三原駅前市民広場

 三原駅前市民広場。
 その名称の無色透明な感じの原因は、その広場の性格上の問題である。

 ペアシティ東館跡地から三原市民駅前広場になった、あの土地であるが、おおざっぱにおさらいしておきたい。

・三原駅前に専売公社があったのだが、廃止したためその土地の再開発の機運が起こる
・専売公社跡地がペアシティ三原として再開発が行なわれる
・ペアシティ東館に入っていた天満屋が撤退。天満屋の所持していた不動産の権利を東京の不動産業者に売却
・東京の不動産業者が、いわゆる地上げを行ない、ペアシティ東館を解体
・東京の不動産業者の計画していた再開発が暗礁に乗り上げる
・三原市が東京の業者からペアシティ東館用地を取得
・三原市がペアシティ東館跡地を再開発しようとしたが、難航
・整地を行ない、三原駅前市民広場を市民に開放

 ざっくりと整理してみた。
 こう考えると、不思議な土地である。三原駅前が盛況なころから専売公社はあった。つまり、駅前の一等地に市民の活用できない土地があった。そして、再開発が行なわれ天満屋が入ったが、撤退。理由は売上を上げられないから。つまり、市民が活用できなかったから。東京の業者が購入し、挫折。そして、三原市の買い上げ。

 つまり。あの土地はいままでまったく三原市民にとって「有効な使い方のされていない」土地であると言ってみてもいいかもしれない(過激?)。

 三原駅前市民広場という、無味乾燥な広場になってしまったのも、結局は「もてあましている」からに過ぎない。
 だが、この事例は三原に限ったことではない。地方都市の駅前とは、昔に比べて活気がなくなっていることは、事実なのである。

 では、その三原駅前市民広場。
 どのように活用したらよいのかを、行政がアンケートを取ってみると、商業施設や娯楽施設。または市役所の移転先など、妥当な意見が返ってきたようである。
 
 三原市民にとって、あの広場は、どうしたらよいものなのだろうか。
 それに対する、明確な答えはない。
 このあたりが、駅前が空洞化する理由なのかもしれない。


 ここから、好きに書かせていただきたいと思う(ここまでも、好きに書いてきた?)。
 
 私個人の評価として、三原市の決断は正解だったと思う。100人を超える地権者いたペアシティ東館を一つにまとめあげることは、三原市民には不可能である。それを行なうためには東京の業者の荒唐無稽な計画と野望が必要だったのかもしれない
 結果として、三原市はペアシティ東館跡地を取得することになった。東京の業者に分割して販売されるよりは・・・ということが大義であった。

 しかし、そのあとが大変である。
 けして右肩上がりではない経済環境。少子高齢化の進む社会。若者はほかの街にでてゆき、かえってこないという、典型的な地方都市。
 そんな状況の中で、三原駅前にある広大な土地を活用しようと思うほうが、至難の業である。

 私としては、三原駅前市民広場について、いくつかの要望がある。
 まずは、広場としての設備を充実すること。電気も水道も下水も整っていない広場は、単なる野っぱらと同じである。ある程度のインフラを整備した状態でないと、広場として活用するにも、困難が伴う。
 次に、防災拠点としての機能を持たせること。腐っても鯛というが、三原駅前のあの広大な土地は、市民にとって有効な防災拠点となりうる。その防災拠点を有効にするためには、たとえば防災トイレ(下水トイレ)などを設置することを前提に考える必要があると思う。また、災害時のボランティアセンターが駅前にあれば、復興のための利便性にかなり優れていると思う。
 最後に、指定管理業者として商工会議所を選択したことで、あの広場のもつ役割が地域活性化(経済面)という様相を呈している。テント市を今週末に開催するという。また、JAによる市場を常設するともいう。市民があの土地に商業的な魅力を感じているのならば・・・。天満屋も、周辺商店も潤っている・・・?

 先日の調査では、駅前の交通量(人や車)が4割ほど減少しているという。
 元来、駅前の交通量は、万年渋滞中の「2号線」のバイパスという意味でもあったような気がする。それを考えると4割減少し、やっと市民が普通に暮らせる駅前の状態になったと考える。
 そんな環境の中で、駅前であるという特性は排除し、三原中心部と言う特性を考えて、三原らしさをメインに、あの広場を永年活用する方策を考えるというのはどうだろうか。

 そう。
 小早川博物館である。(笑)
 この意見については、また、こんど。
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