2009年06月

2009年06月27日

三原城跡の堀の横。隆景広場の隅に、その慰霊碑はある。

慰霊碑

原爆死没者慰霊碑である。
昭和20年8月6日に、広島に投下された原子爆弾は、一瞬にして広島の街を焼き尽くした。そして、救援に駆け付けた方は放射線による二次被曝を受け、今でも苦しんでいる方が多いと聞く。
もちろん、この三原にも、被爆者の方がいらっしゃる。

小学校のころから、近い存在から「被爆体験」を聞いてきた私としては、ある意味、万感の思いである。
どうして、広島に、そのような爆弾が落とされなければならなかったのか?
素朴な疑問を生じた。
まずは、「日本を早く負かせるためなんだよ」と教えられた。そうかもしれないと思った。
そして、まだ若かったころ、ネットなんてない、本しか情報源のなかったころ、私は一つの説を読んだ。それは、広島・長崎への原爆投下は「冷戦前の東側諸国へのけん制」であった、と。
どうやら、さまざま事情で、原爆は落されたようだ。
あちらさんからすれば、それによって利益が得られたわけだから、効果はあったのだろう。こちらからすれば、そうでなくても敗戦必至だったのに、泣きっ面に蜂である。

私は今は知っている。国際社会というものが、きれい事では済まない事を。
国際協調という言葉が、どれだけ軽いかということも。
日米同盟という言葉が、対等の同盟ではないことも。

非常に喜ばしいことに、広島・長崎の原爆投下の後、核兵器は使用されていない。
しかしながら、通常兵器による被害にあっている一般住民は多数に上る。
また、「カラシニコフ」と呼ばれる「世界で一番人を殺した兵器」をいうものがあることも知っている。

日本は、海に囲まれ、比較的同質性の高い人たちで構成されている国である。
海の周りには、島があり、その島には外国の勢力が進出してい場合もある。
しかし、それを日本に取り戻すためには、日本には「外交交渉」しか道はない。

まさか、憲法9条を拡大解釈、または改正して、武力による日本領土の奪取ともなると、国際的な批判よりも、国内的な混乱が起きるという、とても不思議な国である。

広島にある、原爆慰霊碑には「二度とあやまちはくりかえしません」と書いてある。
以前書いたことがあるが、この「あやまち」とはなにか。
「原爆投下」と考えるのが普通だろうか。
もしくは「戦争」を行なったこと、だろうか。

どちらにせよ、平和ボケした日本で、国防のことなど真剣に考えている人は少なく、そして、それに対しての行動を起こす人も少ない。
軍事マニアは多いが、「戦争」とは政治の一手段であることから、どちらかといえば、政治に詳しい人のほうが、コメント的には適切に思える。

ひとつ、予言をしておこう。

50年以内に、台湾は中国領となる。
もしかすると、朝鮮半島も、中国領となる?

日本はアメリカの核の傘が、いつまでもかかっていると思ってはいけない。
所詮、人の傘。嫌いになれば、はずされる傘である。

そして、日本人は、核は持たないだろう。
少なくとも、核兵器を持つような政府を、私は信じない。
心情的な面と、合理的な面から、私は許さない。

今年も、8月6日はやってくる。
もういちど、日露戦争が終わった後から敗戦までの政治の流れ、国民の考え、世界の流れを整理し、「先の不幸な戦争」と呼ばれるもの、過去のものにするべきである。

未来志向の外交(平和外交ではない)は、いつ、日本に生まれるのだろう?
それより、日本は、このさき、大丈夫なのだろうか。
そして、三原も、娘が大きくなるころには、どのような街になっているのだろう。

少なくとも、私が小学校1年生のころのみはらとは、今の三原はずいぶん変わってしまった。
もっと歳の人だと、もっと変わってしまったと言うだろう。

小早川隆景公なら、どんなことを言うだろう。
おもわず、空想してしまった。
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自己紹介
四代目(よんだいめ)
老舗パン屋の四代目として、三原に生まれ育ち、跡を継ぐ。 2010年に代表取締役社長就任。
社長になっても、なんだかんだいいながらイオン三原店の店長も兼務。
三原がふるさと。大阪がボケと突っ込みのふるさと。フランスが心のふるさと。
日本と広島と故郷の三原と我が妻と娘をこよなく愛する40歳。

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オギロパン イオン三原店
郵便番号 723-0014
広島県三原市城町2-13-1
TEL&FAX 0848-62-8800
営業時間 午前9時〜午後8時
定休日 年中無休(お店は)
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