コッペパンはメロンパン 第2章

(これは、以前書いたテキストの再掲です。初出は2004/08/10。若干改定してます。)

 1998年のクリスマスの日に、「コッペパンとメロンパン」という文章を書いている。時は流れ、2004年になり、あの日からずっと「コッペパンとメロンパン」の関係を追い求めてきた(って、大袈裟な)。

 この6年間の間に、インターネットが全国的に普及し、一般化し、様々なローカルな情報を集める有効な手段になってきている。ネットで情報を集め、メロンパンの由来や呼称や形状についての情報も、数多く見受けられる。

 しかし、である。
 この「コッペパン=メロンパン」という呼称については、あくまでローカルなネタである事から、まとめて考察される機会が少ないのは、残念と言わざるを得ない。
 そういう訳なので、久しぶりに「コッペパンとメロンパン」の続きを書こう、と決意したのだった(って、これまた、大袈裟)。

 さて、「コッペパン=メロンパン」という呼称は、どう考えても地域的なものであるが、どの辺りまで広がりを見せているのだろうかを調べてみた結果、「メロンパン=コッペパン」呼称文化圏(勝手に命名)は、東は広島県の三原市から呉市までのJR呉線沿いの地域と、海を挟んで愛媛県の松山市周辺、そして、西は山口県宇部市までの地域に、分散して存在しているようだ。

 基本的に、昭和20年代あたりまでに開業したパン屋さんは、この地域の特殊な「メロンパン=コッペパン」呼称を用いている場合が多く、それ以降に開業したパン屋は、「メロンパン=コッペパン」呼称文化圏内でも、この地域の伝統的な(?)呼称を用いていない場合が多い。「メロンパン=コッペパン」呼称は老舗故の呼称であるとも言える。
 事実、「メロンパン=コッペパン」呼称文化圏の中央部にあたる、広島県呉市には「メロンパン」という老舗のパン屋があり、そのお店でも、メロンパンはマクワウリ型でカスタード入り。コッペパンは、通常でいうメロンパンである。これは、オギロパンと同じ呼称である。

 メロンパンの生まれた時代は、昭和の初期(戦前)だと思われる。そして、当時のパン店とは、全国規模の企業がする商売ではなく、個人店がする仕事だった。
 物流も情報も、現在のように、豊かに溢れかえっている時代ではなかったので、人の流れが、物流と情報の流れである、というふうに考えることができるだろう(特に、コッペパンの事など、それほど重要な情報というものでもないし、そう考えるほうが、普通だと思われる)。
 広島県三原市から愛媛県松山市までは、電車(当時は汽車)と船でつながっているので、人の往来がある。広島県三原市から山口県宇部市までは、JR山陽本線がある。
 物流も情報も、鉄道と船を乗り継いで行き来していたことは間違いないので、瀬戸内地域に「メロンパン=コッペパン」呼称文化圏が存在するのは、妥当とも言える。
 
 問題は、どうして、「メロンパン=コッペパン」呼称文化圏が生まれたかという点なのだが、これもどうも曖昧である。当時の文献も少なく(というより、ほとんどなく)、口伝する人も、「そがな事、覚えとらん(標準語訳:そういった事は、存じておりません)」と当てにならない。


 しかし、断片ではあるが、かきあつめた情報に共通していることは、
・最初に、コッペパンが存在した。
・「マクワウリ型の白あん入りパン」がこの地域に流入してきて(もしくは開発されて)、「メロンパン」と名付けられた。
・「マクワウリ型の白あん入りパン」は、この「メロンパン=コッペパン」呼称文化圏のどこかで、中身の白あんが、カスタードに変更された。
・カスタードクリームの入っていない、クッキー生地のついたパンは、「コッペパン」という名称をそのまま受け継ぎ、「コッペパン」と呼称した。
・元々の「コッペパン」は別の名前に置き換えられた(うちの店で言う「味付けパン」。一部の広島県人の言うところの「給食のパン」

 ということなのだが・・・。

 どこから、どうやって、どのようにして、という点が、何一つ明らかでない。繋がらないのである。

 最初に「コッペパンはメロンパン」を書いて、ずいぶんと経つが、まだまだ、謎は深まるばかり。やはり、これからも、私は頭を抱えて唸るしかないようだった・・・。
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