不完全じゃ、だめなの?

 とある掲示板で、イチゴの話が出ていた。
 イチゴに関しては、思うところがある。というより、果実。というより、食品。というより、世の中?

 イチゴは、酸味と甘みのバランスだと思うけど、最近よく店頭で販売されているイチゴは、どう考えても「生食したとき」に、一粒で味が完成してしまうようにできているような気がして(いや、作っているような気がして、かな?)、仕方がない。
 それはそれで、よいのだけど。
 イチゴの突出した酸味というのは、単体ではすっぱいだけかもしれないけど、熱を加えたり、ほかの食品と組み合わせたとき、そのイチゴのすっぱさが必要な事例があるのではないだろうか。

 リンゴについても、同じことを思う。
 リンゴは熱を加えたとき、味が崩れる品種と、そうでない品種がある。もう、こうなったら、「生食用」と「加熱用」に分類したほうが良いのかもしれない。

 役割の細分化ともいえるだろうけれども、その食品の本来の姿は、もっと不変な実態で、熱を加えたり、ほかの食品と組み組み合わせたぐらいでは、その食品の持つ方向性は、変化しないものであってほしい・・・ような気がする。
 別に、細分化を否定するわけではないけど、本質は、そうであってほしい、というだけで。

 ものって、本当は不完全なものが、本質で、いろんな資質を補い合いながら、世界が完成しているんじゃないかなぁ、と、思う。
 料理とかって、テーブルの上で、その世界を「ちっちゃく完成」させている、小宇宙のような感じがする。

 小宇宙なので、大宇宙が、外側には存在する。
 宇宙があって、その中にたくさんの銀河系があって、そのたくさんの銀河系の中に、太陽系があって、その太陽系の中に、地球があって、その地球の中に、いろんな国があって、そのいろんな国の中に、いろんな食べ物があって・・・。
 そんな感じで、最小構成単位は、そのもの(というより、分子レベルまでいってしまうのかな・・・)自体の本質で、そこから枝葉のように、特性が分かれているような・・・。

 うーん。
 面倒くさい話になってしまった。

 とにかく、今のイチゴは、生食用に傾きすぎていて、イチゴとしては完成されているかもしれないけど、もうひとまわり大きな世界では、中途半端な存在になっているのでは、と、思ったわけで。

 いいんすよ。誰にも納得されなくても。イチゴ1個の事で、考え広げて、遊んでいるだけですから。

 そのとき「旨い」と思うことが、一番よいのです。
 そのとき「旨くない」と思ったら、変えたら良いわけで・・・。
 
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