2006年08月29日
焼肉の日って?
8月29日は「焼肉の日」だとジャスコさんのチラシに書いてあった。
いったい誰が決めたのだ・・・と、検索をしてみたら・・・
http://www.pulgogi.net/histry.html
全国焼肉協会という団体が、平成5年に制定したとのことで。
全国焼肉協会?ふーん。
じゃ、その「全国焼肉協会」って?
http://yakiniku.or.jp/
そ、そんな団体が、公式に存在するのですかっ!
びっくりである。
世の中には、いろいろな団体があるものだ。
その全国焼肉協会のサイトを、ぼんやりと眺め続けていると、どんどん焼肉を食べたくなるわけで・・・。
すっかりワナにはまっているような気がするけど、この際ワナにはまってしまってもいいかもしれない。
焼肉を食べることは、やはり幸せである。
焼肉といえば、一時期「焼肉は、肉を食べに行っているのだから、ご飯なんぞで腹を膨らませては邪道だ。ご飯は頼まん」と、私はご飯抜きで焼肉を食していた時期がある。
しかし、である。
肉だけを食べるのと、ご飯をちょこちょことほおばりながら肉を食べるのでは、焼肉の味わいがまったく異なることに、あるとき気がついた。
禁欲的に肉だけを焼き、口に放り込み、酒を飲み、肉を焼き・・・、の繰り返しでは、案外、肉が胃袋に量が入らない。あっという間に、口が飽きてしまうからである。肉の種類を変えてみても、口がすぐに肉の味で充満してしまい、飽き飽きである。
あるとき、あまりにも空腹のため、ご飯を1杯だけ頂こうと思った。
肉・肉・肉・肉とたべづづけたあと(間に「酒」が入るけど)、ご飯を一口頂くと、口の中の肉肉しさがさっぱりと洗い流され、再び肉・肉・肉・肉と、肉を胃袋に流し込めることに気がついた。
いわゆる、箸休めであるが、それは、キムチでも、酒でも、スープでもなく、ご飯が一番効果的である(私にはね・・・)。
よくよく考えてみれば、ご飯を自制したのは、焼肉のときに「ご飯を中心にしておかずとして肉を食べる」という自分の発想が気に入らなかったためであり、「お肉を中心に、ごはんを箸休めに食べる」という発想がなかったためであろう。
今から思うと、考えが甘かったといわざるを得ない。
これは、フランス料理にも言えることで、料理をたらふく楽しみたかったら、パンが上手な箸休め(箸は使わないので、フォーク休め?)になるし、寿司ならガリがその役割を果たすのだろう。
腹いっぱいの満足感を達成する食べ物について、ご飯の役割は重要であるが(おにぎりとは、その役割を最大限に生かした食べ物である、と思う)、ご飯とはその役割だけではなく、ほかの食材を生かすことにも長けた、すばらしい存在であることを認識させられるばかりである。
そういえば、もうすぐ、稲の収穫の時期。
実るほど頭をたれる稲穂かな。
我が心に刻み付けるべき日本人の美学だと思う。稲のようにありたい。
そして、私はそんなコメの国である「日本人のパン屋」なのである。
コメとがっぷり四つに組むような複雑な心境。
でも、パンも旨いが、米が旨い。米は大切な日本人の魂である。
そんな米の魂を心の柱に縛り付けながら、一方で小麦製品のパンを作る。
それが、「日本人のパン屋」のスタンスだと思う。
私としては米もパンも大切にしたいし、やはり旨い食べ物は幸福である。
いったい誰が決めたのだ・・・と、検索をしてみたら・・・
http://www.pulgogi.net/histry.html
全国焼肉協会という団体が、平成5年に制定したとのことで。
全国焼肉協会?ふーん。
じゃ、その「全国焼肉協会」って?
http://yakiniku.or.jp/
そ、そんな団体が、公式に存在するのですかっ!
びっくりである。
世の中には、いろいろな団体があるものだ。
その全国焼肉協会のサイトを、ぼんやりと眺め続けていると、どんどん焼肉を食べたくなるわけで・・・。
すっかりワナにはまっているような気がするけど、この際ワナにはまってしまってもいいかもしれない。
焼肉を食べることは、やはり幸せである。
焼肉といえば、一時期「焼肉は、肉を食べに行っているのだから、ご飯なんぞで腹を膨らませては邪道だ。ご飯は頼まん」と、私はご飯抜きで焼肉を食していた時期がある。
しかし、である。
肉だけを食べるのと、ご飯をちょこちょことほおばりながら肉を食べるのでは、焼肉の味わいがまったく異なることに、あるとき気がついた。
禁欲的に肉だけを焼き、口に放り込み、酒を飲み、肉を焼き・・・、の繰り返しでは、案外、肉が胃袋に量が入らない。あっという間に、口が飽きてしまうからである。肉の種類を変えてみても、口がすぐに肉の味で充満してしまい、飽き飽きである。
あるとき、あまりにも空腹のため、ご飯を1杯だけ頂こうと思った。
肉・肉・肉・肉とたべづづけたあと(間に「酒」が入るけど)、ご飯を一口頂くと、口の中の肉肉しさがさっぱりと洗い流され、再び肉・肉・肉・肉と、肉を胃袋に流し込めることに気がついた。
いわゆる、箸休めであるが、それは、キムチでも、酒でも、スープでもなく、ご飯が一番効果的である(私にはね・・・)。
よくよく考えてみれば、ご飯を自制したのは、焼肉のときに「ご飯を中心にしておかずとして肉を食べる」という自分の発想が気に入らなかったためであり、「お肉を中心に、ごはんを箸休めに食べる」という発想がなかったためであろう。
今から思うと、考えが甘かったといわざるを得ない。
これは、フランス料理にも言えることで、料理をたらふく楽しみたかったら、パンが上手な箸休め(箸は使わないので、フォーク休め?)になるし、寿司ならガリがその役割を果たすのだろう。
腹いっぱいの満足感を達成する食べ物について、ご飯の役割は重要であるが(おにぎりとは、その役割を最大限に生かした食べ物である、と思う)、ご飯とはその役割だけではなく、ほかの食材を生かすことにも長けた、すばらしい存在であることを認識させられるばかりである。
そういえば、もうすぐ、稲の収穫の時期。
実るほど頭をたれる稲穂かな。
我が心に刻み付けるべき日本人の美学だと思う。稲のようにありたい。
そして、私はそんなコメの国である「日本人のパン屋」なのである。
コメとがっぷり四つに組むような複雑な心境。
でも、パンも旨いが、米が旨い。米は大切な日本人の魂である。
そんな米の魂を心の柱に縛り付けながら、一方で小麦製品のパンを作る。
それが、「日本人のパン屋」のスタンスだと思う。
私としては米もパンも大切にしたいし、やはり旨い食べ物は幸福である。


それじゃあ「パンの日」というのは無いのかな?と

