ひとりごと

2011年04月12日

ある日突然、私のブログが消えてしまいました。

なんだか、どたばたしていまして、対応が遅れました。


何のことはないのです。
クレジットカードの有効期限が切れてしまっていて、契約が更新されなかったのです。
完全にチェックミスでした・・・。

おまけに、それを知ったのは、オギロパンの公式サイトの掲示板の書き込みがメールで飛んできたからでした(ちなみに、掲示板のレスがつけ遅れていることを、この場をお借りしてお詫び申し上げます。きちんと読んでおります。本当にありがとうございます)。

さて、そんなわけで、本日ブログが復旧いたしました。

読んでいる人がいるような、いないような・・・私のブログですが、今後ともご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げあげます。


ちなみに、現在三原市のお好み焼き店めぐりは30店をすこし超えたところでございます。旧市内をめぐり終えたら、一度データを吐き出したいなあと考えています。

っていうか、パン屋のブログなんだから、パンのことを書けって・・・言う声も・・・あまりないですが・・・。

あはは・・・。



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2010年11月08日

 オギロパンとして、広島市に販売に行くなんて、昨年の自分では考えられないことをしたような気がする。

 9月28日に、広島の本通りにある「ひろしま夢ぷらざ」での販売を行なった。
 これには、私の一つの意図があった。

「うちのパンって、よそでも売れるのかなぁ?美味しいって思ってもらえるのかなぁ?」

 素朴な疑問である。

 自分自身のパン(ジャスコ店で作っているパン)に関しては、相対的ではなく客観的に判断できるが、オギロパン(昔からあるパン)に関しては、あまりよく判断できない。私自身が、オギロパンで育っているため、この味がある意味当たり前で、それゆえ、客観的に判断する材料に恵まれていない。

 たぶん、この悩みは、私自身の悩みなので、ほかの人から見るとおかしいのかもしれない。

 ともかく、オギロパンでどこまで勝負できるか、知りたかったというのが、一番の動機になったのは確かである。


 だからといって、いきなり出店するほど、私には勇気はない。
 そこで気がついたのが「ひろしま夢ぷらざ」の存在だった。

 広島の中心地である本通りに店を構えているうえに、三原商工会議所が年に1回、三原の物産をひっさげて遠征していることは知っていたので、それに便乗できないものかと考えた。リスクはかなり低くなるし、ある程度、私の疑問に対する答えにもなる。

 まずは、その「ひろしま夢ぷらざ」に行ってみた。たしか、冬と春とか変わるぐらいの時期だった。

 さすがに広島の本通り。平日というのに、人通りがかなり多い。
 担当の方とも話をしてみると、

「だったら、三原の物産展の時に、一緒に来たらいい」

 と、いうことだった。
 
 三原に帰って商工会議所の担当の方に話をすると、

「じゃ、つぎに行くときに、声掛けてあげる」

 と、いい返事をいただけた。

 
 さて。
 
 実際に行く段になり、少々悩む。

「何を持っていこう・・・」

 私の頭の中には、オギロパンで一番支持されているであろう「しゃりしゃりバターパン」が、すぐに浮かんだのであった。


(つづく)
 
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2010年06月02日

 この瀬戸内一帯では、そばよりもうどんを食べる風習のほうが強いような気がする。雨が少なく小麦の生育に適した土地がらだからか、弘法大師の時代の影響か・・・。海を隔てて讃岐の国では、もちろんうどんが有名だし、福岡県は日本で第2位の小麦の産地である。
 山間部に行けば、そばを食べる地域が出てくる。豊平では、そばでまちおこしをしているし、出雲そばなども有名である。

 さて、何を思ったのか、突然「そば」の話である。

 私のそばデビューは遅い。
 たしか、まともな「そば」を食べたのは25歳のときである。それまでは、あまり興味がなかった。今でも、うどんか、そばか、と聞かれたならば、うどんと答える男である。お好み焼きもできればうどんがいい(これは違うか)。
 
 しかし、近年おいしいそばを出す店もぽつぽつと出来始め、先日はとてもおいしいおそばを尾道でいただいた。「笑空(えそら)」というお店だった。
 三原でも、リージョンプラザの裏の路地に「小川村」という蕎麦屋があって、こちらもおいしい。

 でも、そんな立派なおそばでなくても、おいしいのである。
 まじま製麺のつゆのついている108円のきつねうどんパックでも、てんぷらそばパックでも、結構満足できるのは、うどんやそばの本来の求心力であるともいえる。立ち食いそばなどは、その典型ともいえる。
 先日のさつき祭りでも、やきそばややきうどんなど、うどんやそばを使った屋台が多く出ていた。

 うどんやそばは、日本の誇るファーストフードではなかろうか。

 そんなファーストフードには、やはり若干ジャンクな雰囲気が似合う。
 先日、ネットをさまよっていると、衝撃的なそばを発見した。

コロッケそば

 一体、何がしたいのだろうか?
 てんぷらならまだしも、そばにコロッケ?
 合うのか?パン粉で?

 東日本特有の黒いつゆに、そばとコロッケ、そして卵とねぎが入る。
 このような食べ物は、この近辺には見かけない。

 案外ファンも多いようなのであるが、どうやってその味を確かめたらいいのか?

 解決方法は簡単である。
 自分で作ればいいのだ。

 乾麺のそばを指定時間どおり茹で、つゆは牡蠣しょうゆでつくる。コロッケは近所のスーパーマーケットのお惣菜売り場に売っている、なるべく安くあまり凝ってないもの。卵は水を張った小鉢に落とし、1分弱電子レンジで加熱して、温泉卵風にする。

 そして、できあがった・・・

コロッケそば
CIMG4597 まず、そばをたぐる。一口目、二口目はまったくもって普通のそば。そして、コロッケに箸を進める。コロッケをかじると、つゆと相まって、あの安いコロッケが美味しく食べられるではないか。
 食べ進めるうちに、コロッケが非常に魅力的な食材に感じられるのが、コロッケそばのすごいところである。

 食べ終えた後、ちょっとした達成感と、「なんだかへんなものでおなかいっぱいになっちゃったなー感」で満たされる。

 たしかに支持されるだけあって、美味しい。
 関東方面に行った際には、駅の立ち食いそば屋でチャレンジしてみたいなぁ。

 でも、コロッケそばは、家庭の食卓より、駅で急ぎながら食べるほうが、似合っていると思うなぁ。
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2010年05月21日

 三原駅前市民広場。
 その名称の無色透明な感じの原因は、その広場の性格上の問題である。

 ペアシティ東館跡地から三原市民駅前広場になった、あの土地であるが、おおざっぱにおさらいしておきたい。

・三原駅前に専売公社があったのだが、廃止したためその土地の再開発の機運が起こる
・専売公社跡地がペアシティ三原として再開発が行なわれる
・ペアシティ東館に入っていた天満屋が撤退。天満屋の所持していた不動産の権利を東京の不動産業者に売却
・東京の不動産業者が、いわゆる地上げを行ない、ペアシティ東館を解体
・東京の不動産業者の計画していた再開発が暗礁に乗り上げる
・三原市が東京の業者からペアシティ東館用地を取得
・三原市がペアシティ東館跡地を再開発しようとしたが、難航
・整地を行ない、三原駅前市民広場を市民に開放

 ざっくりと整理してみた。
 こう考えると、不思議な土地である。三原駅前が盛況なころから専売公社はあった。つまり、駅前の一等地に市民の活用できない土地があった。そして、再開発が行なわれ天満屋が入ったが、撤退。理由は売上を上げられないから。つまり、市民が活用できなかったから。東京の業者が購入し、挫折。そして、三原市の買い上げ。

 つまり。あの土地はいままでまったく三原市民にとって「有効な使い方のされていない」土地であると言ってみてもいいかもしれない(過激?)。

 三原駅前市民広場という、無味乾燥な広場になってしまったのも、結局は「もてあましている」からに過ぎない。
 だが、この事例は三原に限ったことではない。地方都市の駅前とは、昔に比べて活気がなくなっていることは、事実なのである。

 では、その三原駅前市民広場。
 どのように活用したらよいのかを、行政がアンケートを取ってみると、商業施設や娯楽施設。または市役所の移転先など、妥当な意見が返ってきたようである。
 
 三原市民にとって、あの広場は、どうしたらよいものなのだろうか。
 それに対する、明確な答えはない。
 このあたりが、駅前が空洞化する理由なのかもしれない。


 ここから、好きに書かせていただきたいと思う(ここまでも、好きに書いてきた?)。
 
 私個人の評価として、三原市の決断は正解だったと思う。100人を超える地権者いたペアシティ東館を一つにまとめあげることは、三原市民には不可能である。それを行なうためには東京の業者の荒唐無稽な計画と野望が必要だったのかもしれない
 結果として、三原市はペアシティ東館跡地を取得することになった。東京の業者に分割して販売されるよりは・・・ということが大義であった。

 しかし、そのあとが大変である。
 けして右肩上がりではない経済環境。少子高齢化の進む社会。若者はほかの街にでてゆき、かえってこないという、典型的な地方都市。
 そんな状況の中で、三原駅前にある広大な土地を活用しようと思うほうが、至難の業である。

 私としては、三原駅前市民広場について、いくつかの要望がある。
 まずは、広場としての設備を充実すること。電気も水道も下水も整っていない広場は、単なる野っぱらと同じである。ある程度のインフラを整備した状態でないと、広場として活用するにも、困難が伴う。
 次に、防災拠点としての機能を持たせること。腐っても鯛というが、三原駅前のあの広大な土地は、市民にとって有効な防災拠点となりうる。その防災拠点を有効にするためには、たとえば防災トイレ(下水トイレ)などを設置することを前提に考える必要があると思う。また、災害時のボランティアセンターが駅前にあれば、復興のための利便性にかなり優れていると思う。
 最後に、指定管理業者として商工会議所を選択したことで、あの広場のもつ役割が地域活性化(経済面)という様相を呈している。テント市を今週末に開催するという。また、JAによる市場を常設するともいう。市民があの土地に商業的な魅力を感じているのならば・・・。天満屋も、周辺商店も潤っている・・・?

 先日の調査では、駅前の交通量(人や車)が4割ほど減少しているという。
 元来、駅前の交通量は、万年渋滞中の「2号線」のバイパスという意味でもあったような気がする。それを考えると4割減少し、やっと市民が普通に暮らせる駅前の状態になったと考える。
 そんな環境の中で、駅前であるという特性は排除し、三原中心部と言う特性を考えて、三原らしさをメインに、あの広場を永年活用する方策を考えるというのはどうだろうか。

 そう。
 小早川博物館である。(笑)
 この意見については、また、こんど。
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2010年03月04日

 販売店さんには、オレンジ色の「オギロパン」の名前入りのパン箱に、パンを詰めて持っていく。パンを店に並べた後は、空箱をバックヤードに積んでおいてある。その空になった箱を、工場に持って帰って、洗って乾かし、再びパンを詰めて販売店さんに持っていく。

 オレンジ色したパン箱は、この業界ではポピュラーなものである。

オレンジ色のパン箱(プラコン)
http://www.placon.co.jp/d6.html

 そんな空になったパン箱を取りに、とあるスーパーのバックヤードに行った。
 うちのオレンジ色したパン箱を探しているうちに、とあるパン箱に目が行った。
 そのパン箱は、うちのパン箱と同じ形、同じ色をしているが、当たり前だが書いてある文字が違っていた。

「モーコパン」

 うん?モーコパン?モンゴル系?
 うちのなまえもたいがい妙であるが、こちらさんも妙である。

 なんでモーコパンなんだろう。
 うちは名字。まさか「蒙古」さんなんていないだろうし・・・。

 そんなわけで、調べてみた。
 ぐぐってみると(便利な時代になったものである)、大竹にそのパン屋さんはあるではないか。

有限会社モーコ製パン工場
http://www.hiwave.or.jp/kennaikigyou/1240.html

 大竹市のパン屋さんだった。そのスーパーではモーコパンは売っていないので、大竹からわざわざ三原まで、このパン箱が旅してきたのだろうか。

 よく見るタイプ。よく見るからこそ、間違える。たぶん、大竹から、同じようなパン箱を使っている会社が間違え、だんだんこっちにやってきたのだろう。
 兵庫県のほうからきているパン箱を見かけたこともある。
 こういったパン箱は、やってきたはいいが、間違えてやってきたため、もとの場所に帰るすべがない。さまよえるパン箱なのだ。

 そして、モーコパン。
 企業概要を見てみると、社長さんの名前が「望戸」さん。
 そう書くのか!自分のことは棚に上げて、かなりびっくりである。

 パン箱が大竹から流れ着いたこと。名字が会社名になっている似たような状況の会社があったこと。
 なんだか、興味深いできごとだった。
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2010年02月02日

 仕事をしている最中、携帯電話に電話がかかってきた。手が離せないので、コールをしばらく放置していると、30コールぐらいしてやっと切れた。
 いったい、誰が?緊急の用事?

 とりあえず、そのまま仕事を続ける。
 緊急の用事としても、この作業が終わるまでは、待ってくれるはずだ。命にかかわるほどの用事が、私にあるとも思えない。私は医者ではなく、パン屋なのだ。

 さて、その後、店の固定電話にかかってきた。
 ・・・父だった。3代目親分(現:会長、と呼ばれる、代表取締役)である。

父:「さっきの。商工会議所にいったら、手のひらに乗るようなパソコンで、やりょうたんじゃ」

私:「ふーん(きっとiPhoneのことなのだろう・・・と察する)」

父:「それでの。わしゃー、最近、暇じゃけーの。」

私:「うん。(いや、暇じゃーないやろ・・・。というか、暇じゃー困るねん)」

父:「パソコン、覚えようか、思うとるんじゃ。何がいるんかのー」

私:「え??パソコンで何するつもりなん??」

父:「いや。時代についていけんかったら、はずかしいじゃろーが!」

私:「ええやん。時代についていけんで。お父さんらしいよ。」

父:「ばかたれが。はずかしい、いよーるじゃろーが!なにがいるんなら〜」

私:「会社にパソコンぐらいあるんやから、なにもいらんよ」

父:「ほーか。なにもいらんのか。ほんじゃ、ええわ(がちゃ)」

私:「・・・(ええんかいっ!!)」

 ひとしきり、仕事の邪魔をされた挙句、勝手に解決されてしまったのであった。

 ともかく。パソコンなんてものは、道具なのだから、その人が「必要と思う」ことがあれば、使い方を覚えたらいいのである。

 動機が不純であるならば(たとえば、時代についていけない・・・なんて)、覚える必要もない。そんなひとは、時代についていかないほうが、よっぽどその人らしい生き方ができるだろうし、その人らしいのである。
 難しい言い方をするならば、パソコンとは若者が作り出したプロトコルなのである。それを年長者が覚えようとするのは、人類社会では「逆行」というものだ。年長者は、腰を落ち着けて、従来どおりで「近頃の若いもんときたら」なんて小言を言っているほうが、それらしいし、そういった役割をするものが、年長者なのだと思う。

 特に、わが父の場合、携帯電話も前世紀にぎりぎり取れるようになったのに、パソコンだなんて、今世紀中、いや、存命中に習得できるか、かなり不安である。それより、携帯電話のメールを打てるのだろうか?きっと打てないはずだ。

 もっと、時代に乗った新しいことではなく、従来からある、父にとって新しいことを求めるほうが、父にはいいのかもしれない。
 パソコンは、ほっておくと、学習したものが、あっという間に古いものになってしまうのだから。そのスピードに追いつけない者は、たかだか道具の扱いに徒労を覚えるだけである。

 道具は道具として、その人の目的を遂行するためにある。

 ・・・目的が「時代についていく」なら、それはそれで、目的を遂行しているのかな?うーん。
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 今日、小学生の姪の宿題を眺めていた。

 一生懸命「分数」を考えている。分数なら、確かに小学校のころやったなぁ、と思いながら、眺めていた。
 しかし、である。その直後、妙ちくりんな用語が飛び出してきた。

「概算」

 うん?がいさん?なんじゃそりゃ?
 小学校の頃、そんなもの、習ったか?

 例題として(記憶あやふやだが・・・)、こんなものがあった。

「あなたは2352円持っています。831円のものを買いました。今、いくら持っていますか?」

 かなり乱暴である。
 もち金が端数があるのは、良い。831円のもの、というのが、現実味に欠ける。消費税5%として、税抜き、いくらの商品やねん・・・。
 まぁ、いい。この問題は。
 結局、1000円払って、831円のものを買って、お釣りが169円。残金の1352円と足して、1521円が手持ちのお金、ということになる。
 でも、これって、概算?

 次に、こんな問題(また、記憶があやふや)。

「3300かける280は?」

 えー!素直にかけてしまいそうになる。
 でも、概算の考え方では3000かける300で、900,000。
 えー??でもー??

 そんなわけで、その「概算」なるものを調べてみると、論文が見つかった。

https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10091/1705/1/Education097-09.pdf

 なに?その数字を「まるめる」という表現は?
 要は、概算とは「適当に、それぐらいだとわかること」なのかな?

 だったら、最初に「最小単位」の指定をしてもらわないと、問題としては困る。回答をどうしたらいいものか。
 これでは、問題が悪い。出題者に反省を求める。 

 たとえば、出生率を計算するときの方法というものがある(正確には、合計特殊出生率、というらしい)。難しい話は下記URLを参照のこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E8%A8%88%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%87%BA%E7%94%9F%E7%8E%87

 計算はややこしいが、前提として「女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと規定」している。
 とりあえず、その前提の是非は置いておいて、前提としての区切り(最小単位)が無いと、適当な数字は出てこないのである。

 確かに「概算要求」とか、予算で言うと、適当にそれぐらい、なのだけれども。

 最近の小学生は、面倒である・・・。んなもん、大人になって、いい加減になったら、自然に身につくもんとちゃうの?

 職業柄、数字を適当に扱うときと、細かく扱うときの場合がある。
 たとえば、小麦粉1キロから「だいたい」菓子パン50個作ることができる。注文が45個入ったとしても、計算が面倒くさいから、小麦粉1キロで仕込む。50個できる。5個あまる。
 この場合、仕込みの段階で「概算」である。480個注文が入ったら、小麦粉10キロで仕込むのである。20個あまるが、小麦粉1キロで50個取れるのだから、小麦粉9キロでは足らなくなってしまう。
 しかし、販売のときに、「だいたい480個ぐらい」なんていっていたら、大変なことになってしまう。こちらは、細かくいかなければならない。当たり前である。

 と、いったわけで、いまどきの小学生って、算数でなに学んでいるんだろう、というのが、今日の私の感想である。

 昔から「読み、書き、そろばん」と言う。そろばんは算術。もちろん、そろばんで「だいたいの数」は計算できない。そんなものは、細かいことができるようになって、くだけて、大まかな数字を出すようになるのが、順序というものだ。
 
 概念で「教える内容」を決めているのだろうか。これこれを教えなければならない。たとえば「分数」「小数」・・・。確かに、基本的な数字の概念を教えることは重要である。しかし、基本的でない「概数」は必要なのか。

 そんな適当なことまで、手取り足取り教えるというのも、少し考え物なのかもしれない。

 そういえば、中学になり、英語で一番最初に習うのは、「This is a pen.(コレハペンデス)」。
 私に言わせれば「「This is a hen.(コレハへンデス)」。
 この世の中で「これはペンですよ〜」なんて言う場合は、そのペンが「どう見てもペンでない形」をしている場合にしか使わない。つまり、ペンでないようなものにしか、使えない言葉である。そして、日本語ですら、そんな奇特な場面に遭遇したことがない。
 もしも、相手にとって当たり前のものであれば、そのあとに「これはペンですか?」なんて聞いた日には「あなた。これがペン以外の何に見えるのですか?」と聞き返されそうである。

 良くある例文であれば「これはペンですか?」「いいえ、これは鉛筆です」となるので、これが日常であれば、相手に「こいつは、鉛筆とペンの区別もつかないやつだ」と、あとで笑い話にされるだけだ。

 うん?

 概算から、話がとんでしまったのだろうか?
 いや。「だいたい」の事についての話なのだから、内容は「適当」でいいのである。
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2010年01月25日

 今日は尾道の「味龍」の味噌ラーメンを食べた。
 
味噌ラーメン(600円)
10c1a07f.jpg 麦みそを使用、とメニューに書いてあった。麺は少し縮れている。具はチャーシューとネギとメンマ、モヤシ。チャーシューがとても美味しい。
 味噌ラーメンとしては、バランスがよく整っていて、麺も美味しい。自家製麺ということらしく、福山のお店とこちらのお店で「スープ」と「麺」をそれぞれが作っている、とのこと。

 一つだけ、面白いなと思ったのが、料金表示が税抜きになっていること。ラーメン屋さんは、メニューに書いてある通りの値段(税込表記)が多いのに、こちらは、そうではない。
 味噌ラーメン600円にプラス300円でチャーハン(小)をつけることができるが、トータルで945円である。ラーメン屋さんで5円玉をもらったのは、初めてかもしれない。

 だからどうした、というところではある。
 税抜き表示のほうが、まっとうなのかもしれない・・・。
 税込だと、消費税が上がると、メニューの値段を全部やりかえる必要があるので、妥当なのかな。

 そういえば、以前に消費税の表記について、苦労した経験が・・・。
 税金が変わるのは、百歩譲ってよいとして(よくはないが・・・)表記の基準が変わるのは、本当に大変なのだ・・・。それを変更するための手間暇は、政治屋さんは考えていないんだろうなぁ。

 なにより、今の総理大臣は数千万のおこずかいをもらえるんだから、下々の100円単位の話なんて、気にならないのかもしれない。
 うーん。
 
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2010年01月18日

 今日は、新幹線新尾道駅ちかくの「餃子館」で昼を食べた。
 以前に食べた時、ラーメンや餃子、ホルモン焼きが美味しかったので、今回は看板にも大きく出ている「チャンポンメン」を食べてみた。

チャンポンメン(630円)
be7be474.jpg 中華鍋で炒められていた具は、白菜、人参、キクラゲ、ネギ、モヤシ、豚肉、小エビ、イカ。
 スープがしっかり取られていて、野菜や魚介のうまみも加わって、ガツンとくる旨さで、若干塩気が強い。
 麺は太すぎず細すぎずの若干縮れた感じのするもの。
 全体的に、すこし油が多いかなぁ、塩っぽいかなぁとも思うけれど、これはこれで、パワーのある旨さだと思う。白菜が多く入っており、野菜をしっかりとれて、いいかもしれない。

餃子館 メニュー
a6063fbd.jpg 全体的に価格が低く抑えられていて、しかも美味しい。

 次から次へとお客さんが来てとても活気がある。
 人気があるお店なんだなぁ。

 来週は、行ったことがない「東珍康」にいってみようかなぁ。
 とんかつラーメン・・・??
 ハンバーグラーメン・・・??
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2010年01月17日

 今日は「阪神・淡路大震災」が起こって15年目の日である。

 ちなみに、3月24日は「芸予地震」の起こった日。今から9年前になる。 
 三原市でも震度5強を観測し、ブルーシートが目に入ったあの地震。
 埋立地である円一町で液状化現象の起こった、あの地震。

 本当に、地震とは恐ろしい。

 私は「阪神・淡路大震災」と「芸予地震」の両方で「えらい目にあった」ので、地震に対する恐怖心が人一倍強いようである。

 三原市でも、昨年「防災ネットワーク」が出来たのだが「やっとできた」という感がある。芸予地震から8年経って、やっと。

 確かに、このあたりは地震が少ない。天変地異も少ない。ときどきやってくる台風による高潮や土砂崩れ。数年おきにやってくる積雪。これだけで十分「大変だ」と思える地域である。

 数日前に起こったハイチでの大地震に、私の周りでいち早く反応したのは、なんとジャスコだった。もうすでに「ハイチ大地震への義捐金」として、レジ回りに義捐金ボックスを置いている。

 いくら遠くだといって、ハイチに対して日本政府として迅速に大きな援助をするわけでもなしに(医療団は必要だが、災害に対して規模が小さい・・・)、ほっておいていいのだろうか?わけのわからない一議員の金銭問題や政府の支持率よりも、他国の甚大な被害に対して、我が国としての思いやりを見せることが出来ないのだろうか。国際社会に対して「友愛」と言うのならば、こういう時こそ「友愛」精神を見せるべきではないのだろうか。
 いかんせん、我が国の政府に対し、失望感を覚えざるを得ない。
 少なくとも、私の払った税金(微々たるものだが)だけでも、ハイチに向けてほしいと、心から願う。

 おっと、脱線してしまった。
 そんなことじゃなくて。

 ともかく、三原という場所は、天変地異からほど遠いところにある。
 地震は震度5強が9年前に起こっていても、そんなに危機感もなく(公共施設や学校の耐震化はずいぶん進んでいることは、置いておく。対象は市民である)、今日が「阪神・淡路大震災の日」であることも、昨夜のドラマの話題ぐらい。
 ほんとうに、ありがたいものである。

 しかし、天災というものは、いつどこで起こるかわからない。一度痛みを負った人間が、同じ痛みを忘れてしまうのは、どうなんだろう?

 改めて、我が三原市の自主防災体制について、想いを馳せる。
 まず、自らを守れるか。そして、他人を助けることができるのか。
 三原という、自然災害に縁の遠い場所こそ、自然災害に備える必要があるのではないか。その備えが、まちの「つよさ」につながってゆくのではないか。

 三原にできた「防災ネットワーク」が、より強固になるよう願っているし、出来る限り防災に関わってゆけるようにしたいと思う。

三原市防災ネットワーク
http://mihara.genki365.net/gnkm05/mypage/index.php?gid=G0000006

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2009年10月16日

 私の所属している(社)三原青年会議所まちづくり委員会が、とんでもない企画を進めています。

 なんと3万個の「手作りキャンドル」を集めて、三原小学校で灯そうとしているのです。
 なんて無謀なのでしょう。(笑)

 三原市の人口は約10万人です。ですから単純計算で三原市民の3人に一人が1個の手作りキャンドルを作るという計算もできます。33%の人がキャンドルを1個作るんです。
 しかも、それを三原小学校のグランドに敷き詰めて、10月31日に点灯!とは・・・。無謀です。(笑)

 しかし、私はこの心意気に感動します。

 そう。このような「ドン・キホーテ」的な活動や心意気が、三原には足りないのです。企画は多少無謀であるとも、それを行おうと行動している姿。そして、続々と集まっている手作りキャンドル。すさまじい力を感じます。

 やっさ祭りに踊り手として出場する人は約7000人。三原市の1割にも満たない数です。しかし、この「みはらエバーラスティングライト」では、どれだけの数の市民が参加するのでしょうか?すごい数になるのでは?

 ですから、その心意気に胸打たれ、オギロパンジャスコ店でも、「手作りキャンドル」の回収場所に名乗りを上げました。
 皆さんが作られた「手作りキャンドル」を当店にお持ちくだされば、確実に三原小学校で灯されます。

 ついでに、ジャスコさんも巻き込んでしまいました。
 ジャスコさんのサービスカウンターでも、「手作りキャンドル」の回収をお願いしています。

 是非、手作りキャンドルを作られた際、当店かジャスコさんのサービスカウンターにお持ち込みください。お待ちしております。

 また、開催当日も、キャンドルの持ち込みを受け付けておりますので、是非、参加されてみてはいかがでしょうか。

 現在、キャンドルの数は、まだギネス記録更新までたどり着いていないようですが、まだまだ追い上げがきく日数があります。


 ちなみに、私も、キャンドルを作成し始めています。少しでも、3万個のキャンドルに近づけ、ギネス記録を達成し、三原の自慢を一つでも増やす助力となれば、幸いです。

 この無謀な企画。成功するかどうかは、ここからの半月足らずの追い上げにかかってきています。マスコミも少しづつ、動き始めているようです。

中国新聞10月13日掲載「三原への愛着の灯ともそう」

 三原から世界記録が生まれれば、本当に素晴らしいことだと思いますし、素敵なことだと思います。キャンドルをご家庭で作るときに、夫婦間で、親子間で、会話が膨らむでしょう。それがギネス記録になれば、もっと思い出に残るでしょう。
 そういったことが、三原人の誇りを生むのだと思います。
 そして、これが毎年続けることができれば。毎年数が増えてゆけば。三原の秋の風物詩になるのではないでしょうか。素敵です。

 私は、この企画が失敗してもかまわないと思います。しかし、すでに集まっているキャンドルをみると、ギネス記録に達しなくても、それだけのキャンドルを集めて灯すだなんて、素晴らしい夜になるのではないでしょうか。

 あとは、天気だけが心配です・・・。

 詳しくは、下記サイトへ!

みはらエバーラスティング ライト公式サイト
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2009年09月04日

 ほんとは、ブログ更新している場合じゃないんだけどなぁ・・・。

 今日、店を閉めているとき、何気なく50円玉に目がいった。
 
「うん?なんか薄い50円玉があるぞ?」

 50円玉を重ねているときに、厚い50円玉と薄い50円玉があることを発見した。さしあたり、そんな「薄い50円玉」を抽出。

「もしや、まさか某国の陰謀で50円玉の贋金か?」

 実際、フランスではフランが通用していた時(だから、2002年まで?)、10フラン玉(当時のレートで150円〜200円)が、南仏のほうで偽造されており、流通に乗っていたそうな・・・。

 で、1枚1枚検証してみる。
 50円玉って、案外シンプルなのね。そして、薄い50円玉は、昭和40年代から通用しているものであることが分かった。

「おいおい。同い年か年上の50円玉だよ・・・」

 たくさんの人の手に渡り、たくさんの旅をして、今ここにいる50円玉たち。
 擦り切れて、少し薄くなったようである。

 実際、20枚ほどそんな「昭和の50円玉」を重ねてみる。
 その隣に、同じ数だけ「平成の50円玉」を重ねてみる。

 なんと、1枚分ほど厚みが違う!


 私の個人的な思いとしては、そんな擦り切れた「昭和の50円玉」が、なんだか愛しく思えて仕方がなかった。


 そして、今日の閉店作業が、無意味に遅れてしまうのであった・・・。
 どうやら、20分ほど50円玉の観察に費やしてしまったらしい・・・。

 とほほ・・・。
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2009年06月27日

三原城跡の堀の横。隆景広場の隅に、その慰霊碑はある。

慰霊碑

原爆死没者慰霊碑である。
昭和20年8月6日に、広島に投下された原子爆弾は、一瞬にして広島の街を焼き尽くした。そして、救援に駆け付けた方は放射線による二次被曝を受け、今でも苦しんでいる方が多いと聞く。
もちろん、この三原にも、被爆者の方がいらっしゃる。

小学校のころから、近い存在から「被爆体験」を聞いてきた私としては、ある意味、万感の思いである。
どうして、広島に、そのような爆弾が落とされなければならなかったのか?
素朴な疑問を生じた。
まずは、「日本を早く負かせるためなんだよ」と教えられた。そうかもしれないと思った。
そして、まだ若かったころ、ネットなんてない、本しか情報源のなかったころ、私は一つの説を読んだ。それは、広島・長崎への原爆投下は「冷戦前の東側諸国へのけん制」であった、と。
どうやら、さまざま事情で、原爆は落されたようだ。
あちらさんからすれば、それによって利益が得られたわけだから、効果はあったのだろう。こちらからすれば、そうでなくても敗戦必至だったのに、泣きっ面に蜂である。

私は今は知っている。国際社会というものが、きれい事では済まない事を。
国際協調という言葉が、どれだけ軽いかということも。
日米同盟という言葉が、対等の同盟ではないことも。

非常に喜ばしいことに、広島・長崎の原爆投下の後、核兵器は使用されていない。
しかしながら、通常兵器による被害にあっている一般住民は多数に上る。
また、「カラシニコフ」と呼ばれる「世界で一番人を殺した兵器」をいうものがあることも知っている。

日本は、海に囲まれ、比較的同質性の高い人たちで構成されている国である。
海の周りには、島があり、その島には外国の勢力が進出してい場合もある。
しかし、それを日本に取り戻すためには、日本には「外交交渉」しか道はない。

まさか、憲法9条を拡大解釈、または改正して、武力による日本領土の奪取ともなると、国際的な批判よりも、国内的な混乱が起きるという、とても不思議な国である。

広島にある、原爆慰霊碑には「二度とあやまちはくりかえしません」と書いてある。
以前書いたことがあるが、この「あやまち」とはなにか。
「原爆投下」と考えるのが普通だろうか。
もしくは「戦争」を行なったこと、だろうか。

どちらにせよ、平和ボケした日本で、国防のことなど真剣に考えている人は少なく、そして、それに対しての行動を起こす人も少ない。
軍事マニアは多いが、「戦争」とは政治の一手段であることから、どちらかといえば、政治に詳しい人のほうが、コメント的には適切に思える。

ひとつ、予言をしておこう。

50年以内に、台湾は中国領となる。
もしかすると、朝鮮半島も、中国領となる?

日本はアメリカの核の傘が、いつまでもかかっていると思ってはいけない。
所詮、人の傘。嫌いになれば、はずされる傘である。

そして、日本人は、核は持たないだろう。
少なくとも、核兵器を持つような政府を、私は信じない。
心情的な面と、合理的な面から、私は許さない。

今年も、8月6日はやってくる。
もういちど、日露戦争が終わった後から敗戦までの政治の流れ、国民の考え、世界の流れを整理し、「先の不幸な戦争」と呼ばれるもの、過去のものにするべきである。

未来志向の外交(平和外交ではない)は、いつ、日本に生まれるのだろう?
それより、日本は、このさき、大丈夫なのだろうか。
そして、三原も、娘が大きくなるころには、どのような街になっているのだろう。

少なくとも、私が小学校1年生のころのみはらとは、今の三原はずいぶん変わってしまった。
もっと歳の人だと、もっと変わってしまったと言うだろう。

小早川隆景公なら、どんなことを言うだろう。
おもわず、空想してしまった。
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2008年12月11日

 久しぶりの更新。
 ちょっと緊張します・・・。

 このブログが停滞しているのは、お店が忙しいのではなくて、某ボランティア団体での活動が忙しいからなのですが、その結果として、1年間、新聞とテレビとホームページを作ることができました。特にテレビは地元のケーブルテレビの放送として、多くの方に見ていただき、いろいろな方から「でとったね」と言われました。・・・内容には触れてくれませんが・・・。
 実は、来年も同じ仕事をすることになってしまい、またまたブログが停滞しそうな予感がします。

 そんなこんなで、たまにはこちらにも手を入れておこう、ということで、先日思い出したことなど。

 うちの店に「パンチアート」というものを趣味にしているスタッフがいます。
 先日、店に持ってきた作品を見てみると、これがなかなか素晴らしい!
 思わず、対抗意識を燃やしてしまいそうになりました。

 そこで、その子に見せたのがこの画像です。
はじめての飾りパン 私の作った「飾りパン」です。
 三原に帰ってからは、「飾りパン」をあまり作ることがなくなってしまい(仕事の合間に作る余裕がないのです)、私を含む、数人の結婚式のウェルカムボードとして、数点作っただけです。
 フランスに行っていた時は、案外時間があったもので(だって、お店が山の中で、これといって遊ぶところもなく、キッチンでパンを作ることが最上の喜びだったもので…)、合計10点ぐらい作成しました。
 画像のものは、タブロイド見開き面(さんあいジャーナルをひろげた感じ)程度の大きさ。人生で一番最初に作った「飾りパン」です。

 しかし、残念なことに、今までこれ以上のレベルの飾りパンを作れたためしがありません。たぶん、ルーキーのジンクスと同じなのではないかと思います。最初だから、要領も分からず、全力投球して好成績を残し、2年目はそこそこ・・・のような。
 私も最初にすべての知識と経験と技術を注ぎ込んで、大変な思いをして作り上げたこの「飾りパン」には、かなり思い入れがあります。が、同じものを作れ、ということになると「正直しんどい」のです。だから2作目から、かなり「楽してそこそこのものを作る」ということになってしまいました。

 とはいえ、やはり動機が大切なのだと思います。最初につくったものは「飾りパンを作りたい!!!」という気持ちが大きく、とにかく何でもやってみようという感じで、一生懸命作った結果が、そうなった、ということなのかもしれません。

 ともかく、たぶん、これ以上の作品を作ることはもうない・・・と思います。
 そして、注文を受けても作らないでしょう。・・・作れないから。
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2008年02月02日

0ee16143.jpgフランスパンから自然に水分をきれいに飛ばして、軽く焼き、溶かしバターをからめて、グラニュー糖をまとわせる。そして最後に軽く焦げ目がつくまで焼き上げると、一口ラスクの出来上がり。

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2008年01月25日

16cc95cc.jpgダルマの看板、駅前のとんど(しかし、神明さんが終わったあと、あのとんどはどんな運命を辿るのだろう?)が登場すると、もうすぐ、神明さんということである。

東町も館町も、幼い頃とはずいぶん変わり、神明さんの独特なガヤガヤ感が薄れゆく気がする。

しかし、ダルマくじも日本一の大ダルマも、共楽堂の酒蒸しまんじゅうは、変わらない。

今年こそは、時間をつくってぶらぶらしてみようかしらん。

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2008年01月19日

be20a9e5.jpg神明さんの時に駅前とジャスコ店で販売する、重量4.5倍の「メガコッペパン」です。

某ハンバーガー屋さんや某牛丼屋さんのパクリ?と思われそうですが、うちのほうが若干早く始めております。
たしか、2年前?

冗談で販売してるので、数量限定で、価格は500円の予定です。

本日、テスト販売で1個販売しました。

神明さんのときは、お忘れなく。

そういえば、節分の「鬼の豆」が先にありますね。一応、「一口ラスク」を準備するつもりですが、また直前に作ったらアップします。

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2008年01月14日

1701ec1e.jpg頭があまりよく回っていない。
回っても、たいしたことはないけど。

ジャスコの非常口にこう書いてあった。

「非常口につきものを置かないでください」

それを眺め、通り過ぎながら、頭の中で文章を読み返していた。
…ん?何かひっかかる?

非常口に、つきものを、置かないでください・・・?

つきもの?
憑き物?

なんだそれは。
悪霊のたぐい?

誰がここに憑き物を置いていくんだろうか?
姿形ないから、問題ないのでは?
非常口が開かなくなるくらい強いのを置かれた前例でもあるの?
そもそも、今時、憑き物って?
しかも、こんな場所で除霊?

数々の疑問が頭の中を駆け巡った。

…そして、もちろん、その数秒後、

非常口につき、物を置かないでください。

と、正しく理解し、最初の自分の解釈に苦笑いするしかなかったのであった。

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2007年12月23日

966350d4.jpgクリスマスセール中である。
ふと、駐車場を眺めると、ゲートが開いたままになっていた。
そういえば、最近書類に目を通してなかったなぁ、と、紙のたばをゴソゴソやっていると、きちんとお知らせが来ていた。

「12/20・クリスマス・年末年始駐車場開放のご案内」

年末年始には駐車場が開放されるらしい。
それが無難かも。

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2007年12月13日

fa724b02.jpg半分位の高さになってしまいました。
更地になるのは来年2月頃とのこと。

娘が大きくなったとき、三原に天満屋があったんだぞ、なんて言っても、信じてもらえなくなるのかな?

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2007年12月02日

 三原芸術文化センターのイルミネーションも良いが、そういえば、以前このブログで書いた「異常にサンタクロースのたくさんいるイルミネーションの家」が、ふと気になったので、行ってみた。

 昨今、原油高で、電気代も高くなっている。やはり今年は縮小傾向なんだろうか、なんて思っていたのだが・・・。

 その家に、車で近づいて行くと、例年との変化にすぐにがつく。去年より、輝かしい。ついに垣根に点滅式イルミネーションがついているではないか!拡大されている!!

あのいえ1あのいえ2

さすがである。
玄関先から縁側のイルミネーションも。
あのいえ3 本当に、気合が入っているなぁ。年々、設備投資も行い、規模が拡大している。この調子だと、あと5年もすれば、煌煌と光り輝く「クリスマス御殿」になってしまうことだろう。

 いろいろ考えることはあるのだが、ここまでされてしまうと、頭を垂れるしかない。その情熱が素晴らしい。

 ・・・しかし、電気代、12月分はいくらになるんだろう・・・。いや、こんなことを考えるなんて、無粋である。行動を起すことに意義があるのだ。

 さしあたり、帰宅時の楽しみがひとつ増えたことは、間違いない。
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2007年11月30日

 この秋に完成した、三原文化会館に換わる市民ホールである、三原芸術文化センター(通称:ポポロ)が、ライトアップされていた。ポポロライトアップ さすが60億円かけて建築された、新たな三原を代表するホールである。きっとライトアップにも、きちんとデザイナーが関わっているのだろう。洗練されている。
 画像には写っていないが、建物の正面左側には、イルミネーションのついた樹木が整然と並んでいて、見ごたえがある。

http://www.mihara-popolo.com/topics02.html

 このホールは、まだ入ったことがないのだが、評判は良いようである。
 約1200人の入るホールや、リハーサル室、楽屋など、必要なものはそろっている。音響もきちんと計算されており、オーケストラが演奏しても、よく響くらしい。
 
 せっかく良いハコができたのだから、ここを文化拠点とし、三原の芸術文化が発展すれば、素晴らしい事だと思う。

 私の趣味は、クラシック音楽の鑑賞および演奏なのだが、こういうホールが三原に欲しかった・・・と、言いたいところだが、反対に「これ、持て余すことにならへんやろか」と心配している。三原の音楽文化事情から考えて、かなりオーバースペックなものを作ってしまったのではないだろうか?

 具体的に考えてみると、座席の一部を取り外し、オーケストラピットを用意できるようになっている。これは、どう考えても「オペラ」や「ミュージカル」のための舞台装置であるが、商業ベースで成り立つかという点から考えると、不可能に近い。
 プロの歌劇団(一流ではなく、一応プロ、としておく)を招聘し、どこからも援助なく、チケット代だけで公演を成り立たせることを前提に計算してみると、チケット代が1万円を超える。
 もし、海外の歌劇場の引越し公演をするのであれば、今度は、舞台の大きさが若干足りない。いや、舞台の広さではなく、舞台の横に必要なスペースが小さい。つまり、グランドオペラなどの引越し公演はできない。
 仮にオペレッタや一幕物の軽いものであれば、可能であるが、そういったものを、三原市民が望んでいるのだろうか?

 となると、オペラで商業ベースでの利用は、厳しくなってくる。オケピットがあるのに?

 では、オーケストラでは?
 舞台の広さは十分あるし、音響もよい。ここでも1200人と言う中途半端な客席が、チケットの価格を上げる。
 多少高いチケットでも、いろんな演奏家が来るたびに満席になるほど、三原のクラシック愛好家がいるか?
 たしかに、三原に来てくれれば、その分広島や福山や、ましてや東京や大阪などに出向かなくて良いわけなので、多少チケットは高くても良いと思えるクラシック愛好家が、どれだけいるのだろうか?

 と、ここまで厳しいことを書いてみたが、言いたいことは1行で済んでしまう。

「ハコを建てたら、それで終わりと思うのは、大間違い」

 つまり、ハコを建てるならば、長期的な戦略を持ち、そのハコを有効活用する戦術を取り、いかに三原の文化水準を上げることができるか、ということを前提にして、ハコを用意しなければならない、ということである。
 だから、そういう戦略を持たず、ただ建てただけでは、たんなる立派なハコで、中身は空っぽの状態になる。天満屋の紙袋の中にうまい棒が1本、という状態である。それでは、アンバランスなのである。

 せっかく60億もかけて、文化会館を建て直し(たしかに、文化会館は音楽をするには大変状態の悪いホールであったのは、間違いないが・・・)、新たなホールを作ったのだから、その中身をどうするか、もっと市民レベルで考えてみればよいのではないだろうか、と思ったりする。

 文化とは、与えられるものではなく、生み出されるものなのである。
 私は、この三原の力、新たなる「文化」が生み出されることを、祈るばかりである。

 ・・・じゃ、おまえが何かしろよ、って言う話になりそうな・・・。
 
 まぁ、10年後ぐらいには、何かしてるかもなぁ・・・。
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2007年11月21日

beaf8ad2.jpg 話を進めると、あっと言う間に決まってしまい、明日から販売開始です。
 レジ横のスペースが、「やまもと珈琲店コーナー」になりました。

 様子を見ながら徐々にファンが増えると良いなぁ、
と思います。

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2007年08月12日

やっさ祭り二日目だった。ちなみに、明日の三日目は花火大会である。このまま行けば、まず晴天に恵まれ、大空に大輪が花咲くことであろう。

さて、今日はひとつしんみりとする瞬間があった。
それは、一人の老人のやっさ踊りだった。

飛び込み参加であろうと思われる、ひとりのお年寄りの踊っていたやっさ踊りが、私の目に妙に焼き付いてしまった。その踊りは、とても身体の力が抜けていて、自由自在に曲に身体を合わせ(いや、あたかも身体に曲を合わせてしまったかのようにも思わせる)、楽しそうなあのやっさ踊りを。まるで、そこに「踊りの神」が舞い降りたかのような。

私自身がやっさ踊り大賞を進呈できるのなら、あの名も知らぬ一人のお年寄りにさしあげたい。


踊りとは、踊り手が楽しんでいることが、最重要事項。
だが、踊り手が楽しんでいるだけでもダメだし、観る者が心踊り、一緒に踊りたくなるようなやっさ踊りは、案外少数である。

どのチームにもはいっていなかった、心からやっさ踊りを楽しんでいる、一人の老人のやっさ踊りを踊っていた姿は、本当に心に染みた。あれは、やっさ踊りの本当の本来の姿なのだろう。そう、確信するような踊りだった。

もちろん、チームで出場している人のなかにも、すばらしい踊りをする方がいらっしゃることは事実である。
私は、あえて「飛び込み」で参加されたというところに、すばらしさを感じているのだ。

集団の練習をつんだマスゲームのようなやっさ踊りも見応えがあって結構だが、やっさ踊りとは、見せ物なのだろうか?

踊るものも観るものも、心から楽しいやっさ踊りとは、案外単純なものではない気がする。もっと、基礎的な部分で、深い「身体が勝手に動くようななにか」がある気がする。それは、踊りが「なにげない」喜びを示す一つのことばであるかのように、身体全体で、喜びを表現することではないだろうか。

そして、その「喜び」とは、あくまで物質的な目的や、人からの評価という目的の為ではなく、自らの精神的な喜びを達成するための、高い技術能力をもってして成り立つ、ひとつの目的ではなかろうか。

そんな三原に長らく伝わるやっさ踊りを受け継いでいく心意気を、少しでも持ちたいと思う。

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2007年08月10日

943e345b.jpgやっさ祭り、初日です。
三原駅の中に、やっさ踊りのジオラマが展示してありました。
これがなかなか、躍動感があって見応えがありました。

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2007年05月18日

5e029a6a.jpg今、店の前の食品催事場に、駄菓子屋さんが来ている。

なんだか妙に懐かしく、毎日、ついついのぞいてしまう。

なつかしの駄菓子や、簡素な玩具がなかなか充実している(でも、火薬系のおもちゃは無い)。
シガレットチョコや、マルカのガム、刺したら刃の部分が引っ込むびっくりナイフ、ゴム鉄砲(いや、ゴム鉄砲は割り箸で自作してたなぁ・・・)、粉ジュース、細長いゼリー、水風船(これって、水道の蛇口につけて水入れて膨らせるけど、よくよく考えると、かなり無意味な遊びであるような気がする・・・)、などなど。

見ていて、飽きない。
これに、くじ系の駄菓子(はずれたらカレー味のスナックを白い袋につめてもらうもの)や、古切手のくじや、本当かどうかわからないアイドルの生写真などあると、完璧である。
個人的には、銀球鉄砲は外せないが、これもなかったのは、多少残念であった。近頃立派な空気銃が売ってるから、売れないのかな?
水鉄砲はあった。水鉄砲こそ、水風船と同じく、結構無意味な遊び道具のような気がするけど(人に迷惑をかけて楽しむ遊び方しか、思いつかないからか?)。

そして、神明さんでおめにかかるしかない「お面」や「どんぐりあめ」もある。
どんぐりあめは、量り売りで10グラム26円。正直、そう書いてあってもよくわからない。

しかたがないので、ピンボン玉サイズの特大どんぐりあめを4つ買ってみると、444円だった。つまり、1個が111円で、たぶん42グラム強。
1個包装された、のど飴が4グラムぐらいだから、10倍の大きさということになる。普通のどんぐり飴より直径が2倍くらいありそうなので、かなりでかい飴である。口の中ではどんなことになることやら。なめきるまでに、どれだけの時間がかかることやら。

私自身が食べるのは、ちょっと抵抗があったので、甥と姪にあげた。うちの娘には、この巨大などんぐりあめはまだ早すぎる。
ちなみに・・・食べた感想は聞いていない。想像はつくが・・・。(笑)

娘がもうちょっと大きくなったら、娘の手を引いて、神明さんに行きたいなぁ、と、ふと夢が膨らんでしまった。

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2007年05月02日

e2ecf730.jpgゴールデンウィーク後の1ヶ月、不便かも?

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自己紹介
四代目(よんだいめ)
老舗パン屋の四代目として、三原に生まれ育ち、跡を継ぐ。 2010年に代表取締役社長就任。
社長になっても、なんだかんだいいながらイオン三原店の店長も兼務。
三原がふるさと。大阪がボケと突っ込みのふるさと。フランスが心のふるさと。
日本と広島と故郷の三原と我が妻と娘をこよなく愛する40歳。

========

オギロパン イオン三原店
郵便番号 723-0014
広島県三原市城町2-13-1
TEL&FAX 0848-62-8800
営業時間 午前9時〜午後8時
定休日 年中無休(お店は)
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