マリンロードから桜山

0a1614c6.JPG JR三原駅から、三原港をつなぐ通りが、マリンロード。そこに立って、北側(JR三原駅方向)を眺めてみた。

 駅の裏には、マンションが建っている。その後ろには、昔から変わらぬ姿で三原を見下ろしている「桜山」がある。桜山は、春になったら山全体に桜が咲く訳ではなく、昔は山城が山頂にあり、その城主が「桜山氏」だった、と、聞いた事があるが、定かではない。

 マリンロードから眺めると、マンションが鎮座する風景は、「今時の地方都市」と言う感じ。
 駅から駅前広場を眺めると、これまた「今時の地方都市」の典型である、活気のない駅前と、消費者金融の看板の洪水。

 こんなものだ、と、思ってはみるけれど・・・。
 これでいいのか、とも、思う。

 昭和の時代に比べ、三原駅の乗降客は半減していると言う。乗降客が少なくなれば、駅前のにぎわいはもちろん低くなる。これも、時代の流れ。
 昭和40年代頃は、三原駅から帝人通りにかけて、そして、三原駅からマリンロードを通り三原港にかけては、にぎわっていたと言う。人の流れがあったからこそ、にぎわっていた。

 すっかり車社会化が進み、地方都市こそ、歩く事を忘れてしまいそうな人たちが多い。
 歩かないのに、歩く必要のある中心街が活性化するというのは、通常の発想では、不可能に思われる。

 ふと、ヨーロッパの街を思い出す。
 旧市街は、車の乗り入れが制限されて、人々は歩き、町中は活気がある。車は旧市街の外縁の駐車場に置き、町中に入るようになっている。パーク&ライド、である。
 で、旧市街のそばに、新市街が広がり、大型ショッピングセンターなども並ぶ。
 ヨーロッパでは、旧市街と新市街が共存した都市設計がなされている。

 しかし、これも、ヨーロッパの人の伝統を大切にする意識がそうさせるのだから、すっかり日本に移行させると言うのも、無理な話。

 だから、古き良きものも、あっさりと取り壊し、無節操な建築物であふれかえる。あふれかえっても、飽和しているから、空きテナントなどが増える。結局、無節操な街になってしまう。
 景観がどうのこうの、という話もあるが、景観よりもなにより、街が生きていない。街が効率的でない。暮らしにくい。

 街作りを考える事は、いかに住民にとって住みやすい街であるか、という点が大事であり、その為には、具体的に街の姿を描く必要があると思う。そして、その「住民にとって住みやすい街」という姿は、住民がなにを求めるかで、変化していく。

 もし、仮に、住民が「なにも求めない」場合は、どうしたら良いのだろうか。
 もし、仮に、住民が「自分だけが住みやすい街」を求めた場合、どうしたら良いのだろうか。

 そういうときのための、「偉い人」が、三原にも存在しているんと、ちゃうん?

 三原にとって(いや、今の日本にとって・・・)、大切なことは、教育だと思う。
 学校教育ではなく、人間としての教育。
 まずは、家庭教育。親が子を育てる力。一人の人間として。一人の三原人として。

 学校を卒業する為の勉強は、大人になってからは、まったく役にたちません。
 そんな所に、親が重点を置くのは、子供が大人になってから、一人の人間として生きていくという構想がないからなのだろうか。

 夜9時頃の三原の街中、塾帰りの子供達を迎えに、たくさんの車が、道路に停まる。
 三原の街が、一番賑やかな瞬間なのかもしれない。
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