責任の所在

 私は、33歳であるが、修行時代の4年間以外は、これまでずっと、オギロパンのお客様によって、生かされていると思っている。私の頭のてっぺんから足の先まで、オギロパンを食べていただいたお客様によって、成り立っている。そう思っている。
 そして、それは曽祖父の代からそうであったのだから、私の宿命といってもいいと思う。

 そう思うからこそ、わが仕事を天職だと思うのだし、三原の人においしいパンを食べてもらおうと、がんばってこれたのだと思う。

 なにかお店で起こったとき、その責任の所在はどこにあるのか。
 それは、すべて私にある。
 
 その責任を果たせなかったときには、やはり、自らの力の不足を思うし、未熟さを思うし、再び「私の宿命」を果たそう努力しようと思う。

 今日は、その責任を果たせなかったことに対して、自責の念でいっぱい。
 いいわけはしない。
 でも、この気持ちを残して、次につなげておきたい。
 それが、私の責任であるし、宿命。

 私の宿命とは、三原の人においしいパンを食べていただいて、笑顔を生み出すお手伝いをすること。
 
 そして、それは、言葉で伝えるものではない。
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