2010年02月

2010年02月27日

 私のフランスでの修行先のシェフは、シャルル・バリエ氏のお弟子さんということだった。そこで作っていたパンの名前も「パン・ア・ラ・ファソン・ド・シャルル・バリエ」。ピエ・ド・コションも、よく作っていた(あまり好みの食べ口ではなかったのが残念である)。

 シャルル・バリエ氏は、日本で「フランスパンの神様」と言われている「レイモン・カルベル氏」と交友があり、カルベル氏の著作のパンの写真のいくつかはバリエ氏が作ったものだと、シェフから聞いた。
 また、カルベル氏のパン辞典の日本語訳のコピーを読んだことがある(手元にあるが・・・)。これがまた、ずいぶん科学的ですばらしく役に立つ代物であった。

 たった1年弱のフランス留学で、しかもパン屋でパンを焼かなかったが、そのレストランで学べたことは、今は宝物のような時間になっている。

 フランスで学んだことは、パンの技術ではなく、ヨーロッパの食文化ではなかったのか、と思うときがある。
 口に入るものは、すべて口に入れた。味を頭に叩き込んだ。それが嫌いな風味であろうとも。

 いまでも、豚の血で作ったソーセージや、羊の脳でつくったフライの味は忘れない。脳は旨かったが、見かけは・・・泣きそうだった。

 日本の食材でも、まだ食べたことのないものがたくさんある。世界になると、もっとある。
 まだまだ、この世は楽しめそうな予感がする。

 味というものは、口にして感覚に焼き付けないと覚えられない。作ってみないと、感覚がわからない。そういった面では、かなりあやふやなものなのかもしれない。パンに限らず、食べ物はすべてそうなのかもしれない。

 だから、食べ物を扱う人と話をすると、業種は違う場合でも話が通じる場合が多いような気がする。和食だろうと、フランス料理だろうと、中華だろうと、ラーメンだろうと、洋菓子だろうと。底に流れるものは、やはり「味わい」であるので、共通するものがある。

 そういえば、バリエ氏には会ったことがないが、洋菓子で有名なルコント氏には、修行先のレストランでお会いしたことがある。突然厨房に現れて、ブリオッシュをつくって、それに詰め物をした料理を作ってたっけ。当時はルコント氏をまったく知らなくて「陽気なおじさんが来たなぁ」なんて、失礼なことを思ったっけ。今思えば、そのときにいろんなこと聞いておけばよかった・・・。

 過ぎたるは及ばざるが如し。

 そのときそのときの出会いを、最大限有効にすることが、後悔しないことなのかもしれない。
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2010年02月21日

☆注意☆
今日の記事は、三原市の八天堂さんに触発を受けて書いた記事、ではなく、自らの修行先についての批評記事をよんだことに若干の違和感を感じて書いたものです。こんな気遣いをしなければならないのか、疑問ですが・・・。
私は八天堂さんの商売は「すごいなぁ」と思っています。すくなくとも、うちじゃ、あれほどの話題性のある展開はできないでしょうねぇ・・・。


 私の修行先は「クリームパン」でとっても有名なお店である。

 そんな関係か、クリームパンについて考えることが数点ある。

 クリームパンの大切なことは何だろうか。
 クリームパンとしての、パンとクリームの一体感だと思う。

 こう考えた場合、パンはクリームを支え、クリームはパンに寄りかかる互助作用が必要と思われる。クリームだけ食べても、パンだけ食べても、それぞれが成り立つ上に、合わせることで相乗効果を生み出すようなパンが、上質なクリームパンといえるのかもしれない。

 クリームパンのクリームは、若干古めかしい「カスタードクリーム」で、洋菓子系のさらっとしたクリームではない。パン屋のカスタードクリームである。パン屋と洋菓子屋のカスタードクリームの差は、職人的に言うと「コーンスターチ」などのでんぷん質をどのくらい加えるか、という点で差がつく。
 洋菓子屋のほうがコーンスターチが少なく、さらりとしている。パン屋はもったりしている。これはたんなる食べ口の差にしかならない・・・はずなのだが、そうでもない点もある。

 とても重要な点として、「カスタードクリームの再度火入れ」という点があるように感じる。つまり、パン屋のカスタードクリームは「パンに包む&オープンで焼く」という、2度目の火入れ工程が入ってしまうということである。
 これは風味上ダメージが大きい。なにしろ「香り」というものは「分子」である。「分子」は熱を加えると活発に動き出す。つまり「香り」が飛んでしまう。カスタードの主要な香りとして「牛乳」と「卵」が考えられるが、その両方とも繊細な香りであり、熱には弱い。

 では、香りが保持されるクリームパンはどのような形式か、となると、最近人気のクリームパンのように、パンが焼き終わり、あとからクリームをつめる「シュークリーム方式」が最善の策と思われる。そう、香りや風味を最優先にすれば、そうならざるを得ない。

 しかし、どれかを優先すると、なにかが欠ける。再度、火を通すことで、風味は失われるが、保存性は増す。つまり、クリームパンを常温保存した場合、若干日持ちがする(若干、である)。

 では、某大手のクリームパンはどうなのか、という話もある。常温でかなり持つではないか、と。
 この場合、内容物表示をしっかり読めば、かなり良くわかる。簡単に言うと、加工された乳や卵を使い、適切なPh調整剤などを使用すると、常温でも日持ちするクリームが作ることができる。食品衛生法でも問題はないし、安全である。ただし、風味はかなり劣る。その劣った風味を香料などで補填し、味を確保するのである。
 日持ちしないものを日持ちさせることは、不自然なことなので、不自然な手当てを行わないと、成り立たないのである。

 さて、かなり遠回りしてしまったが、直球で言うと、こうなる。

「まともなクリームパンをまともに作ることは大変難しい」

 オギロパンのクリームパンはまともじゃないのか、と言われそうであるが、私から見ると、まともなクリームパンである。
 ただし、パン屋としてまともであり、パンとクリームのコンビネーションで言うと、中の上あたりであり、洋菓子屋のカスタードクリームとは勝負にならない。しかし、大手のクリームパンとは勝負できる。

 わたしの修行先のクリームパンは、私としては衝撃的なクリームパンだった。たった15年ほど前には、そのクリームパンは、びっくりするほど旨かった。もちろん、今でも旨いが、15年前に、それほどのクリームパンは世の中にはなかったのではないだろうか。
 すくなくとも、私にとってはオギロパンよりもずいぶん旨いクリームパンにめぐり合ってしまい、度肝を抜かれたものである。
 
 そんな私が、数回ジャスコ三原店で、クリームパンを作ったことがある。ひとりで作っていたため(しかも、通常メニューに上乗せで・・・)、1日300個弱が限界であった。前日のカスタードを炊き、当日に一生懸命つめて焼き、夜に翌日のカスタードを炊いていた。
 商品として評判は良かったのだが、私が参ってしまった。体力的に。

 私としては、そのときに作ったクリームパンには、若干不満が残る。
 まず、卵・牛乳の質が、普通で、もっと上質な卵・牛乳を使うことにより雑身を排除でき、透き通った味のクリームを作ることができる。これが結構重要。風味豊かな卵・牛乳を適切な手順で適切に炊くことで、おいしいカスタードを炊くことが、おいしいクリームパンには必須条件なのである。
 クリームパンに整形し、再度オーブンで火を通すのだから、劣化する風味を計算に入れて、クリームの風味は最上にしておかなければならない。しかも、劣化する風味は無駄死なのだ。もったいない・・・。

 炊き立てのクリームは、すばらしくおいしい。そんじょそこらのプリンに負けない。それを再度火入れしなければならない、クリームパンの宿命をうらむしかない。

 おいしいクリームパンとは、まともに作ろうと思うと、案外大変なのである。
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2010年02月17日

 尾道に行った帰りに味龍によってみると、メニューに「マルチョウ」入りのラーメンがあった。

炙りホルモンらぁめん 真剣ガチもつ(830円)※ミニライス付き
味龍 スタミナ 自慢の自家製麺。スープには辛子味噌が入っている。一口目は酸味を感じるが、食べ進めてゆくとうまみを感じ、最後は甘みと辛さ。全く塩辛くなく、インパクトのある味だった。
 具は主役のマルチョウ。炙ってあるものが4つ。こちらがなかなか美味しい。甘みのあるマルチョウだった。
 野菜はモヤシ、キャベツ、ニラ、玉ねぎ、人参。これらの野菜のおかげか、スープに甘みがある。野菜いっぱい食べられて、なかなかいい。
 トッピングに白ゴマがあり、アクセントになっている。

 ホルモンを使ったラーメンは、秀さんとこのものが頭に浮かぶ。やはり白ご飯がよくにあう。こちらのラーメンにも、ミニライスが付いてきた。麺を食べ終えた後、野菜とホルモンをおかずにご飯を食べる。スープを飲む、などの楽しみ方ができる。

 どんぶりが今風で、口が小さく深いタイプのもの。このタイプのどんぶりは、あまり好みではないが(スープをレンゲで飲むほうが向いている。どんぶりから直に飲みたいの・・・)、具材がとりやすいのかもしれない。

 味龍のラーメンは、若干上品かなぁと思っていたけど、この炙りホルモンらぁめんはパンチがきいていて、いいなぁ。
 ラーメンは、若干品がないくらいが、おいしいなぁ。

 逆に、ぴちーっと品よく、凛としたラーメンもあったりして、それはそれで、とても好きなんだけど…。

ミニライスが付いてくる
100216-204628

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2010年02月16日

 ファンシーフリーというお好み焼き屋さんにしてはちょっと不思議な名前を持つお店に、美味しいモダン焼きがある。
 英語でfancy freeとは「好き勝手な」という意味がある。
 そういう意味では、お好み焼きもいい意味で「好き勝手な」感じなのかもしれない。マスターが音楽がお好きなようで、音楽のほうから名前を付けられたのかもしれない。

スペシャルチリ味(500円) ※写真はそばダブルで、600円
100216-124816 三原のお好み焼きの伝統(?)である「焼きそばをつくって、お好み焼きにする」タイプのモダン焼き。スペシャルチリ味は、特殊なチリパウダーを振りかけていて、とてもホット。
 辛口の好きな人には、力いっぱいおすすめする一品である。

 このスペシャルチリ味を、熱い鉄板の前でこてを使って、ふぅふぅ言いながら汗をかきかき食べると、とっても美味しい。
 いつも忘れてしまうのだが、タオルが必須アイテムである。

 500円ぽっきりで玉子2つ、豚バラ、タコ、のしいか、生イカが入り、具だくさんである。お好みとは、やはり気安い食べ物であり、ラーメンと同じくあまりにもゴージャスだと、なんだかよそよそしい感じになってくる。それはそれで一つの魅力ではあるが、気安い食べ物として、この価格でこのお味は、かなりお得である。

 そして、このお店では「ゴールド」ではない「スマック」が置いてある(100円)。三原を堪能するうえでは、お好み+スマックは、ノスタルジーにあふれている。
 
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2010年02月04日

 お好みを食べた。303(さんまるさん)のモダン焼きである。

モダン焼き (650円) 写真はそばダブル(ダブルは100円増し)
303のモダン焼き キャベツはざく切り。ソースはカープソース。マヨネーズはついてない。
 モダン焼きは、いわゆる「肉・玉・そば」である。なんで三原だけ「モダン焼き」って言うんだろう・・・。不思議な話である。

 さて、今回は配達していただいたが、やはりお店の鉄板の前に座って、こてを使ってふぅふぅ言いながら食べるのが、お好み焼きの食べ方としては一番おいしいと思う。
 
 三原市にはたくさんのお好み屋さんがある。毎日1軒づつ食べても、数か月かかる。そんなわけかどうかわからないが、人によって「メインのお好み屋さん」はさまざまである。
 だいたい家か職場の近所の店がメインになるような気がする。

 皆実・宮浦地区は人口が多いせいか、お好み屋さんも多い。
 この地区だけ全部回ることは可能かもしれないが・・・。

 
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 三原の古いラーメン屋さんと言えば、来来軒・自由軒が有名だけど、味八も古くからやっているお店である。
 昔は駅近くに店があり、20年ぐらい前に皆実に移転した。
 当時のお店はカウンターだけだったような気がする。席も8席あるぐらいだっただろうか。カウンターの上にはラップのかかったおにぎりが置いてあった。

 当時からあまりスタイルは変わっていないような気がする。ラーメンもおにぎりも。

ラーメン (500円)
味八のラーメン 味八のラーメンは「中華そば」的な、いい意味での古さがある。適切な味のバランス。必要最低限の美しさ。
 スープは若干茶だくしている。豚骨+鶏がらだろうか。野菜の甘さも感じる。表面には脂が少し多めに浮かんでいる。
 麺はほそ縮れ麺で、さらりとすすれる感じ。縮れているので、スープとの絡みもよい。
 具はしゃっきりとしたメンマ(これはとても美味しい!)、丁寧に仕込まれたチャーシュー2枚(赤身とバラ)、たくさんのネギ。
 
 ラーメンの基本とは、かくあるべし。という感じである。
 適切に美味しい。毎日食べれるラーメンである。
 こういったラーメンにはおにぎりがとてもよく似合う。

 そして、三原のラーメン屋につきものの「おでん」も置いてある。
 私はあまり食べないけど・・・。

 こういうラーメン屋さんでは、年輩の方が餃子やチャーハンをあてにしてビールを飲んでいる光景を見かけたりする。なんだか、年輩にならないと醸し出せない雰囲気があり、とても好きである。ラーメン屋の大将と世間話をしてたり、テレビをみて「ありゃー、どうなっとるんかのぅ」なんてつぶやいてみたり、いい感じ。

 そんな空気の感じる古いお店は街にとって貴重な存在だと思う。

 ラーメン道を突き進む店もあれば、街に溶け込む店もある。どちらがどうということではないが、両方とも三原にはあるということは、とても幸せだと思う。
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2010年02月03日

 また今年も節分がやってきた。

 三原に「鬼の豆」という、「子どもたちにお菓子をばらまく」システムがあることは、何度も書いているような気がする。

 今年も、昨日「鬼の豆」を用意した。

一口ラスク (今日は無料!)
100202-181247 フランスパンを一口サイズに切り、軽く水気を飛ばすために一度オーブンに入れて焼く。冷めたら、とかしたバターをまんべんなくかけ、グラニュー糖をまぶし、再びオーブンで少し焦げ目がつくぐらい焼きこむと、できあがり。

 ジャスコ店と本店で「鬼の豆」をもらいに来た子どもたちに、差し上げようと思っています。

 しかし、この「鬼の豆」ですが、どうやら問題もいくつかあるようです。
 あげる側ともらう側の両者が、お互い納得できるような環境であれば、そんな声も上がらないと思うのですが。

 私の場合、三原の子どもたちに、この珍しい「鬼の豆」という風習を体験してもらいたいから、やっています。そんな三原の子どもたちが大きくなって、お店を持った時、こんどはあげる側に回って、子どもたちにふるまってほしいですね。
 そういう循環が、世代を超えたつながりを生むのではないか、と思います。

 はてさて。今年は何人の子どもが、この僻地にあるジャスコ店と、本店に来ることやら…です。(笑)
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2010年02月02日

 仕事をしている最中、携帯電話に電話がかかってきた。手が離せないので、コールをしばらく放置していると、30コールぐらいしてやっと切れた。
 いったい、誰が?緊急の用事?

 とりあえず、そのまま仕事を続ける。
 緊急の用事としても、この作業が終わるまでは、待ってくれるはずだ。命にかかわるほどの用事が、私にあるとも思えない。私は医者ではなく、パン屋なのだ。

 さて、その後、店の固定電話にかかってきた。
 ・・・父だった。3代目親分(現:会長、と呼ばれる、代表取締役)である。

父:「さっきの。商工会議所にいったら、手のひらに乗るようなパソコンで、やりょうたんじゃ」

私:「ふーん(きっとiPhoneのことなのだろう・・・と察する)」

父:「それでの。わしゃー、最近、暇じゃけーの。」

私:「うん。(いや、暇じゃーないやろ・・・。というか、暇じゃー困るねん)」

父:「パソコン、覚えようか、思うとるんじゃ。何がいるんかのー」

私:「え??パソコンで何するつもりなん??」

父:「いや。時代についていけんかったら、はずかしいじゃろーが!」

私:「ええやん。時代についていけんで。お父さんらしいよ。」

父:「ばかたれが。はずかしい、いよーるじゃろーが!なにがいるんなら〜」

私:「会社にパソコンぐらいあるんやから、なにもいらんよ」

父:「ほーか。なにもいらんのか。ほんじゃ、ええわ(がちゃ)」

私:「・・・(ええんかいっ!!)」

 ひとしきり、仕事の邪魔をされた挙句、勝手に解決されてしまったのであった。

 ともかく。パソコンなんてものは、道具なのだから、その人が「必要と思う」ことがあれば、使い方を覚えたらいいのである。

 動機が不純であるならば(たとえば、時代についていけない・・・なんて)、覚える必要もない。そんなひとは、時代についていかないほうが、よっぽどその人らしい生き方ができるだろうし、その人らしいのである。
 難しい言い方をするならば、パソコンとは若者が作り出したプロトコルなのである。それを年長者が覚えようとするのは、人類社会では「逆行」というものだ。年長者は、腰を落ち着けて、従来どおりで「近頃の若いもんときたら」なんて小言を言っているほうが、それらしいし、そういった役割をするものが、年長者なのだと思う。

 特に、わが父の場合、携帯電話も前世紀にぎりぎり取れるようになったのに、パソコンだなんて、今世紀中、いや、存命中に習得できるか、かなり不安である。それより、携帯電話のメールを打てるのだろうか?きっと打てないはずだ。

 もっと、時代に乗った新しいことではなく、従来からある、父にとって新しいことを求めるほうが、父にはいいのかもしれない。
 パソコンは、ほっておくと、学習したものが、あっという間に古いものになってしまうのだから。そのスピードに追いつけない者は、たかだか道具の扱いに徒労を覚えるだけである。

 道具は道具として、その人の目的を遂行するためにある。

 ・・・目的が「時代についていく」なら、それはそれで、目的を遂行しているのかな?うーん。
Comments(2) | TrackBack(0) │   (22:32)

 今日、小学生の姪の宿題を眺めていた。

 一生懸命「分数」を考えている。分数なら、確かに小学校のころやったなぁ、と思いながら、眺めていた。
 しかし、である。その直後、妙ちくりんな用語が飛び出してきた。

「概算」

 うん?がいさん?なんじゃそりゃ?
 小学校の頃、そんなもの、習ったか?

 例題として(記憶あやふやだが・・・)、こんなものがあった。

「あなたは2352円持っています。831円のものを買いました。今、いくら持っていますか?」

 かなり乱暴である。
 もち金が端数があるのは、良い。831円のもの、というのが、現実味に欠ける。消費税5%として、税抜き、いくらの商品やねん・・・。
 まぁ、いい。この問題は。
 結局、1000円払って、831円のものを買って、お釣りが169円。残金の1352円と足して、1521円が手持ちのお金、ということになる。
 でも、これって、概算?

 次に、こんな問題(また、記憶があやふや)。

「3300かける280は?」

 えー!素直にかけてしまいそうになる。
 でも、概算の考え方では3000かける300で、900,000。
 えー??でもー??

 そんなわけで、その「概算」なるものを調べてみると、論文が見つかった。

https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/1705/1/Education097-09.pdf

 なに?その数字を「まるめる」という表現は?
 要は、概算とは「適当に、それぐらいだとわかること」なのかな?

 だったら、最初に「最小単位」の指定をしてもらわないと、問題としては困る。回答をどうしたらいいものか。
 これでは、問題が悪い。出題者に反省を求める。 

 たとえば、出生率を計算するときの方法というものがある(正確には、合計特殊出生率、というらしい)。難しい話は下記URLを参照のこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E8%A8%88%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%87%BA%E7%94%9F%E7%8E%87

 計算はややこしいが、前提として「女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと規定」している。
 とりあえず、その前提の是非は置いておいて、前提としての区切り(最小単位)が無いと、適当な数字は出てこないのである。

 確かに「概算要求」とか、予算で言うと、適当にそれぐらい、なのだけれども。

 最近の小学生は、面倒である・・・。んなもん、大人になって、いい加減になったら、自然に身につくもんとちゃうの?

 職業柄、数字を適当に扱うときと、細かく扱うときの場合がある。
 たとえば、小麦粉1キロから「だいたい」菓子パン50個作ることができる。注文が45個入ったとしても、計算が面倒くさいから、小麦粉1キロで仕込む。50個できる。5個あまる。
 この場合、仕込みの段階で「概算」である。480個注文が入ったら、小麦粉10キロで仕込むのである。20個あまるが、小麦粉1キロで50個取れるのだから、小麦粉9キロでは足らなくなってしまう。
 しかし、販売のときに、「だいたい480個ぐらい」なんていっていたら、大変なことになってしまう。こちらは、細かくいかなければならない。当たり前である。

 と、いったわけで、いまどきの小学生って、算数でなに学んでいるんだろう、というのが、今日の私の感想である。

 昔から「読み、書き、そろばん」と言う。そろばんは算術。もちろん、そろばんで「だいたいの数」は計算できない。そんなものは、細かいことができるようになって、くだけて、大まかな数字を出すようになるのが、順序というものだ。
 
 概念で「教える内容」を決めているのだろうか。これこれを教えなければならない。たとえば「分数」「小数」・・・。確かに、基本的な数字の概念を教えることは重要である。しかし、基本的でない「概数」は必要なのか。

 そんな適当なことまで、手取り足取り教えるというのも、少し考え物なのかもしれない。

 そういえば、中学になり、英語で一番最初に習うのは、「This is a pen.(コレハペンデス)」。
 私に言わせれば「「This is a hen.(コレハへンデス)」。
 この世の中で「これはペンですよ〜」なんて言う場合は、そのペンが「どう見てもペンでない形」をしている場合にしか使わない。つまり、ペンでないようなものにしか、使えない言葉である。そして、日本語ですら、そんな奇特な場面に遭遇したことがない。
 もしも、相手にとって当たり前のものであれば、そのあとに「これはペンですか?」なんて聞いた日には「あなた。これがペン以外の何に見えるのですか?」と聞き返されそうである。

 良くある例文であれば「これはペンですか?」「いいえ、これは鉛筆です」となるので、これが日常であれば、相手に「こいつは、鉛筆とペンの区別もつかないやつだ」と、あとで笑い話にされるだけだ。

 うん?

 概算から、話がとんでしまったのだろうか?
 いや。「だいたい」の事についての話なのだから、内容は「適当」でいいのである。
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2010年02月01日

 例によって、ブログにて、2月のオギロパン ジャスコ店の「フランスパンを焼く日」をお知らせしたいと思います。
 今月は「お客様感謝デー」が土日にはまり込んでおりますので、土日祝日に焼きます。

 2月6・7・11・13・14・19・20・21・27・28日です。

 ちなみに、19・20・28日が今月の「感謝デー」です。
 残念ながら、当店では5%オフはやっておりませんが、笑顔が5%オンになります。これで勘弁してください・・・。(涙)

 さて、あさっては「節分」です。

 三原名物「鬼の豆」です。

 昨年、一昨年は土日と重なり、街が子どもたち(&おかあさん。&おとうさん、ではないのは、なぜなんだろう・・・)であふれかえっていました。しかも、雪の中・・・。
 
 今年の当店&本店(皆実)では、昨年同様「ある程度」のものと量はご準備をいたしております。
 
 ある程度、とはいえ、味には自信があります。
 商品化していないだけの「一口ラスク」です。

 ネット通販などで最近「ラスク」が売れているようですが、当店の一口ラスクは、ネット通販に乗せられないしろもので、賞味期限が翌日まで・・・という、大変やっかいなラスクです。食べられないことはないのですが、魅力が激減してしまうので「隠し玉」としてもっています。

 あと、三原じゃ売れない「ドイツパン」とか、三原じゃ売れなかった「クグロフ」とか、作る気だけは満々の「クロワッサン」とか、形が不ぞろいなので売るのが躊躇する「リュスティック」とか、売価が半端じゃなくなってしまう「カスクート」とか、隠し玉はたくさんあるのですが・・・。

 ともかく、今年の「鬼の豆」は「一口ラスク」で決まりっ!
 数量限定ですので、よろしくお願いいたします。

 
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 三原駅の西側、新幹線の高架下に「石亭」という鉄板焼き屋さんがある。姉妹店が尾道にもある。かなり昔からある。昔は表に金属製の「中国新聞掲載記事巨大化看板」を掲げており(現在は表にはない)、そこに書いてある特徴は現在も変わっていない。

 さて、その「石亭」で昼ご飯を食べてきた。日替定食が750円。野菜たっぷりの鉄板焼きにご飯+味噌汁。鉄板焼きをポン酢醤油につけながら、いただく。かなりボリュームがある。モヤシなんて2パック程度は使っているのでは?

日替定食 (750円) ※写真は2人前(しかも、少し食べてなくなってます)
石亭日替定食2人前 敷き詰められた野菜の上に鶏肉・豚肉・牛肉、脇にイカ入り卵焼きが配置されている。座敷に座ったので、鉄板はカセットコンロの上に乗っていて、食べている間もアツアツ。これなら、カウンターとあまり変わらない。カウンターなら、もちろん鉄板の前だから、アツアツである。

 外食すると野菜が取りにくいが、ここならば野菜をがっつり取れていいかもしれない。野菜に含まれる成分は、塩分の取りすぎなどを抑えるし、食物繊維もしっかりとれて、腸にいい。肉の脂が野菜に絡まり、ガッツリとした味わいもある。鉄板焼きならではのメニューかもしれない。

 鉄板焼きといえば、お好み焼きも鉄板焼き?
 野菜もたっぷり食べれて、あちらもヘルシー。

 お好み、食べたいなー。

石亭 メニュー
石亭 メニュー

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自己紹介
四代目(よんだいめ)
老舗パン屋の四代目として、三原に生まれ育ち、跡を継ぐ。 2010年に代表取締役社長就任。
社長になっても、なんだかんだいいながらイオン三原店の店長も兼務。
三原がふるさと。大阪がボケと突っ込みのふるさと。フランスが心のふるさと。
日本と広島と故郷の三原と我が妻と娘をこよなく愛する40歳。

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オギロパン イオン三原店
郵便番号 723-0014
広島県三原市城町2-13-1
TEL&FAX 0848-62-8800
営業時間 午前9時〜午後8時
定休日 年中無休(お店は)
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