2006年06月17日
じゃじゃじゃじゃーん
最近、とあるきっかけがあって、ベートーヴェンの交響曲第5番を聴きなおしている。いわゆる「じゃじゃじゃじゃーん」。通称「運命」。
この曲は、超有名曲で、誰もが冒頭部分を知っている。
ただし、冒頭しか知らない人も多い。かなりもったいない話である。この曲は4楽章(4つの部分)から出来ていて、曲が最後に行くにしたがって、計算された開放感を得られる仕組みになっているので、最初だけ聴くと、憂鬱な部分(ある意味不快な部分)で終わってしまうことになる。これでは、たとえば推理小説で、殺人事件が起こったところで、本を閉じてしまうことと、同じことである。
そんなことなら、最後の部分だけ聴いたら解決部分だけ楽しめるではないか、ということになってしまうが、それは、落語のオチの部分だけ聞いて笑え、と、言われているのと同じこと。オチだけじゃ、笑えません。
この曲は、それほどまでに1つの曲として計算されている。まるで、フランス料理のフルコースのような感じである。満腹になれる。
さて、最初に通して聞いてから、かれこれ20年近くなるのだが、最近になってから、初めてわかったことがある。
上記にある「計算された開放感」について、稲妻が体を通り抜ける感覚で、理解できた。
これまでずっと引っかかっていたことが、第4楽章に出てくるホルンのメロディー。1度目の時には、すこしメロディが引っかかってる。それが再現部に登場する2度目にはすんなり歌われる。これが、とても不思議だった。どうして同じではないのだろうか、と。
でも、最近になって、もう1度よくよく聴き込んでみると、なるほどなるほど。
第1楽章の冒頭からの「不安感」が完全に払拭されるのが、第4楽章の再現部のホルンだったんだなぁ。そこで、閉塞感が、完全に開放される。
逆に言うと、第4楽章の1回目のホルンのメロディーは、引っかかっていなければ、意味が無い。引っかかっていること自体に、意味が込められている。
ちなみに、冒頭の完全なる不安定要素は、「じゃじゃじゃじゃーん」の出だしに、休符があること。つまり、「(休符)じゃじゃじゃじゃーん」ということで、とても演奏しにくい。演奏者を不安と緊張のどん底に陥れる、ベートーヴェンの仕掛けた罠ではないだろうか。
演奏者が不安と緊張を感じながら演奏する曲が、不安と緊張を感じさせないわけがない。
昔の有名な指揮者のフルトヴェングラーという人は、オーケストラの演奏者が「じゃじゃじゃじゃーん」の冒頭部分への入り方の合図がまったくわからないような指揮をしていたと聞いているが、それが解釈としてはベートーヴェンの真意をつく、至極まっとうものなのかもしれない・・・なんて思ったりして。
あ、そうそう。
ベートーヴェンの9曲の交響曲のうち、いまだに交響曲第6番「田園」の良さは、まったくわからない。友人にこの曲をとても愛する人がいるが、いつか話をする機会があったら、「田園」の魅力を教えてもらおうと思う。
そういえば、13日に指揮者の岩城宏之氏が亡くなられた。昨年と一昨年の大晦日の「振るマラソン」という企画において、一晩でベートーヴェンの交響曲9曲すべてを連続演奏するという偉業を残された。
岩城氏の死を悼みながら、岩城氏のエッセイをしばし読み返す日々が続く・・・。
この曲は、超有名曲で、誰もが冒頭部分を知っている。
ただし、冒頭しか知らない人も多い。かなりもったいない話である。この曲は4楽章(4つの部分)から出来ていて、曲が最後に行くにしたがって、計算された開放感を得られる仕組みになっているので、最初だけ聴くと、憂鬱な部分(ある意味不快な部分)で終わってしまうことになる。これでは、たとえば推理小説で、殺人事件が起こったところで、本を閉じてしまうことと、同じことである。
そんなことなら、最後の部分だけ聴いたら解決部分だけ楽しめるではないか、ということになってしまうが、それは、落語のオチの部分だけ聞いて笑え、と、言われているのと同じこと。オチだけじゃ、笑えません。
この曲は、それほどまでに1つの曲として計算されている。まるで、フランス料理のフルコースのような感じである。満腹になれる。
さて、最初に通して聞いてから、かれこれ20年近くなるのだが、最近になってから、初めてわかったことがある。
上記にある「計算された開放感」について、稲妻が体を通り抜ける感覚で、理解できた。
これまでずっと引っかかっていたことが、第4楽章に出てくるホルンのメロディー。1度目の時には、すこしメロディが引っかかってる。それが再現部に登場する2度目にはすんなり歌われる。これが、とても不思議だった。どうして同じではないのだろうか、と。
でも、最近になって、もう1度よくよく聴き込んでみると、なるほどなるほど。
第1楽章の冒頭からの「不安感」が完全に払拭されるのが、第4楽章の再現部のホルンだったんだなぁ。そこで、閉塞感が、完全に開放される。
逆に言うと、第4楽章の1回目のホルンのメロディーは、引っかかっていなければ、意味が無い。引っかかっていること自体に、意味が込められている。
ちなみに、冒頭の完全なる不安定要素は、「じゃじゃじゃじゃーん」の出だしに、休符があること。つまり、「(休符)じゃじゃじゃじゃーん」ということで、とても演奏しにくい。演奏者を不安と緊張のどん底に陥れる、ベートーヴェンの仕掛けた罠ではないだろうか。
演奏者が不安と緊張を感じながら演奏する曲が、不安と緊張を感じさせないわけがない。
昔の有名な指揮者のフルトヴェングラーという人は、オーケストラの演奏者が「じゃじゃじゃじゃーん」の冒頭部分への入り方の合図がまったくわからないような指揮をしていたと聞いているが、それが解釈としてはベートーヴェンの真意をつく、至極まっとうものなのかもしれない・・・なんて思ったりして。
あ、そうそう。
ベートーヴェンの9曲の交響曲のうち、いまだに交響曲第6番「田園」の良さは、まったくわからない。友人にこの曲をとても愛する人がいるが、いつか話をする機会があったら、「田園」の魅力を教えてもらおうと思う。
そういえば、13日に指揮者の岩城宏之氏が亡くなられた。昨年と一昨年の大晦日の「振るマラソン」という企画において、一晩でベートーヴェンの交響曲9曲すべてを連続演奏するという偉業を残された。
岩城氏の死を悼みながら、岩城氏のエッセイをしばし読み返す日々が続く・・・。



