三原城の石垣 アブリ積み

IMG_0030 画像は、三原城天守台の西側の面の石垣である。

 三原城の天守台石垣は、東面と北面と西面と3面あるが、この西面には、とても重要なキーワードがある。
それは「アブリ積み」である。

 以前から「アブリ積みってなんなんだろう」と思っていた私ではあったが、なかなか回答を得る機会がなかった。
 それが、本日、三原歴史と観光の会の顧問でいらっしゃる福岡さんとお話しする機会があり、その疑問をぶつけてみたところ・・・

「ああ。それなら、いい本がありますから、読んでみたらいいのでは?」
 と、文献を開いて、読ませていただいた。

 それを読むと、これまでの疑問が氷解した!
 びっくり!


 アブリ積みとは、教育委員会によると「余人はまねるべきではない」との表記が、立て看板にある。これをいい意味で取るか、悪い意味で取るかで、アブリ積みの意味は変わってくる。

 私は今まで「余人はまねるべきではない」というのを、いい意味でとっていた。「あまりにも出来がいいので、こんな精密なアブリ積みは、よそにはありませんよ」という意味かな、と思っていた。
 しかし、正確には違うようである。
 アブリ積みという技法は、石垣を積む技術としては邪道であり、基本的にやってはいけないことをしているらしい。
石垣のいけない積み方
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9122/isizumi3/isizumi7.html
 参照のサイトの上から3番目に、その「あぶり」という表現がある。
 本来であれば、面に対して控えが大きくないといけないのに、面に対して控えが少ない積み方を「あぶり」というらしい。

 なのに、三原城の天守台の石垣は「アブリ積み」で、現在まで生きながらえているのである。
 悪い積み方をした巨大な天守台なのに、現存しているのだから「余人はまねるべきではない」のである。

 三原城の石垣は、1707年の大地震(宝永地震)によって、一度被害を受けている。その際、多分ではあるが、天守台の東面は修繕されたのではないだろうか。東面と西面で、石垣の組み方が異なるのは、それに由来しているとしか、思えない。
 当時の石垣を積む技術の中で「アブリ積み」で積んでいた面を、「アブリ積み」で積まなかったということは、その「アブリ積み」が特異な技法であった(あまりお勧めできない技法)であったからなのだろう。
 現在で言う「東南海地震」の一つである宝永地震ののち、その周期で何度か大地震を受けている三原城の天守台であるが、西面の「アブリ積み」に関しては、被害を受けるわけでもなく、現在まで生き残っている。

 これって、とんでもないことなんじゃないかなあ。
 石垣を組む時に「やってはいけないこと」である「アブリ積み」が、数度の大地震を乗り越え、現存しているのだから。

 改めて、三原城の素晴らしさを感じる。
 
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