タコのまちの将来

 本日の中国新聞(備後版)のワイドびんご欄に、こんな見出しが。

「タコのまちピンチ」

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200608300005.html

 予想された結果ではあるのだけれども、三原市は呉市にタコの漁獲高を追い抜かれたそうだ。

 合併により、島嶼部の面積が増大したことで起こったことである。

 これは別に珍しいことではなくて、尾道市が国産レモンの収穫量が日本一になったことと変わらない。瀬戸田町は、尾道市と合併したのだから。もし仮に万が一、瀬戸田町が三原市と合併していたのならば、三原市が国産レモン収穫量の日本一になった可能性もゼロではなかった。
 三原市は、瀬戸田とは合併しなかったし、山地部の本郷町、久井町、大和町と合併したのだから、海岸線は変化しなかった。
 呉市は倉橋島と上蒲刈島と豊島と大崎下島を合併したのだから、海岸線は驚異的に増大した。

 そういう類の漁獲量の増大である。
 
 しかし、本当の重大な問題は、漁師さんたちの後継者不足である。その件に関しては、三原市のサイトにも記述がある。

http://www.city.mihara.hiroshima.jp/kankou/kanko-tokusyu/index.html

 三原市が「タコのまち」と称した経緯は、三原観光協会が推進した事に主因がある。
 当時はまさか「平成の大合併」など予想されるはずもなく、特産物である「たこ」に白羽の矢をたてて、それを主軸に三原市の観光物産を展開することは、まったく持って無難であり、妥当と思われる。
 
 第一次産業とは、後継者がいてなんぼの世界である。

 もちろん第二次産業も後継者がいてなんぼなのだが、第一次産業は後継者のみならず、気候や風土も深くかかわっているし、本当に長い時間をかけて守り継がれて成り立っているので、その苦労の差は比較するのが野暮になる程あると思う。

 実は私は「タコのまち」という呼称が、あまり好きではない。しかし、タコは大好物である。
 タコのまちとしてアピールするならば、まず、その漁獲量が確保されていることと、地場での消費が確保されていることの2点を同時にクリアして、初めて「タコのまち」と言えるからである。
 タコのまちと呼称した最初の段階には、地場での加工品の特産品化が確保されておらず、現在では漁獲量県内1位が確保できない。

 タコ漁に対しての、何らかの措置を行わない限り、遠くない将来において、「タコのまち」という看板は下ろさざるをえないであろうと思われる。

 将来において、よその土地からもってきたタコで、タコ料理やタコの加工品をつくったり、三原の家庭でタコ料理をしたからといって、「昔はタコがよく取れたんです」なんてふうに「タコのまち」をアピールすることは、根っこが浅く、あまり好ましくない。美しくない。

 また、漁獲量ではなく、タコの品質で勝負するという手もあるのだが、それに関しては「タコの品質の差」がよくわからないので、言及できない。

 ともかく、特産品は、生産(漁獲?)されることが肝心なのだと思う。
 そして、それを街の特産としてアピールするには、住民がそれを大切にしているか、ということも、大切である。

 実際の例では、三原と同じくタコで有名な兵庫県明石市には「タコ検定」があり、たこ焼きとも異なる「明石焼き(たまご焼き)」がある。
 
 とはいえ、三原のタコは旨い!・・・と私は思っている。
 私は、生のまま皮をはいで身をそいだ刺身が最高に旨いと思う。むっちりとした感触とぷりぷりとした感触が同時に存在し、淡白さの中に存分に旨みがあり、品があるのに力もある。
 そして、シンプルな味付けのタコ飯も旨い。タコをぶつ切りにして、米と一緒に炊き上げる。旨い醤油を入れるだけ。だしはタコからたっぷり出てくる。タコから赤い色が米に移り、どことなく赤飯のようにも見える。炊き立ての米の甘さと、タコの甘さ、醤油の香ばしさがあいまって、この上なく旨い。

 三原に生まれて、新鮮なタコを食べることが出来て、なんて贅沢なんだろう。

 三原もタコも愛しているだけに、心配でならない。

 でも、私はタコ漁師には、なれない。
 そこが、まったくもって、持論の説得力を欠くところである。
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