お好み焼きミステリーゾーン「三原」

 今年に入って、急激にはまってしまっていることがある。
 それは「お好み焼き店めぐり」。
 美味しいのは当然として、お店の作り方や呼称の差が面白いので、すっかり魅了されてしまっている。

 偉そうに言うわけではないが、三原市のお好み焼き店の件数は、ざっと数えて80店強(現在調査中)。電話帳に載っていないお店もあるので、90店ぐらいはあるかもしれない。人口当たりに考えると、約10000人に1店の割合で「お好み焼き店」が存在することになる。
 ちなみに、ラーメン店は・・・25店前後かな?(いいかげん)
 天下のラーメンに比較しても、かなりの多さだと思う。

 広島市のお好み店の数が平成18年で904店。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1115884539238/index.html
 さすがに多いが、広島市の人口が117万人だから、比率的にはいい勝負なのかもしれない。

 さて、そんな三原のお好み焼き店をめぐっていると、いくつかの不思議なことに出会う。前述の通り、各店の作り方や呼称が興味深いのである。

 まずは、以前にも書いたように、そば(うどん)の入ったお好み焼きを「モダン焼き」と呼ぶ店が多いこと。これは、比較的新しい店にも当てはまるようである。皆実の昌や、宮浦のわかばなど、そうでない店もある。が、たいてい「モダン焼き」は通じる。

 次に「モツ」が選べること。鶏のモツであるが、レバーであることが多いような気がする。味はつけていなくて、生を使用する。どこが元祖かはよくわからないけど、駅前のてっちゃんがその一端を担っているような感じ。てっちゃんで勉強したおこのみ焼き店主がある程度いるようである。

 最後に、作り方として、広島のお好み焼きの定石である「重ね焼き」の方法が、若干異なるお店があること。通常ならばほぐすだけ、もしくはソースで下味をつけるだけの「そば」であるが、それをおもいっきり「焼きそば状」に炒めて、広げた生地に乗せるパターンである。これを「三原焼」と呼称する場合もある(お店では呼称していないような気がするが・・・)これは、モダン焼き表記のお店と被るようで、被らない(モダン焼きでも、通常の「重ね焼き」をしているお店もある。たとえば、駅北口のつぼみ、宮浦のたくちゃん、駅前のてっちゃんがそうである)。

 あと、つけくわるのならば、ソースがオタフク・カープ・テングのどれかを使っていることであろうか。以前にも書いたが、テングソースは三原の中間醸造がつくる「地ソース」。こだわるお店は新しいお店でもテングソースを使っている気がする。たとえば、宮浦のじゅっぽや、明神のファンシーフリーがそうかもしれない。

 キャベツの切り方も店により千差万別である。千切りのところから、ざく切りまで。紅ショウガを乗せるか、のせないか。青ネギを入れるか入れないか。細切りのニンジンを入れるか、入れないか。各店による個体差が大きい。

 また、県内で「イカ天」と呼ばれるスナックのイカのてんぷらが、なぜか三原では「のしいか」と呼ばれている場合が多い。本当に「のしいか」が入っているのではなく、「イカ天」が入っているのに「のしいか」と呼ぶのである。

 ついでに、関西風お好み焼きを出す店が駅周辺に集中している。頑固亭、フロンティア、花のれんがそうである。

 確かに、三原というまちは、関西圏と文化的に繋がっている部分があった。

三原市年表
http://www.mhr-cci.or.jp/cci_info/history/chronology.htm

 1933年から帝人がある。昔を知る他地域の人は「三原は帝人のまち」と認識している方も多かったようである。帝人は大阪に本社のある、立派な関西系の会社である。オイルショックまでは飛ぶ鳥を落とす勢いのあった会社で、大阪と三原との間に、人の流れがあったことは予測できる。
 ちなみに、当時、大阪〜三原間に「びんご」「とも」という列車が走っており、新幹線開通まで活躍していたようである。このことからも、三原〜大阪間に、ある程度の人の流れがあったことがうかがい知れる。

 さて、そんななかで、大阪の「モダン焼き」が流入してきたんだが、どうだかはよくわからないけど、大阪の「モダン焼き」もそばを混ぜるタイプと乗せるタイプとある。三原のモダン焼きも「焼きそばをつくる・・・まぜるタイプ?」と「普通の重ね焼き」のように乗せるタイプとある。似ているような、似ていないような。

 父の小さかったころ、昭和30年代初頭には、三原にもお好み焼きがあったらしい。やはり、薄く生地をのばして、キャベツを乗せるものだったという。キャベツを乗せただけのモノを「素焼き」と言っていたらしい。

 では、広島のお好み焼きと、大阪のお好み焼きと、どちらが先に三原に入ってきたか、ということを考えると、どちらかというと、大阪が先なんじゃないかなあ、と思える。
 大阪のお好み焼きは、「お好み焼きとモダン焼き」という並列呼称であり、広島のお好み焼きは単に「お好み焼き」でそばが入る。そして、大阪の「モダン焼き」は昭和初期には存在していたらしい。

 じゃあ、三原でそれがミックスされて、今の三原の呼称につながるんじゃないかなぁ、とも思うのだが(帝人は、戦前から存在するし)、確証はない。

 以上、いろいろと書いてはみたものの、ぜーんぶ「推測」の域を出ることはない。例の「コッペパンとメロンパン」と同じく、文献や記録などに、具体的な記述は残っている可能性は低く、そのような些細なことをはっきりと記憶している人も少ないのであるから。


 ともかく、三原のお好み焼き店はバリエーション豊富で、食べ歩くのにとても楽しい存在であることは間違いない。しかも80店舗以上もあるのだから、簡単には制覇できない。

 ちょっと、時間をかけて、食べ歩きしてみようかな、と考えている今日この頃である。

 
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