お好み焼きについてのなんやかんや

 個人的には、お好み焼きと言うと、昼ご飯というイメージがある。
 高校の時とか、土曜日のお昼に食べに行くような。

 もっと小さい頃は、お好み焼きと言えば、父の焼くものだと、思っていた。
 それ用の鉄板も用意されていた。鉄工所で作ってもらったと聞いている。

 そのせいか、私自身も、食べたい時は、自分でお好み焼きを作る。
 さすがに鉄板はないので、ホットプレートを使用するけど。
 それが面倒な時は、「おみ吉」に食べに行ったり、「たくちゃん」を持ち帰りしたり。
 実家では、持ち帰りの定番は「ムーミンハウス」だったかなぁ。

 それはさておき。

 白井のお好み焼きの事を書いた事によって、三原のお好み焼きに、すこし興味が出てきた。

 白井のお好み焼きは、どちらかというと、単純な逆行で、簡素化の結果、生まれたカタチに思える。焼き時間も短縮できる上に、味覚的・ボリューム的に変化が少ない。
 白井のおばちゃんが「間違えて作った・・・」と言っているから、本当に間違えて作ったのだろう。それが支持されたので、定着したような感じかな。

 お好み焼き屋さんは、基本的なスタンスとして、「店でもしょーか。まぁ、お好み焼き屋でもしょーか」的な、なんというか、「プロの仕事」としての「店」でない場合が多いような気がする。

 もちろん、感覚的に多いような気がするだけで、そうでない「プロの仕事」としての、安定的供給のできる店もちゃんとある。それは、これだけ外食産業が盛んになったため出現した店であり、また、旧来のお好み焼き屋さんが進化したカタチでもある。

 でも、伝統的な基本は「お店でもしょーか、お好み焼き屋でもしょーか」である。
 であるので、店によるお好み焼きの形式の差が激しい。どこがどのように繋がっているか、歴史的背景や、その過程を探る事が難解な業種である。
 また、街の人の流れの変化や、経営者の高齢化などで、かつて繁盛していたのに、現在では廃業した店もあるだろう。

 正確に知ろうとする場合、地道なデータの拾い上げを行う必要がある。もちろん、それを専門に扱った本などないので、例えば古い電話帳や、古い街の地図や、古い写真から、情報を拾い集めることになるのだろう。これは社会史の分野になる。

 あえて、ソースで考えるのなら、テング、オタフク、カープが、三原のお好み焼きに使われるソースの3本柱だろうか。

 テングを使っているお店は、古いかもしれない。老舗「てっちゃん」のソースのベースは、テングだと思われる。なにしろ、テングソースは、三原の中間醸造。地元のソース。
 オタフクは、標準的に使われていると思う。早くから規模の大きくなった会社なので、県内では、それほど珍しい存在ではない。
 カープは、新規店に多いような気がする。カープソースは三次市の毛利醸造製なので、流通がよくなった現在では、当り前に手に入るが、少なくとも昭和の時代には、三原では見たこともなかった・・・と思う。

 ソースは、多分、いろんな所でたくさんの醸造会社があったと思う。
 地酒や、地醤油のように、地ソースがあったのでは?
 それが、淘汰されてしまい、地の醸造会社も少なくなってしまったのだろうか。

 そう思うと、三原にとって、テングソースとは、宝物だと思う。
 地ソースがあるというのは、三原人として、とても嬉しいし、残っている事を誇らしく思う。
 贅沢を言えば、「特選テングソース」とか、材料を現代の流れにそって選択したソースがあったらいいなぁ。とっても嬉しいなぁ。そうなると、三原の宝物以上の存在になるような気がするなぁ。

 そういえば、小さい頃(軽く25年は遡る)、我が家でのテンプラは、テングソースをつけてたっけ・・・。
 真っ黒なドロッとしたソースに対して、「ウスターソース」をソースと思っていた私は、強烈な違和感を感じた記憶がある。ウスターソースとも違う、醤油とも違う、「ソース」と呼ばれる真っ黒なドロッとしたもの。そう感じていた。
 
 強烈なドロッと感は健在である。
 でも、若干ドロッと感は、弱くなったように思えるのは、最初の衝撃が大きかったからだろうか。

 ちなみに、オギロパンでも、テングソースを使ってたりして。
 コロッケパン。焼そばパン。カツサンド。
 とても良いアクセントのある味になります。スパイシーな「辛口」使用です。
 ・・・あ、無理矢理、仕事に繋げた。(笑)
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