ひとりごと
2008年02月02日
2008年01月25日
2008年01月19日
2008年01月14日
回っても、たいしたことはないけど。
ジャスコの非常口にこう書いてあった。
「非常口につきものを置かないでください」
それを眺め、通り過ぎながら、頭の中で文章を読み返していた。
…ん?何かひっかかる?
非常口に、つきものを、置かないでください・・・?
つきもの?
憑き物?
なんだそれは。
悪霊のたぐい?
誰がここに憑き物を置いていくんだろうか?
姿形ないから、問題ないのでは?
非常口が開かなくなるくらい強いのを置かれた前例でもあるの?
そもそも、今時、憑き物って?
しかも、こんな場所で除霊?
数々の疑問が頭の中を駆け巡った。
…そして、もちろん、その数秒後、
非常口につき、物を置かないでください。
と、正しく理解し、最初の自分の解釈に苦笑いするしかなかったのであった。
2007年12月23日
2007年12月13日
2007年12月02日
三原芸術文化センターのイルミネーションも良いが、そういえば、以前このブログで書いた「異常にサンタクロースのたくさんいるイルミネーションの家」が、ふと気になったので、行ってみた。
昨今、原油高で、電気代も高くなっている。やはり今年は縮小傾向なんだろうか、なんて思っていたのだが・・・。
その家に、車で近づいて行くと、例年との変化にすぐにがつく。去年より、輝かしい。ついに垣根に点滅式イルミネーションがついているではないか!拡大されている!!


さすがである。
玄関先から縁側のイルミネーションも。
本当に、気合が入っているなぁ。年々、設備投資も行い、規模が拡大している。この調子だと、あと5年もすれば、煌煌と光り輝く「クリスマス御殿」になってしまうことだろう。
いろいろ考えることはあるのだが、ここまでされてしまうと、頭を垂れるしかない。その情熱が素晴らしい。
・・・しかし、電気代、12月分はいくらになるんだろう・・・。いや、こんなことを考えるなんて、無粋である。行動を起すことに意義があるのだ。
さしあたり、帰宅時の楽しみがひとつ増えたことは、間違いない。
昨今、原油高で、電気代も高くなっている。やはり今年は縮小傾向なんだろうか、なんて思っていたのだが・・・。
その家に、車で近づいて行くと、例年との変化にすぐにがつく。去年より、輝かしい。ついに垣根に点滅式イルミネーションがついているではないか!拡大されている!!


さすがである。
玄関先から縁側のイルミネーションも。
本当に、気合が入っているなぁ。年々、設備投資も行い、規模が拡大している。この調子だと、あと5年もすれば、煌煌と光り輝く「クリスマス御殿」になってしまうことだろう。いろいろ考えることはあるのだが、ここまでされてしまうと、頭を垂れるしかない。その情熱が素晴らしい。
・・・しかし、電気代、12月分はいくらになるんだろう・・・。いや、こんなことを考えるなんて、無粋である。行動を起すことに意義があるのだ。
さしあたり、帰宅時の楽しみがひとつ増えたことは、間違いない。
2007年11月30日
この秋に完成した、三原文化会館に換わる市民ホールである、三原芸術文化センター(通称:ポポロ)が、ライトアップされていた。
さすが60億円かけて建築された、新たな三原を代表するホールである。きっとライトアップにも、きちんとデザイナーが関わっているのだろう。洗練されている。
画像には写っていないが、建物の正面左側には、イルミネーションのついた樹木が整然と並んでいて、見ごたえがある。
http://www.mihara-popolo.com/topics02.html
このホールは、まだ入ったことがないのだが、評判は良いようである。
約1200人の入るホールや、リハーサル室、楽屋など、必要なものはそろっている。音響もきちんと計算されており、オーケストラが演奏しても、よく響くらしい。
せっかく良いハコができたのだから、ここを文化拠点とし、三原の芸術文化が発展すれば、素晴らしい事だと思う。
私の趣味は、クラシック音楽の鑑賞および演奏なのだが、こういうホールが三原に欲しかった・・・と、言いたいところだが、反対に「これ、持て余すことにならへんやろか」と心配している。三原の音楽文化事情から考えて、かなりオーバースペックなものを作ってしまったのではないだろうか?
具体的に考えてみると、座席の一部を取り外し、オーケストラピットを用意できるようになっている。これは、どう考えても「オペラ」や「ミュージカル」のための舞台装置であるが、商業ベースで成り立つかという点から考えると、不可能に近い。
プロの歌劇団(一流ではなく、一応プロ、としておく)を招聘し、どこからも援助なく、チケット代だけで公演を成り立たせることを前提に計算してみると、チケット代が1万円を超える。
もし、海外の歌劇場の引越し公演をするのであれば、今度は、舞台の大きさが若干足りない。いや、舞台の広さではなく、舞台の横に必要なスペースが小さい。つまり、グランドオペラなどの引越し公演はできない。
仮にオペレッタや一幕物の軽いものであれば、可能であるが、そういったものを、三原市民が望んでいるのだろうか?
となると、オペラで商業ベースでの利用は、厳しくなってくる。オケピットがあるのに?
では、オーケストラでは?
舞台の広さは十分あるし、音響もよい。ここでも1200人と言う中途半端な客席が、チケットの価格を上げる。
多少高いチケットでも、いろんな演奏家が来るたびに満席になるほど、三原のクラシック愛好家がいるか?
たしかに、三原に来てくれれば、その分広島や福山や、ましてや東京や大阪などに出向かなくて良いわけなので、多少チケットは高くても良いと思えるクラシック愛好家が、どれだけいるのだろうか?
と、ここまで厳しいことを書いてみたが、言いたいことは1行で済んでしまう。
「ハコを建てたら、それで終わりと思うのは、大間違い」
つまり、ハコを建てるならば、長期的な戦略を持ち、そのハコを有効活用する戦術を取り、いかに三原の文化水準を上げることができるか、ということを前提にして、ハコを用意しなければならない、ということである。
だから、そういう戦略を持たず、ただ建てただけでは、たんなる立派なハコで、中身は空っぽの状態になる。天満屋の紙袋の中にうまい棒が1本、という状態である。それでは、アンバランスなのである。
せっかく60億もかけて、文化会館を建て直し(たしかに、文化会館は音楽をするには大変状態の悪いホールであったのは、間違いないが・・・)、新たなホールを作ったのだから、その中身をどうするか、もっと市民レベルで考えてみればよいのではないだろうか、と思ったりする。
文化とは、与えられるものではなく、生み出されるものなのである。
私は、この三原の力、新たなる「文化」が生み出されることを、祈るばかりである。
・・・じゃ、おまえが何かしろよ、って言う話になりそうな・・・。
まぁ、10年後ぐらいには、何かしてるかもなぁ・・・。
さすが60億円かけて建築された、新たな三原を代表するホールである。きっとライトアップにも、きちんとデザイナーが関わっているのだろう。洗練されている。画像には写っていないが、建物の正面左側には、イルミネーションのついた樹木が整然と並んでいて、見ごたえがある。
http://www.mihara-popolo.com/topics02.html
このホールは、まだ入ったことがないのだが、評判は良いようである。
約1200人の入るホールや、リハーサル室、楽屋など、必要なものはそろっている。音響もきちんと計算されており、オーケストラが演奏しても、よく響くらしい。
せっかく良いハコができたのだから、ここを文化拠点とし、三原の芸術文化が発展すれば、素晴らしい事だと思う。
私の趣味は、クラシック音楽の鑑賞および演奏なのだが、こういうホールが三原に欲しかった・・・と、言いたいところだが、反対に「これ、持て余すことにならへんやろか」と心配している。三原の音楽文化事情から考えて、かなりオーバースペックなものを作ってしまったのではないだろうか?
具体的に考えてみると、座席の一部を取り外し、オーケストラピットを用意できるようになっている。これは、どう考えても「オペラ」や「ミュージカル」のための舞台装置であるが、商業ベースで成り立つかという点から考えると、不可能に近い。
プロの歌劇団(一流ではなく、一応プロ、としておく)を招聘し、どこからも援助なく、チケット代だけで公演を成り立たせることを前提に計算してみると、チケット代が1万円を超える。
もし、海外の歌劇場の引越し公演をするのであれば、今度は、舞台の大きさが若干足りない。いや、舞台の広さではなく、舞台の横に必要なスペースが小さい。つまり、グランドオペラなどの引越し公演はできない。
仮にオペレッタや一幕物の軽いものであれば、可能であるが、そういったものを、三原市民が望んでいるのだろうか?
となると、オペラで商業ベースでの利用は、厳しくなってくる。オケピットがあるのに?
では、オーケストラでは?
舞台の広さは十分あるし、音響もよい。ここでも1200人と言う中途半端な客席が、チケットの価格を上げる。
多少高いチケットでも、いろんな演奏家が来るたびに満席になるほど、三原のクラシック愛好家がいるか?
たしかに、三原に来てくれれば、その分広島や福山や、ましてや東京や大阪などに出向かなくて良いわけなので、多少チケットは高くても良いと思えるクラシック愛好家が、どれだけいるのだろうか?
と、ここまで厳しいことを書いてみたが、言いたいことは1行で済んでしまう。
「ハコを建てたら、それで終わりと思うのは、大間違い」
つまり、ハコを建てるならば、長期的な戦略を持ち、そのハコを有効活用する戦術を取り、いかに三原の文化水準を上げることができるか、ということを前提にして、ハコを用意しなければならない、ということである。
だから、そういう戦略を持たず、ただ建てただけでは、たんなる立派なハコで、中身は空っぽの状態になる。天満屋の紙袋の中にうまい棒が1本、という状態である。それでは、アンバランスなのである。
せっかく60億もかけて、文化会館を建て直し(たしかに、文化会館は音楽をするには大変状態の悪いホールであったのは、間違いないが・・・)、新たなホールを作ったのだから、その中身をどうするか、もっと市民レベルで考えてみればよいのではないだろうか、と思ったりする。
文化とは、与えられるものではなく、生み出されるものなのである。
私は、この三原の力、新たなる「文化」が生み出されることを、祈るばかりである。
・・・じゃ、おまえが何かしろよ、って言う話になりそうな・・・。
まぁ、10年後ぐらいには、何かしてるかもなぁ・・・。
2007年11月21日
2007年08月12日
やっさ祭り二日目だった。ちなみに、明日の三日目は花火大会である。このまま行けば、まず晴天に恵まれ、大空に大輪が花咲くことであろう。
さて、今日はひとつしんみりとする瞬間があった。
それは、一人の老人のやっさ踊りだった。
飛び込み参加であろうと思われる、ひとりのお年寄りの踊っていたやっさ踊りが、私の目に妙に焼き付いてしまった。その踊りは、とても身体の力が抜けていて、自由自在に曲に身体を合わせ(いや、あたかも身体に曲を合わせてしまったかのようにも思わせる)、楽しそうなあのやっさ踊りを。まるで、そこに「踊りの神」が舞い降りたかのような。
私自身がやっさ踊り大賞を進呈できるのなら、あの名も知らぬ一人のお年寄りにさしあげたい。
踊りとは、踊り手が楽しんでいることが、最重要事項。
だが、踊り手が楽しんでいるだけでもダメだし、観る者が心踊り、一緒に踊りたくなるようなやっさ踊りは、案外少数である。
どのチームにもはいっていなかった、心からやっさ踊りを楽しんでいる、一人の老人のやっさ踊りを踊っていた姿は、本当に心に染みた。あれは、やっさ踊りの本当の本来の姿なのだろう。そう、確信するような踊りだった。
もちろん、チームで出場している人のなかにも、すばらしい踊りをする方がいらっしゃることは事実である。
私は、あえて「飛び込み」で参加されたというところに、すばらしさを感じているのだ。
集団の練習をつんだマスゲームのようなやっさ踊りも見応えがあって結構だが、やっさ踊りとは、見せ物なのだろうか?
踊るものも観るものも、心から楽しいやっさ踊りとは、案外単純なものではない気がする。もっと、基礎的な部分で、深い「身体が勝手に動くようななにか」がある気がする。それは、踊りが「なにげない」喜びを示す一つのことばであるかのように、身体全体で、喜びを表現することではないだろうか。
そして、その「喜び」とは、あくまで物質的な目的や、人からの評価という目的の為ではなく、自らの精神的な喜びを達成するための、高い技術能力をもってして成り立つ、ひとつの目的ではなかろうか。
そんな三原に長らく伝わるやっさ踊りを受け継いでいく心意気を、少しでも持ちたいと思う。
さて、今日はひとつしんみりとする瞬間があった。
それは、一人の老人のやっさ踊りだった。
飛び込み参加であろうと思われる、ひとりのお年寄りの踊っていたやっさ踊りが、私の目に妙に焼き付いてしまった。その踊りは、とても身体の力が抜けていて、自由自在に曲に身体を合わせ(いや、あたかも身体に曲を合わせてしまったかのようにも思わせる)、楽しそうなあのやっさ踊りを。まるで、そこに「踊りの神」が舞い降りたかのような。
私自身がやっさ踊り大賞を進呈できるのなら、あの名も知らぬ一人のお年寄りにさしあげたい。
踊りとは、踊り手が楽しんでいることが、最重要事項。
だが、踊り手が楽しんでいるだけでもダメだし、観る者が心踊り、一緒に踊りたくなるようなやっさ踊りは、案外少数である。
どのチームにもはいっていなかった、心からやっさ踊りを楽しんでいる、一人の老人のやっさ踊りを踊っていた姿は、本当に心に染みた。あれは、やっさ踊りの本当の本来の姿なのだろう。そう、確信するような踊りだった。
もちろん、チームで出場している人のなかにも、すばらしい踊りをする方がいらっしゃることは事実である。
私は、あえて「飛び込み」で参加されたというところに、すばらしさを感じているのだ。
集団の練習をつんだマスゲームのようなやっさ踊りも見応えがあって結構だが、やっさ踊りとは、見せ物なのだろうか?
踊るものも観るものも、心から楽しいやっさ踊りとは、案外単純なものではない気がする。もっと、基礎的な部分で、深い「身体が勝手に動くようななにか」がある気がする。それは、踊りが「なにげない」喜びを示す一つのことばであるかのように、身体全体で、喜びを表現することではないだろうか。
そして、その「喜び」とは、あくまで物質的な目的や、人からの評価という目的の為ではなく、自らの精神的な喜びを達成するための、高い技術能力をもってして成り立つ、ひとつの目的ではなかろうか。
そんな三原に長らく伝わるやっさ踊りを受け継いでいく心意気を、少しでも持ちたいと思う。
2007年05月18日
今、店の前の食品催事場に、駄菓子屋さんが来ている。なんだか妙に懐かしく、毎日、ついついのぞいてしまう。
なつかしの駄菓子や、簡素な玩具がなかなか充実している(でも、火薬系のおもちゃは無い)。
シガレットチョコや、マルカのガム、刺したら刃の部分が引っ込むびっくりナイフ、ゴム鉄砲(いや、ゴム鉄砲は割り箸で自作してたなぁ・・・)、粉ジュース、細長いゼリー、水風船(これって、水道の蛇口につけて水入れて膨らせるけど、よくよく考えると、かなり無意味な遊びであるような気がする・・・)、などなど。
見ていて、飽きない。
これに、くじ系の駄菓子(はずれたらカレー味のスナックを白い袋につめてもらうもの)や、古切手のくじや、本当かどうかわからないアイドルの生写真などあると、完璧である。
個人的には、銀球鉄砲は外せないが、これもなかったのは、多少残念であった。近頃立派な空気銃が売ってるから、売れないのかな?
水鉄砲はあった。水鉄砲こそ、水風船と同じく、結構無意味な遊び道具のような気がするけど(人に迷惑をかけて楽しむ遊び方しか、思いつかないからか?)。
そして、神明さんでおめにかかるしかない「お面」や「どんぐりあめ」もある。
どんぐりあめは、量り売りで10グラム26円。正直、そう書いてあってもよくわからない。
しかたがないので、ピンボン玉サイズの特大どんぐりあめを4つ買ってみると、444円だった。つまり、1個が111円で、たぶん42グラム強。
1個包装された、のど飴が4グラムぐらいだから、10倍の大きさということになる。普通のどんぐり飴より直径が2倍くらいありそうなので、かなりでかい飴である。口の中ではどんなことになることやら。なめきるまでに、どれだけの時間がかかることやら。
私自身が食べるのは、ちょっと抵抗があったので、甥と姪にあげた。うちの娘には、この巨大などんぐりあめはまだ早すぎる。
ちなみに・・・食べた感想は聞いていない。想像はつくが・・・。(笑)
娘がもうちょっと大きくなったら、娘の手を引いて、神明さんに行きたいなぁ、と、ふと夢が膨らんでしまった。
2007年04月26日
いちおう、記録のために。
特に話を広げようなんてことは無いのですが。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200704260314.html
http://www.jma.go.jp/jp/quake/26091000391.html
たまたま今日は仕事が休みだったため、ベッドの中で地震を迎えました。
ぐらぐらぐら。・・・
お。地震だなぁ。
ぐらぐらぐらぐらぐら!!
うわっ、芸予地震と同じタイミングだよ、と思ったら、同じような震源地だった。
震度は、ひとつ弱い。数字ひとつだけだけど(5と4)、えらい違うものだ。
すぐに店に電話をして、様子を伺ってみた。
一人しかいない状態だったので、店の子もすがりつくような不安な状態だったらしい。その時点でわかる限りの情報を伝えた。そして、お店の状況を聞いてみると、特に被害は無い様子だった。安心した。
昼に妻の誕生日祝いのために、福山のレストランに向かう途中、山陽線上り電車が、とろとろと走っていた。地震の影響だよなぁ、とおもっていると、その先では、長い編成の貨物列車がとろとろと走っていた。
踏み切りの向こうには、いつまでたっても開かない遮断機に、不満を覚えている人たちが見えた。
地震、雷、火事、うちの妻。
気をつけても、なるようにしかならないが、例によって一言。
「備えあれば、憂いなし」である。
特に話を広げようなんてことは無いのですが。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200704260314.html
http://www.jma.go.jp/jp/quake/26091000391.html
たまたま今日は仕事が休みだったため、ベッドの中で地震を迎えました。
ぐらぐらぐら。・・・
お。地震だなぁ。
ぐらぐらぐらぐらぐら!!
うわっ、芸予地震と同じタイミングだよ、と思ったら、同じような震源地だった。
震度は、ひとつ弱い。数字ひとつだけだけど(5と4)、えらい違うものだ。
すぐに店に電話をして、様子を伺ってみた。
一人しかいない状態だったので、店の子もすがりつくような不安な状態だったらしい。その時点でわかる限りの情報を伝えた。そして、お店の状況を聞いてみると、特に被害は無い様子だった。安心した。
昼に妻の誕生日祝いのために、福山のレストランに向かう途中、山陽線上り電車が、とろとろと走っていた。地震の影響だよなぁ、とおもっていると、その先では、長い編成の貨物列車がとろとろと走っていた。
踏み切りの向こうには、いつまでたっても開かない遮断機に、不満を覚えている人たちが見えた。
地震、雷、火事、うちの妻。
気をつけても、なるようにしかならないが、例によって一言。
「備えあれば、憂いなし」である。
2007年04月13日
三原広域市町村圏事務組合が「みはらっせ」というガイドマップを発行した。http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200704050065.html
オギロパンも掲載されたらしい。
ありがたいことである。
裏話ではないけれども、取材は最初ジャスコ店にあった(それも、いきなりだった)。でも、内容を伺うとどうやら本店向きの内容だったので、本店に受けていただいた。
結局、なんの取材だったんだろうと、首をかしげていたのだが、こういう形で日の目を見ることになるとは、思いもしなかった。
さしあたり、こういうガイドマップは、ないよりあった方がよいとは思う。
事実、ガイドマップとしては、よくできている。わかりやすい。
なにより、このガイドマップ作成に携わった「ギミック都市生活研究所」の力に由るところはおおいにあるだろう。
こういった形態での情報発信は、発想自体が古いかもしれない。
このガイドマップは、誰に読んでもらうのだろう。どこで配布するのだろう。どうやって存在を告知し続けるのだろう。どんな効果を狙っているのだろう。
とにかく、目的がはっきりとしていない。目的とは、「誰に何のために使ってもらうか」であり、それ以外ではない。
さて、三原と世羅は縁がないわけではないけど、どうして「みはらっせ」なのだろう。
平成の大合併による、区割りの変化かもしれないけど。
それ以前の行政的な区割りかもしれないけれど。
旧三原市と旧本郷町と旧久井町は、地政学的につながりがあった。
久井町は、世羅と三原との橋渡しとなる役割になるらしい。
大和町は、母の出身地だが、普通の三原市民には関係の無い場所かもしれない。
でも、大和町は世羅や甲山とつながりがあった。
世羅は甲山まで行くバスが三原駅から出ているが、たぶん、高校の同級生に「世羅や甲山」の人はいなかったように思う。
・・・まぁ、いろんな事情があるのかもしれないけど。
とにかく、このガイドマップを有効に活用することを、今後は具体的に求められるだろう。
さしあたり、たまたま手元にあるこのガイドマップって、普通はどこで入手できるの?(汗)
2007年04月04日
三原から八幡町へ行くには「恵下谷」を通らなければならない。その道を、公式には「県道25号 三原東城線」と呼称するらしい。昨今、天変地異のため、土砂崩れなどに見舞われやすい「恵下谷」の道である。
昔はかなり道が細かったため、バスの転落事故などあったらしく、道の途中に慰霊碑が建っている。
余談はこれくらいにして。
その「県道25号 三原東城線」の、三原市八坂町あたりの急勾配急カーブのあたりに、旧「三原観光ホテル」現「みちる山荘」へ通じる別れ道がある。
その分岐点に、見事な桜が2本ある(このあたり)。
三原から八幡町に行くと、通り過ぎてしまう感じであるが、逆だとなかなか見ごたえがある。誰が植えたのかは知らないが、立派な桜の木である。
もうそろそろよい頃合ではないかと思い、立ち寄ってみたところ、見事な桜の花が咲いていた。とても美しい。
ついでに「みちる山荘」方面へと足を伸ばしてみたが、途中に桜の木が数本あり、これまた見事である。
ちなみに、分かれ道あたりから見る三原の市街地は、なかなか見ごたえがある。
山間部方面から三原に帰る折、恵下谷を通った場合は、ついつい見てしまう。
実際は、運転手としては、それどころではない状況ではあるのだが・・・。
2007年04月02日
先月末から、コーヒー豆を切らしている。なぜなら、「やまもと珈琲店」が開いていないからだ!(涙)以前から、ご主人さんが、
「山の中に、焙煎小屋建てようかなぁ」
「喫茶は40人ぐらい入るところじゃないとだめだよなぁ」
とか、逃避思考的発言が多かったので、このたびの移転となったのだろ(勝手な推測)。
今度のお店は、国道2号線沿いで、「臥龍橋(がりゅうばし)」の袂の角地にある店舗(このあたり)。喫茶は行わず、豆の販売を中心にされるらしい。
さしあたり、今週は「レ・ユニオンコーヒー」に豆を買いに行ってしのいだが(モカ・マタリがお値打ち価格だった・・・・)、やはり私の朝の生活には「やまもと珈琲店のどみにかブレンド」が欠かせないのである。
再開を切にのぞむ。
1週間、待ちます・・・。
2007年03月26日
2007年03月19日
こんどの木曜日(22日)まで、店の前に「京洛のれん市」という催事が来ている。いわゆる京都物産展である。何度も来ているので、さらっと眺めて、ひとり頷いていた。
しかし、今回はなにかが違った。
店にいると、催事会場のほうから「カタカタ」という音が聞こえてくる。心地よい、木の合わさった音。クラベスのような音。
うん?なんだ?
催事会場を眺めてみると、子供が、カタカタとなるおもちゃを振っている。なるほど。その音だったんだなぁ。
そういえば、いつもは催事場に置かれている自転車のベルを、リンリンと鳴らせているのも、子供たちである。
それはそれとして、ふっと思った。
「子供がこれだけ音をならすおもちゃなら、きっとうちの娘も気に入るに違いない」
仕事が終わった後、催事会場に足を運び、実物を見てみた。ふむふむ。なるほど。
しっかりとした木のおもちゃである。手作りなのか、一つ一つ、音が若干異なる。数個のおもちゃの音を確かめた後、高音が澄み、木の温かみのある音のするおもちゃを購入した。500円だった。

熊やらなんやらあったのだが、カエルである。でも、音は良い。
早速、帰宅した直後、1歳の娘に渡してみたところ、手に持ってカタカタと鳴らしている。
にんまりである。思うつぼである。
・・・そして、私は立派な親バカである。
2007年03月18日
菓子メーカーの大手「ロッテ」の商品に「コアラのマーチ」というものがあることは、日本人なら誰でも知っていることである。しかし、である。
あのコアラに名前がついていたらしい。
その名も「マーチくん」というらしい。
もしかしてその「マーチくん」に、眉毛があったら幸せになれる・・・なんて事は不明である。
とりあえず、今度の20日にわがジャスコ三原店に、その「現物」がやって来るらしい。生「マーチくん」である。
わがジャスコ三原店の2大きぐるみキャラクターである、「ピーちゃん(しまなみ信用金庫のマスコットキャラクター)」と「ララちゃん(イオンファンタジーのマスコットキャラクター)」と喧嘩しなければよいが。
いや、喧嘩している姿を見てみたい気もするが・・・。
時々やってくる「タウンワーク(リクルート社)」の豚(名前を知らない・・・)とは喧嘩したところは見たことがないので、たぶん平和なのでしょう。
「ジャスコ三原店のマスコットは、わしじゃ」と、争っている姿は、私の妄想の中にしかないらしい・・・。
・・・マスコットキャラクター、多すぎ・・・。(涙)
2007年01月23日
2006年12月08日
中国新聞のネット版に、こんな記事が。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200612080054.html
ペアシティ東館から、天満屋さんが撤退したのがこの3月。
どうやら、市が動いたようで、ペアシティ東館が取り壊され、ライフコート社の計画する建造物が建つような流れになっている。
いろいろ思うことはあるのだけれども・・・。
それよりも、あのペアシティ東館が取り壊されてしまうと言うことに、感慨深いものがある。感慨深いと言うよりも、虚しいのである。
あれだけの建造物が、30年も経たない内にお役ごめんになってしまい、地表から消滅するだなんて、あまりにも不経済で、非合理的なのではないのか。
建築当初は、夢と希望に満ち溢れていたあの建物が・・・。
いつも言われることではあるのだが、建築当初に自走式の駐車場を確保できなかったことや、駅からの直接アプローチできる歩道が用意できなかったことは、一体どのような経緯でそうなってしまったのかを思い出す必要があるのではないだろうか。
しかし、もし仮に、そういった施設が整備されていたとして、それらは延命効果はあったであろうが、現実問題として、集客面での改善にはならなかったであろう。
三原市は、基本的に誘致型の行政の伝統を持っているようである。
教育分野では、広大(当時は女子師範学校)を誘致し、広島県立大学(旧広島福祉大学)を誘致し、工業分野では、三菱や帝人やトスコ(東洋繊維)を誘致し、小原工業団地に誘致し・・・。
誘致に力を入れることには反対しないけれども(なにより、即効性が高い)、本来ならば即効性のある事と遅効性のある事を、同時に行っていく必要があるのではないか。
もしも、ペアシティ東館に建設されるであろう、ライフコート社の商業施設に、何らかの経済的な期待を抱くならば、それは甘い幻想と言わざるを得ない。
そうでなく、別の意図をもって、それを行っているとすれば、三原市の行っているペアシティ東館対策は、思慮深い判断だと思う。
ともかく、私自身は、今後の推移を見守ることしか出来ない立場であるが、少なくともライフコート社には、当初の概念を保持していただき、三原市民にとって、長い目で見て親しまれる存在になるような商業施設を構築していただければ、とても嬉しいと思う。続きを読む
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200612080054.html
ペアシティ東館から、天満屋さんが撤退したのがこの3月。
どうやら、市が動いたようで、ペアシティ東館が取り壊され、ライフコート社の計画する建造物が建つような流れになっている。
いろいろ思うことはあるのだけれども・・・。
それよりも、あのペアシティ東館が取り壊されてしまうと言うことに、感慨深いものがある。感慨深いと言うよりも、虚しいのである。
あれだけの建造物が、30年も経たない内にお役ごめんになってしまい、地表から消滅するだなんて、あまりにも不経済で、非合理的なのではないのか。
建築当初は、夢と希望に満ち溢れていたあの建物が・・・。
いつも言われることではあるのだが、建築当初に自走式の駐車場を確保できなかったことや、駅からの直接アプローチできる歩道が用意できなかったことは、一体どのような経緯でそうなってしまったのかを思い出す必要があるのではないだろうか。
しかし、もし仮に、そういった施設が整備されていたとして、それらは延命効果はあったであろうが、現実問題として、集客面での改善にはならなかったであろう。
三原市は、基本的に誘致型の行政の伝統を持っているようである。
教育分野では、広大(当時は女子師範学校)を誘致し、広島県立大学(旧広島福祉大学)を誘致し、工業分野では、三菱や帝人やトスコ(東洋繊維)を誘致し、小原工業団地に誘致し・・・。
誘致に力を入れることには反対しないけれども(なにより、即効性が高い)、本来ならば即効性のある事と遅効性のある事を、同時に行っていく必要があるのではないか。
もしも、ペアシティ東館に建設されるであろう、ライフコート社の商業施設に、何らかの経済的な期待を抱くならば、それは甘い幻想と言わざるを得ない。
そうでなく、別の意図をもって、それを行っているとすれば、三原市の行っているペアシティ東館対策は、思慮深い判断だと思う。
ともかく、私自身は、今後の推移を見守ることしか出来ない立場であるが、少なくともライフコート社には、当初の概念を保持していただき、三原市民にとって、長い目で見て親しまれる存在になるような商業施設を構築していただければ、とても嬉しいと思う。続きを読む
2006年11月28日
三原唯一の自動車学校である「トスコ三原自動車学校」が、来年(平成19年)の4月末日で廃止になるらしい。
土地の売却先などは、具体的に決定していない様子。
http://www.tosco-net.co.jp/tosco/soumu/keiei/h181122jidou.pdf
また、一つ、「思い出」が消えていくのですか。
春休みや冬休みの、市内の教習車を見なくなるのですか。
そうなんですか・・・。
土地の売却先などは、具体的に決定していない様子。
http://www.tosco-net.co.jp/tosco/soumu/keiei/h181122jidou.pdf
また、一つ、「思い出」が消えていくのですか。
春休みや冬休みの、市内の教習車を見なくなるのですか。
そうなんですか・・・。
2006年11月09日
第3回 三原浮城まつり 公式サイト
http://www.mhr-cci.org/ukishiromaturi/
動機はなんであれ、三原城の別名「浮城」をテーマに祭りを行うことは、それなりの効果がある。
私としては、本来は「やっさ祭」と「浮城まつり」の内容を、融合させるべきだと思っている。やっさ踊りの由来は、三原城の築城にあり、浮城とやっさ踊りは、密接な関係であるからだ。
どういう過程で「浮城まつり」をすることになったか。その祭りが、三原に何をもたらすのか。
そういった戦略的なことを、もうすこし内容をつめた方がよいのではないかと、個人的には思う。
秋祭りがないから、「浮城まつり」で代用するというのは、若干もったいないし、観光事業として、中心部活性化事業としてのイベントであるだけなのだったら、別に「三原タコ祭」でも「三原もみじ祭(仏通寺のもみじが、きれい)」でも、なんでもいいはずなのに・・・。
よりによって、「浮城」とは・・・・?
http://www.mhr-cci.org/ukishiromaturi/
動機はなんであれ、三原城の別名「浮城」をテーマに祭りを行うことは、それなりの効果がある。
私としては、本来は「やっさ祭」と「浮城まつり」の内容を、融合させるべきだと思っている。やっさ踊りの由来は、三原城の築城にあり、浮城とやっさ踊りは、密接な関係であるからだ。
どういう過程で「浮城まつり」をすることになったか。その祭りが、三原に何をもたらすのか。
そういった戦略的なことを、もうすこし内容をつめた方がよいのではないかと、個人的には思う。
秋祭りがないから、「浮城まつり」で代用するというのは、若干もったいないし、観光事業として、中心部活性化事業としてのイベントであるだけなのだったら、別に「三原タコ祭」でも「三原もみじ祭(仏通寺のもみじが、きれい)」でも、なんでもいいはずなのに・・・。
よりによって、「浮城」とは・・・・?
イエス玉川氏の独演会に行ってきた。
この催し物は、どうやら我が両親が深く関わっているらしい。
母は、イエス玉川氏と同郷(大和町)で、同級生。
父は、根っからの快楽主義者で、人を楽しませることが大好き。だから、こういった演芸も大好き。
この両者が組み合わさって、三原で「イエス玉川独演会」が催された、ということになるのかもしれない。
正直に言うと、私はどうして両親がそんなことに熱心なのかよくわからなかった。
しかし、独演会を見た後、しみじみと納得することができた。
イエス玉川氏は、芸術家である。
日本の演芸の一つである「浪曲」を、現代に伝える芸術家である。
浪曲とは、「浪花節」とも言い、辞書を引用すると、
語り物の一種。江戸末期、説経節・祭文などの影響を受けて大坂で成立。初めはちょんがれ節・うかれ節などともよばれた。三味線の伴奏で独演し、題材は軍談・講釈・物語など、義理人情をテーマとしたものが多い。浪曲。
ということである。
義理人情をテーマとしているので、グッと来るお話を、独特の節回しで語る。
その声は、しゃがれたような声である。この発声方法は、モンゴルのホーミーとよく似ている。だから、遠くまで声が届く。
今回の独演会では、浪曲がメインというよりも、漫談がメインだった。
イエス玉川氏は、地元出身(大和町)であるので、地元の地名がばんばん出てくる。集まった観客も、地元の人間なので、身近な話題で、よく受けていた。
玉川の十八番は「天保水滸伝」という任侠ものであるが、今回の演目である浪曲は、ちがうもの。
子供の出来ない夫婦が、親を亡くした子を引き取り、その子が町中の子とけんかをする。父は、迷惑をかけた子を怒ろうとするが、その子がけんかをした理由が「父親の職業」をなじられたから、というもので、父の名誉を守るために子が戦ったという話。
生まれてはじめて浪曲を聞いたけど、いいなぁ。
まず、イエス玉川氏の声が良い。独特の間合いが、心地よい。
そして、浪曲の内容が、とても人情味あふれていて、笑いあり涙あり。
漫談もおもしろかったが、浪曲には感動を覚えた。話の内容も感動したし、浪曲自体の芸に感動した。
浪曲って、こんなに心を打つものなんだろうか。
とにかく、大変貴重な体験をしたのは、まちがいない。
来年の「第3回イエス玉川独演会」をするのであれば、ぜひ、見に行きたいと思う。それほど、おもしろかったのだ。
この催し物は、どうやら我が両親が深く関わっているらしい。
母は、イエス玉川氏と同郷(大和町)で、同級生。
父は、根っからの快楽主義者で、人を楽しませることが大好き。だから、こういった演芸も大好き。
この両者が組み合わさって、三原で「イエス玉川独演会」が催された、ということになるのかもしれない。
正直に言うと、私はどうして両親がそんなことに熱心なのかよくわからなかった。
しかし、独演会を見た後、しみじみと納得することができた。
イエス玉川氏は、芸術家である。
日本の演芸の一つである「浪曲」を、現代に伝える芸術家である。
浪曲とは、「浪花節」とも言い、辞書を引用すると、
語り物の一種。江戸末期、説経節・祭文などの影響を受けて大坂で成立。初めはちょんがれ節・うかれ節などともよばれた。三味線の伴奏で独演し、題材は軍談・講釈・物語など、義理人情をテーマとしたものが多い。浪曲。
ということである。
義理人情をテーマとしているので、グッと来るお話を、独特の節回しで語る。
その声は、しゃがれたような声である。この発声方法は、モンゴルのホーミーとよく似ている。だから、遠くまで声が届く。
今回の独演会では、浪曲がメインというよりも、漫談がメインだった。
イエス玉川氏は、地元出身(大和町)であるので、地元の地名がばんばん出てくる。集まった観客も、地元の人間なので、身近な話題で、よく受けていた。
玉川の十八番は「天保水滸伝」という任侠ものであるが、今回の演目である浪曲は、ちがうもの。
子供の出来ない夫婦が、親を亡くした子を引き取り、その子が町中の子とけんかをする。父は、迷惑をかけた子を怒ろうとするが、その子がけんかをした理由が「父親の職業」をなじられたから、というもので、父の名誉を守るために子が戦ったという話。
生まれてはじめて浪曲を聞いたけど、いいなぁ。
まず、イエス玉川氏の声が良い。独特の間合いが、心地よい。
そして、浪曲の内容が、とても人情味あふれていて、笑いあり涙あり。
漫談もおもしろかったが、浪曲には感動を覚えた。話の内容も感動したし、浪曲自体の芸に感動した。
浪曲って、こんなに心を打つものなんだろうか。
とにかく、大変貴重な体験をしたのは、まちがいない。
来年の「第3回イエス玉川独演会」をするのであれば、ぜひ、見に行きたいと思う。それほど、おもしろかったのだ。


















