
今ではオムライスといえば、この「とろとろオムライス」が主流になりつつあり、古式ゆかしいオムライスは、オムライス界で端のほうに追いやられているような気がしないでもない。
たぶん、近い将来、とろとろオムライスと古式ゆかしいオムライスは、再び均衡を保ち、同列に扱われるであろう、と勝手に予測している。古式ゆかしいオムライスには、それはそれで魅力があるのだ!
卵のとろとろ感を味わいたいのであれば、「とろとろオムライス」でもよいかもしれないが、チキンライスと薄焼き玉子とケチャップソースのハーモニーという点では両者には玉子焼きの差が大きい。
とろとろ卵では、一体感が増しすぎて、どんぶり状になり、「卵かけごはんチキンライス風味ソースがけ」という状態にもなりかねない。
古式ゆかしいオムライスでは、それぞれが単独に主張しあい、チキンライスと薄焼き玉子とソースのハーモニーを個人主義的に楽しめる。
どちらが良いかどうかは置いておき(好みの問題である)、現在の主流は「とろとろオムライス」であることは、タウン情報誌などの情報でオムライスが出てきた時に必ず「とろとろオムライス」であることから、自明の理ともいえる。
ともかく、その主流に、「花兆」が乗ったのである。
嬉しくもあり、さみしくもある。
古式ゆかしいオムライスにも、魅力があるのだ。
ぜいたくを言うならば、「中かそばとオムライスのセット」にも2種類設けて、「中かそばととろとろオムライスのセット」と「中かそばとオムライス・トラディショナルのセット」と、好みにあわせてほしいような気がしないでもない・・・が、それは本当にぜいたくというものである。
というより、たぶん、一言「前のオムライスでお願いします」といえば、対応していただけるであろう。
お店とのコミュニケーションとは、メニュー上で行なうのではなく、実際にお店とのコミュニケーションで成り立つのである。
で、次回「中かそばとオムライス」を食べる時、私はどうするか・・・というと。
両方とも魅力的なので、その時の気分で主張したいなぁ・・・。
お店の方には、ご迷惑をおかけするのかなぁ・・・。
あまりにも更新していないと、「店長さん、病気しちゃったん?」とか、「最近、忙しいん?」とか、直接声を頂く。ありがたいことに更新しなくても、来ていただける方がいらっしゃる。
がんばって、更新しなければ!
といういわけで、久しぶりに先日見つけたコネタをひとつ。
先日、パルディ西町店に行ってきた。心の中ではもちろん「西町スーパー」と呼んでいる。そして、「西町スーパー」で十分「パルディ西町店」と認識していただけるのが、三原市民としては常識である。
さて、通勤の通り道にあって便利なので、時々利用させていただいているパルディ西町店であるが、つい先日の出来事。
普通に駐車場に車を入れ、ふと道路わきにある「パルディ西町店」の大きな立看板を眺めると、その基礎部分に目がいった。
なにか、石柱がバラバラと置いてある?
なんでだろう?不思議だ。
雑然?整然?何かの規則に従って置いてある?
だいたい、看板の下に、雑然と大きな石柱が並べておいてあるのは、おかしい。
・・・2〜3秒、不思議な感覚を覚えながら眺めた。
よくよく見てみると、「パルディ(実際には最後の小さい「ィ」は不確実である」と置いてあるような、ないような・・・。
しかしまぁ、なにか釈然としない。
パルディの「パ」の丸の色が違う。丸ではなく、点に見える。「バルディ」に見える・・・。どうしてここまでやったのに、いろを合わせななかったのだろう。不思議だ。
事実、「ディ」の「デ」の点々は、きちんと色が合わせてあるのに・・・。
ついでに、「ディ」の小さい「ィ」の縦棒がどっちらけの方向に放置されている。思わず、直そうかと思ってしまった。
しかし、店舗の前ということで、人目につくうえに、一生懸命石を動かしている姿は、あまりにも不審である。
ともかく、草は刈ってあるようなので、手入れはされている・・・のか?刈られているのか?夏に見たら草に埋まっている、なんてことはないのか?
疑問は尽きない。
と、毎日なにげなく見ている光景の中にある、何らかの主張というものには二つある。「見て見て!!」と主張するものと「まぁ、気がついたらええか」というものである。この「パルディのモニュメント」はどうにも前者とも後者とも判断しがたい。たぶん、後者であると思うのだが前者とも思える(専門家が行なわないと、石をこのように置くことは不可能である)。
ちいさな発見かもしれないけれど、いろいろと考えさせられる発見だった。
がんばって、更新しなければ!
といういわけで、久しぶりに先日見つけたコネタをひとつ。
先日、パルディ西町店に行ってきた。心の中ではもちろん「西町スーパー」と呼んでいる。そして、「西町スーパー」で十分「パルディ西町店」と認識していただけるのが、三原市民としては常識である。
さて、通勤の通り道にあって便利なので、時々利用させていただいているパルディ西町店であるが、つい先日の出来事。
普通に駐車場に車を入れ、ふと道路わきにある「パルディ西町店」の大きな立看板を眺めると、その基礎部分に目がいった。
なにか、石柱がバラバラと置いてある?
なんでだろう?不思議だ。
雑然?整然?何かの規則に従って置いてある?
だいたい、看板の下に、雑然と大きな石柱が並べておいてあるのは、おかしい。
・・・2〜3秒、不思議な感覚を覚えながら眺めた。
よくよく見てみると、「パルディ(実際には最後の小さい「ィ」は不確実である」と置いてあるような、ないような・・・。
しかしまぁ、なにか釈然としない。
パルディの「パ」の丸の色が違う。丸ではなく、点に見える。「バルディ」に見える・・・。どうしてここまでやったのに、いろを合わせななかったのだろう。不思議だ。
事実、「ディ」の「デ」の点々は、きちんと色が合わせてあるのに・・・。
ついでに、「ディ」の小さい「ィ」の縦棒がどっちらけの方向に放置されている。思わず、直そうかと思ってしまった。
しかし、店舗の前ということで、人目につくうえに、一生懸命石を動かしている姿は、あまりにも不審である。
ともかく、草は刈ってあるようなので、手入れはされている・・・のか?刈られているのか?夏に見たら草に埋まっている、なんてことはないのか?
疑問は尽きない。
と、毎日なにげなく見ている光景の中にある、何らかの主張というものには二つある。「見て見て!!」と主張するものと「まぁ、気がついたらええか」というものである。この「パルディのモニュメント」はどうにも前者とも後者とも判断しがたい。たぶん、後者であると思うのだが前者とも思える(専門家が行なわないと、石をこのように置くことは不可能である)。
ちいさな発見かもしれないけれど、いろいろと考えさせられる発見だった。