三原の街のこと

2011年02月20日

 今年に入って、急激にはまってしまっていることがある。
 それは「お好み焼き店めぐり」。
 美味しいのは当然として、お店の作り方や呼称の差が面白いので、すっかり魅了されてしまっている。

 偉そうに言うわけではないが、三原市のお好み焼き店の件数は、ざっと数えて80店強(現在調査中)。電話帳に載っていないお店もあるので、90店ぐらいはあるかもしれない。人口当たりに考えると、約10000人に1店の割合で「お好み焼き店」が存在することになる。
 ちなみに、ラーメン店は・・・25店前後かな?(いいかげん)
 天下のラーメンに比較しても、かなりの多さだと思う。

 広島市のお好み店の数が平成18年で904店。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1115884539238/index.html
 さすがに多いが、広島市の人口が117万人だから、比率的にはいい勝負なのかもしれない。

 さて、そんな三原のお好み焼き店をめぐっていると、いくつかの不思議なことに出会う。前述の通り、各店の作り方や呼称が興味深いのである。

 まずは、以前にも書いたように、そば(うどん)の入ったお好み焼きを「モダン焼き」と呼ぶ店が多いこと。これは、比較的新しい店にも当てはまるようである。皆実の昌や、宮浦のわかばなど、そうでない店もある。が、たいてい「モダン焼き」は通じる。

 次に「モツ」が選べること。鶏のモツであるが、レバーであることが多いような気がする。味はつけていなくて、生を使用する。どこが元祖かはよくわからないけど、駅前のてっちゃんがその一端を担っているような感じ。てっちゃんで勉強したおこのみ焼き店主がある程度いるようである。

 最後に、作り方として、広島のお好み焼きの定石である「重ね焼き」の方法が、若干異なるお店があること。通常ならばほぐすだけ、もしくはソースで下味をつけるだけの「そば」であるが、それをおもいっきり「焼きそば状」に炒めて、広げた生地に乗せるパターンである。これを「三原焼」と呼称する場合もある(お店では呼称していないような気がするが・・・)これは、モダン焼き表記のお店と被るようで、被らない(モダン焼きでも、通常の「重ね焼き」をしているお店もある。たとえば、駅北口のつぼみ、宮浦のたくちゃん、駅前のてっちゃんがそうである)。

 あと、つけくわるのならば、ソースがオタフク・カープ・テングのどれかを使っていることであろうか。以前にも書いたが、テングソースは三原の中間醸造がつくる「地ソース」。こだわるお店は新しいお店でもテングソースを使っている気がする。たとえば、宮浦のじゅっぽや、明神のファンシーフリーがそうかもしれない。

 キャベツの切り方も店により千差万別である。千切りのところから、ざく切りまで。紅ショウガを乗せるか、のせないか。青ネギを入れるか入れないか。細切りのニンジンを入れるか、入れないか。各店による個体差が大きい。

 また、県内で「イカ天」と呼ばれるスナックのイカのてんぷらが、なぜか三原では「のしいか」と呼ばれている場合が多い。本当に「のしいか」が入っているのではなく、「イカ天」が入っているのに「のしいか」と呼ぶのである。

 ついでに、関西風お好み焼きを出す店が駅周辺に集中している。頑固亭、フロンティア、花のれんがそうである。

 確かに、三原というまちは、関西圏と文化的に繋がっている部分があった。

三原市年表
http://www.mhr-cci.or.jp/cci_info/history/chronology.htm

 1933年から帝人がある。昔を知る他地域の人は「三原は帝人のまち」と認識している方も多かったようである。帝人は大阪に本社のある、立派な関西系の会社である。オイルショックまでは飛ぶ鳥を落とす勢いのあった会社で、大阪と三原との間に、人の流れがあったことは予測できる。
 ちなみに、当時、大阪〜三原間に「びんご」「とも」という列車が走っており、新幹線開通まで活躍していたようである。このことからも、三原〜大阪間に、ある程度の人の流れがあったことがうかがい知れる。

 さて、そんななかで、大阪の「モダン焼き」が流入してきたんだが、どうだかはよくわからないけど、大阪の「モダン焼き」もそばを混ぜるタイプと乗せるタイプとある。三原のモダン焼きも「焼きそばをつくる・・・まぜるタイプ?」と「普通の重ね焼き」のように乗せるタイプとある。似ているような、似ていないような。

 父の小さかったころ、昭和30年代初頭には、三原にもお好み焼きがあったらしい。やはり、薄く生地をのばして、キャベツを乗せるものだったという。キャベツを乗せただけのモノを「素焼き」と言っていたらしい。

 では、広島のお好み焼きと、大阪のお好み焼きと、どちらが先に三原に入ってきたか、ということを考えると、どちらかというと、大阪が先なんじゃないかなあ、と思える。
 大阪のお好み焼きは、「お好み焼きとモダン焼き」という並列呼称であり、広島のお好み焼きは単に「お好み焼き」でそばが入る。そして、大阪の「モダン焼き」は昭和初期には存在していたらしい。

 じゃあ、三原でそれがミックスされて、今の三原の呼称につながるんじゃないかなぁ、とも思うのだが(帝人は、戦前から存在するし)、確証はない。

 以上、いろいろと書いてはみたものの、ぜーんぶ「推測」の域を出ることはない。例の「コッペパンとメロンパン」と同じく、文献や記録などに、具体的な記述は残っている可能性は低く、そのような些細なことをはっきりと記憶している人も少ないのであるから。


 ともかく、三原のお好み焼き店はバリエーション豊富で、食べ歩くのにとても楽しい存在であることは間違いない。しかも80店舗以上もあるのだから、簡単には制覇できない。

 ちょっと、時間をかけて、食べ歩きしてみようかな、と考えている今日この頃である。

 
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2010年06月01日

 三原は「たこのまち」と呼ばれているらしい。
 私個人が、こっそり思っているのは「とりのまち」。鶏について、三原は案外縁が深いのではないか。

 たとえば、三原のお好み焼きには「モツ」を入れる場合がある。その「モツ」は、鶏のモツを甘辛く煮たものである。
 近隣にも養鶏をしているところが多くある。福山の某レストランで「地鶏ですよ」と出された鶏が、久井産の鶏だった。それが、美味しいのなんの。びっくりしたものである。

 さて、そんな三原で鶏専門店がある。
 鶏専門店。なんてストイックなんだろう。しかも、老舗の部類に入る創業60年ということである。

鳥徳
〒723-0017
広島県三原市港町1丁目4−15
0848-62-4272

2009三原ミスやっさブログより
http://ameblo.jp/2009missyassa/entry-10533935781.html

 鶏肉専門店であるが、総菜部もあり、ローストチキンを購入してみた。

ローストチキン 1本360円 
CIMG4590 甘辛いたれで照りがとてもいい。たれの風味もやさしい感じ。一口かじりつくと、ジューシーな肉の感触がうれしい。また、肉の味も鶏の甘みを感じる。そして、風味がとても良い。
 これで360円とは、価値ある一品ではなかろうか。

 瀬戸田の玉木のローストチキンと比較すると、求心力は玉木商店かもしれない。でも、鶏の風味は鳥徳のローストチキンがストレートにくる。
 両方とも、おいしいローストチキンであることには変わりはない。

 店頭にはほかにも焼き鳥やロールチキンなどの総菜があった。唐揚げもあり、つまみにいいかもしれない。

 家でのんびりビールを飲むときに似合う「酒のあて」として、最適。
 
 しかし、本当にストイックな専門店である。ネットの情報がほとんどない。
 こういったお店こそ、真の実力がある店なのかも。

 今度はほかの総菜を食べてみたいし、鶏肉を買ってきて水炊き(あ、これからの季節ではないなぁ)など、鶏肉料理を楽しみたいなぁ。
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2010年05月26日

 本家かまどや、といえば、テイクアウトのお弁当屋である。

 昔っからあるような気がするし、高校時代には中之町のお店で「鶏肉弁当」を買って食べていた思い出がある。300円弱でご飯が食べれるということは、当時はありえないことで、しかも白いご飯もついてくるとなると、選択肢は「鶏肉弁当」しかなかった。
 その鶏肉弁当は、白いご飯の上に甘辛く煮た鶏肉のスライスがバラりと乗っていて、お漬物が付いているという、シンプルなもの。でも、高校時代は妙に美味く感じたものである。
 現在のかまどやのメニューからはそんな「鶏肉弁当」は消えてしまっている。
 あれは、どこにいってしまったのだろうか。

 大学のとき、吹奏楽部の演奏会での部員のお昼ご飯は「のり弁当」だった。平部員は「のり弁当」で、限られた幹部は「デラックスのり弁当」だった。みんな「デラックス」にあこがれたものである。
 いまでも、弁当屋で「デラックス」を注文するのに、ちょっと気が引けてしまうのは、この時のすりこみのためなんだろう。

 さて、そんな「かまどや」。
 皆実のすき家のはす向かいに「宮浦大通り店」がある。この場所に昔は「小僧寿し」があったような気がしないでもないけど、今は「かまどや」である。

 鮭弁当でも食べたいなぁ、と、お昼御飯の買い出しにふらりと行ってみると、店のそとのディスプレーに「やったーランチ 290円」の表示と食品サンプルが置いてあった。

「そっかー。デフレの時代だし、290円弁当って大手スーパーとかでもやってるよなぁ。大変な時代だなぁ。」

 と、なんとなくしか考えていなかった。
 注文するときに「やったーランチ」の有無をなんとなく尋ねてみると、ありますよ、とのこと。たのんでみた。

やったーランチ(6の日バージョン) 衝撃の290円
CIMG4516 これが290円?ほんとに?あったかいけど?大量生産でもないのに?パック代や箸や袋だけでも何十円かするのに?

 頭の中に、様々な疑問と驚きが渦巻く。
 食べてみると、ちゃんとしたお弁当である(あたりまえ)。
 
 大振りの鶏から揚げ(胸肉)に、ハンバーグ。ひじきのたいたん。漬物。ご飯。野菜とハンバーグの下には定番のスパゲッティ(なぜか弁当屋のおかずの下にはスパゲッティが敷いてある。不思議だ・・・)。
 お弁当屋さんのレギュラーメニューのおかずが、レベルを下げずにそのまま入っているのに?レギュラーメニューの「のり弁当」が300円なのに?

 ・・・うちのミックスサンドより、安いよ・・・

 そりゃ、確かにはす向かいにあるすき家では牛丼(並)が280円と、とんでもないライバルが目の前にいるわけで、そうならざるを得ないのかもしれない。
 が、である。
 こりゃ、すごい・・・。

 やったーランチのチラシには、いくつか注意事項が書いてあった。
 驚異の値段を維持するための、お願いらしい。そりゃ、協力するべきである。

1 昼限定 午後1時まで
2 配達注文は午前10時30分まで
3 3個以上から配達
4 みそ汁などのサービスはつかない
5 みそ汁付きは320円(それでも+30円でつくのか・・・)
6 平日のみの販売

 これぐらいのルールなら、まったく問題ない。
 この努力は、非常に頭が下がる思いである。3個以上からは配達できるというのも、すごいなぁ。
 そして、メニューも10種類を10日間でまわすという念の入れよう。

 本当に、いいのかなぁ。なんだか、申し訳ないなぁ。


 ちなみに、かまどや宮浦大通り店では、豚肉にこだわっており、レギュラーメニューと別に、おいしい豚肉で作るお弁当が存在する(とんみ、という名前らしい)。
 そのメニューの中で、かつ丼があるのだが、こちらが非常に美味しい。やったーランチ2つ分の価格であるが、それに見合う味がすると思う。
 三原にはかつ丼の気に入った店が少ないのだが、こちらのかつ丼は、気に入っている。

 ちなみに、他にカツ丼の気に入っている店は本郷の三万石、ジャスコのどんどん(こちらは、若干ジャンクである)。
 どんぶり物は、ぐっとくる要素ではあるよなぁ。

 そういえば、本町食堂の親子丼が美味しいらしいんだけど…。
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2010年05月21日

 三原駅前市民広場。
 その名称の無色透明な感じの原因は、その広場の性格上の問題である。

 ペアシティ東館跡地から三原市民駅前広場になった、あの土地であるが、おおざっぱにおさらいしておきたい。

・三原駅前に専売公社があったのだが、廃止したためその土地の再開発の機運が起こる
・専売公社跡地がペアシティ三原として再開発が行なわれる
・ペアシティ東館に入っていた天満屋が撤退。天満屋の所持していた不動産の権利を東京の不動産業者に売却
・東京の不動産業者が、いわゆる地上げを行ない、ペアシティ東館を解体
・東京の不動産業者の計画していた再開発が暗礁に乗り上げる
・三原市が東京の業者からペアシティ東館用地を取得
・三原市がペアシティ東館跡地を再開発しようとしたが、難航
・整地を行ない、三原駅前市民広場を市民に開放

 ざっくりと整理してみた。
 こう考えると、不思議な土地である。三原駅前が盛況なころから専売公社はあった。つまり、駅前の一等地に市民の活用できない土地があった。そして、再開発が行なわれ天満屋が入ったが、撤退。理由は売上を上げられないから。つまり、市民が活用できなかったから。東京の業者が購入し、挫折。そして、三原市の買い上げ。

 つまり。あの土地はいままでまったく三原市民にとって「有効な使い方のされていない」土地であると言ってみてもいいかもしれない(過激?)。

 三原駅前市民広場という、無味乾燥な広場になってしまったのも、結局は「もてあましている」からに過ぎない。
 だが、この事例は三原に限ったことではない。地方都市の駅前とは、昔に比べて活気がなくなっていることは、事実なのである。

 では、その三原駅前市民広場。
 どのように活用したらよいのかを、行政がアンケートを取ってみると、商業施設や娯楽施設。または市役所の移転先など、妥当な意見が返ってきたようである。
 
 三原市民にとって、あの広場は、どうしたらよいものなのだろうか。
 それに対する、明確な答えはない。
 このあたりが、駅前が空洞化する理由なのかもしれない。


 ここから、好きに書かせていただきたいと思う(ここまでも、好きに書いてきた?)。
 
 私個人の評価として、三原市の決断は正解だったと思う。100人を超える地権者いたペアシティ東館を一つにまとめあげることは、三原市民には不可能である。それを行なうためには東京の業者の荒唐無稽な計画と野望が必要だったのかもしれない
 結果として、三原市はペアシティ東館跡地を取得することになった。東京の業者に分割して販売されるよりは・・・ということが大義であった。

 しかし、そのあとが大変である。
 けして右肩上がりではない経済環境。少子高齢化の進む社会。若者はほかの街にでてゆき、かえってこないという、典型的な地方都市。
 そんな状況の中で、三原駅前にある広大な土地を活用しようと思うほうが、至難の業である。

 私としては、三原駅前市民広場について、いくつかの要望がある。
 まずは、広場としての設備を充実すること。電気も水道も下水も整っていない広場は、単なる野っぱらと同じである。ある程度のインフラを整備した状態でないと、広場として活用するにも、困難が伴う。
 次に、防災拠点としての機能を持たせること。腐っても鯛というが、三原駅前のあの広大な土地は、市民にとって有効な防災拠点となりうる。その防災拠点を有効にするためには、たとえば防災トイレ(下水トイレ)などを設置することを前提に考える必要があると思う。また、災害時のボランティアセンターが駅前にあれば、復興のための利便性にかなり優れていると思う。
 最後に、指定管理業者として商工会議所を選択したことで、あの広場のもつ役割が地域活性化(経済面)という様相を呈している。テント市を今週末に開催するという。また、JAによる市場を常設するともいう。市民があの土地に商業的な魅力を感じているのならば・・・。天満屋も、周辺商店も潤っている・・・?

 先日の調査では、駅前の交通量(人や車)が4割ほど減少しているという。
 元来、駅前の交通量は、万年渋滞中の「2号線」のバイパスという意味でもあったような気がする。それを考えると4割減少し、やっと市民が普通に暮らせる駅前の状態になったと考える。
 そんな環境の中で、駅前であるという特性は排除し、三原中心部と言う特性を考えて、三原らしさをメインに、あの広場を永年活用する方策を考えるというのはどうだろうか。

 そう。
 小早川博物館である。(笑)
 この意見については、また、こんど。
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2010年05月13日

 昨今、モツ鍋というものがいくたびか流行しているような気がする。
 時代の波に乗れない男である、この私。実は「モツ鍋」を食べたことがなかった。別に嫌いというわけではなく、ホルモンは大好物である。なのに、モツ鍋は食べたことがなかった。どうしてなんだろうと、自ら頭をかしげてしまう。

 さて、そんな「モツ鍋」。
 なんと本場でもない三原でデビューを飾ることになった。

もつ鍋専門店 真心 (しんしん)
http://r.tabelog.com/hiroshima/A3403/A340303/34013239/

 ぐつぐつと煮えただしはコハク色。鍋の中にはキャベツ、モツ、ゴボウ、ニラ。ニンニクスライスがのっかっている。自分の小鉢に具をざっくりとつぎ、上からぱらぱらと荒く砕いた唐辛子(一味ではない)をかけて、いただく。
 キャベツはしんなりとした食べ口で、だしとあいまって甘みを感じる。モツはいわゆる臭みはほとんど感じず、口当たりの良いぷりぷりとした感じと、かみしめると口の中にほとばしる肉汁や脂が心地よい。また、ゴボウやニラと同時に食すると違った風味が味わえ、とても美味しい。
 具材を一通り食べ終わった後、鍋の中にはチャンポン麺が入る。しばらくくつくつと煮て、また自らの小鉢に運び、麺をすする。太く縮れた麺は、感触もよく、風味も豊か。麺を食べきってしまうと、残ったスープをすする。これが、野菜の甘さ、モツの豊かな滋味があいまって、非常に美味しい。こころ温まる味というのは、このことなのだろうか。

 なんだか、グルメ雑誌のような文章を書いてしまったが、おいしいのである。

 どうして、いままでモツ鍋をたべる機会がなかったのだろうか。非常に悔やまれる。

 このお店は女将ひとりで切り盛りされているらしく、若干待つ時間があるみたいだけれども、べつに待ったってたいした時間ではないので気にならなかった。なにより、これだけ美味しいものを食べれるのだから、問題にはならない。

 また、食べにいかねば・・・。
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2010年03月08日

 テングソースでおなじみの中間醸造のお酢は「マルサン」。そして、そのお酢をベースに「マルサンすし酢」が作られている。我が家の定番調味料のひとつである。

 この「すし酢」は、とても簡単にすし飯を作ることができる、かなり便利な調味料である。ご飯に「すし酢」をかけて、混ぜるだけで、あっという間にすし飯ができる。某大手の「す○太郎」なんて買わなくても(具はついていないが・・・)、美味しいすし飯のできあがり。しかも、旨い。なんて素敵なんだろう。

 この「すし酢」を使えば、あっという間に「酢の物」もできる。たとえば、きゅうりを薄切りにする。それに「すし酢」をあわせる。これであっという間に、きゅうりの酢の物の出来上がり。どんな野菜でもあっという間に酢の物になる。米だけで作られるお酢は、海産物に対する相性が抜群であるので三原名物「たことわけぎのぬた」などを作る際もかなり便利である。

 ほかにも、ドレッシングの酢に使っても美味しい。しょうゆとあわせると、ポン酢のようにもなる。それをサラダとあわせても美味しい。ごまだれとあわせると、ごまだれドレッシングになる。
 酢を使う漬物にも便利である。ラッキョウ漬けやミョウガ漬けなど、このお酢でつけたら抜群であろう(残念ながら我が家では漬けていないが・・・)。

 おそるべし「マルサンすし酢」。

 なにより、まっとうなお酢からつくられる「すし酢」なのだから、手抜きするにしても素晴らしくまっとうな手抜きになるわけである。

 今、ふと思い出した。
 ずいぶん前のことではあるが、今は放送終了してしまった「どっちの料理ショー」で、お好み焼き対決 広島VS大阪 なんてものがあった。
 そのとき、広島のお好みソースとして、 センナリの「広島ぢゃけん」が取り上げられた。

 実は、この話には裏話がある。
 もしかすると、「広島ぢゃけん」ではなく、我らが自慢の「テングソース」がその「特選素材」となる可能性(しかも、かなり実現性の高い!)があったのである。

 いきさつは、こういった事情である。
 まず、中間醸造さんに「どっちの料理ショー」から、アプローチがあった。

「特選素材に、テングソースを取り上げさせてほしい!」

 しかし、中間醸造側では、

「うちは、作れるだけしか作っていないから、マスコミで広く知られても、売るものがなくなるばかりで困る」

 と、あっさり断ってしまった(中間醸造社長談→オギロパン三代目親分→四代目の情報の流れ。)。

 そのあと、センナリの「広島ぢゃけん」にアプローチがあり、番組に登場となる(その後のセンナリの「広島ぢゃけん」は、ジャスコでも店頭から消え、かなり売れた様子である)。

 この話を聞いたとき、私は中間醸造の姿勢に「ものづくり」をする魂を見たような気がした。「作れるだけしか作れない」と言い切ることは、商売人としては間違いかもしれない。しかし、製造者としてはそれが正解なのである。人間としての限界の中で、限界を超えず、欲を出さず、そのときの最高のものを作り、最高の状態で使っていただく。
 この姿勢こそ、ものづくりには大切なことなのだと思う。

 たとえ、マスコミによる大勢の周知で売り上げが伸びることが予想できるとしても(実際「広島ぢゃけん」はよく売れていた・・・)、製品に対する責任を全うし「作れるだけしか作らない」と言い切り、製品に対する真摯な姿勢を曲げないということは、なかなかできることではない。

 そんな姿勢を持つ中間醸造の「テングソース」や「マルサンのお酢」「マルサンのすし酢」には心がこもっている。だからこそ、本当に旨い。本物の風味を持っている。

 製品に対するそのような真摯な姿勢は、容器にもこもっている。
 中間醸造製のものは、いまだに「ガラス瓶」を使用している。ペットボトルやチューブ式のものは一切ない。これはなぜか。
 ガラス瓶を使うことにより、ソースやお酢の風味を守るためである。
 ガラス瓶は食材に対して味に影響を与えることがない。その点を重視して、簡便な取り扱いであるペットボトルなどを排除しているのである。この点も、製造者としての姿勢「いいものをつくり、いい状態で食べてもらいたい
」を確実にあらわしている。

 三原にとってこのようなお酢屋さんを持つことは、本当に自慢の一つである。

 そして、その自慢は人にひけらかすようなものではなく、三原の人間にとって基礎的な誇りになる大切なものではなかろうか。

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2010年02月16日

 ファンシーフリーというお好み焼き屋さんにしてはちょっと不思議な名前を持つお店に、美味しいモダン焼きがある。
 英語でfancy freeとは「好き勝手な」という意味がある。
 そういう意味では、お好み焼きもいい意味で「好き勝手な」感じなのかもしれない。マスターが音楽がお好きなようで、音楽のほうから名前を付けられたのかもしれない。

スペシャルチリ味(500円) ※写真はそばダブルで、600円
100216-124816 三原のお好み焼きの伝統(?)である「焼きそばをつくって、お好み焼きにする」タイプのモダン焼き。スペシャルチリ味は、特殊なチリパウダーを振りかけていて、とてもホット。
 辛口の好きな人には、力いっぱいおすすめする一品である。

 このスペシャルチリ味を、熱い鉄板の前でこてを使って、ふぅふぅ言いながら汗をかきかき食べると、とっても美味しい。
 いつも忘れてしまうのだが、タオルが必須アイテムである。

 500円ぽっきりで玉子2つ、豚バラ、タコ、のしいか、生イカが入り、具だくさんである。お好みとは、やはり気安い食べ物であり、ラーメンと同じくあまりにもゴージャスだと、なんだかよそよそしい感じになってくる。それはそれで一つの魅力ではあるが、気安い食べ物として、この価格でこのお味は、かなりお得である。

 そして、このお店では「ゴールド」ではない「スマック」が置いてある(100円)。三原を堪能するうえでは、お好み+スマックは、ノスタルジーにあふれている。
 
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2010年02月04日

 お好みを食べた。303(さんまるさん)のモダン焼きである。

モダン焼き (650円) 写真はそばダブル(ダブルは100円増し)
303のモダン焼き キャベツはざく切り。ソースはカープソース。マヨネーズはついてない。
 モダン焼きは、いわゆる「肉・玉・そば」である。なんで三原だけ「モダン焼き」って言うんだろう・・・。不思議な話である。

 さて、今回は配達していただいたが、やはりお店の鉄板の前に座って、こてを使ってふぅふぅ言いながら食べるのが、お好み焼きの食べ方としては一番おいしいと思う。
 
 三原市にはたくさんのお好み屋さんがある。毎日1軒づつ食べても、数か月かかる。そんなわけかどうかわからないが、人によって「メインのお好み屋さん」はさまざまである。
 だいたい家か職場の近所の店がメインになるような気がする。

 皆実・宮浦地区は人口が多いせいか、お好み屋さんも多い。
 この地区だけ全部回ることは可能かもしれないが・・・。

 
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 三原の古いラーメン屋さんと言えば、来来軒・自由軒が有名だけど、味八も古くからやっているお店である。
 昔は駅近くに店があり、20年ぐらい前に皆実に移転した。
 当時のお店はカウンターだけだったような気がする。席も8席あるぐらいだっただろうか。カウンターの上にはラップのかかったおにぎりが置いてあった。

 当時からあまりスタイルは変わっていないような気がする。ラーメンもおにぎりも。

ラーメン (500円)
味八のラーメン 味八のラーメンは「中華そば」的な、いい意味での古さがある。適切な味のバランス。必要最低限の美しさ。
 スープは若干茶だくしている。豚骨+鶏がらだろうか。野菜の甘さも感じる。表面には脂が少し多めに浮かんでいる。
 麺はほそ縮れ麺で、さらりとすすれる感じ。縮れているので、スープとの絡みもよい。
 具はしゃっきりとしたメンマ(これはとても美味しい!)、丁寧に仕込まれたチャーシュー2枚(赤身とバラ)、たくさんのネギ。
 
 ラーメンの基本とは、かくあるべし。という感じである。
 適切に美味しい。毎日食べれるラーメンである。
 こういったラーメンにはおにぎりがとてもよく似合う。

 そして、三原のラーメン屋につきものの「おでん」も置いてある。
 私はあまり食べないけど・・・。

 こういうラーメン屋さんでは、年輩の方が餃子やチャーハンをあてにしてビールを飲んでいる光景を見かけたりする。なんだか、年輩にならないと醸し出せない雰囲気があり、とても好きである。ラーメン屋の大将と世間話をしてたり、テレビをみて「ありゃー、どうなっとるんかのぅ」なんてつぶやいてみたり、いい感じ。

 そんな空気の感じる古いお店は街にとって貴重な存在だと思う。

 ラーメン道を突き進む店もあれば、街に溶け込む店もある。どちらがどうということではないが、両方とも三原にはあるということは、とても幸せだと思う。
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2010年02月03日

 また今年も節分がやってきた。

 三原に「鬼の豆」という、「子どもたちにお菓子をばらまく」システムがあることは、何度も書いているような気がする。

 今年も、昨日「鬼の豆」を用意した。

一口ラスク (今日は無料!)
100202-181247 フランスパンを一口サイズに切り、軽く水気を飛ばすために一度オーブンに入れて焼く。冷めたら、とかしたバターをまんべんなくかけ、グラニュー糖をまぶし、再びオーブンで少し焦げ目がつくぐらい焼きこむと、できあがり。

 ジャスコ店と本店で「鬼の豆」をもらいに来た子どもたちに、差し上げようと思っています。

 しかし、この「鬼の豆」ですが、どうやら問題もいくつかあるようです。
 あげる側ともらう側の両者が、お互い納得できるような環境であれば、そんな声も上がらないと思うのですが。

 私の場合、三原の子どもたちに、この珍しい「鬼の豆」という風習を体験してもらいたいから、やっています。そんな三原の子どもたちが大きくなって、お店を持った時、こんどはあげる側に回って、子どもたちにふるまってほしいですね。
 そういう循環が、世代を超えたつながりを生むのではないか、と思います。

 はてさて。今年は何人の子どもが、この僻地にあるジャスコ店と、本店に来ることやら…です。(笑)
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2010年02月01日

 例によって、ブログにて、2月のオギロパン ジャスコ店の「フランスパンを焼く日」をお知らせしたいと思います。
 今月は「お客様感謝デー」が土日にはまり込んでおりますので、土日祝日に焼きます。

 2月6・7・11・13・14・19・20・21・27・28日です。

 ちなみに、19・20・28日が今月の「感謝デー」です。
 残念ながら、当店では5%オフはやっておりませんが、笑顔が5%オンになります。これで勘弁してください・・・。(涙)

 さて、あさっては「節分」です。

 三原名物「鬼の豆」です。

 昨年、一昨年は土日と重なり、街が子どもたち(&おかあさん。&おとうさん、ではないのは、なぜなんだろう・・・)であふれかえっていました。しかも、雪の中・・・。
 
 今年の当店&本店(皆実)では、昨年同様「ある程度」のものと量はご準備をいたしております。
 
 ある程度、とはいえ、味には自信があります。
 商品化していないだけの「一口ラスク」です。

 ネット通販などで最近「ラスク」が売れているようですが、当店の一口ラスクは、ネット通販に乗せられないしろもので、賞味期限が翌日まで・・・という、大変やっかいなラスクです。食べられないことはないのですが、魅力が激減してしまうので「隠し玉」としてもっています。

 あと、三原じゃ売れない「ドイツパン」とか、三原じゃ売れなかった「クグロフ」とか、作る気だけは満々の「クロワッサン」とか、形が不ぞろいなので売るのが躊躇する「リュスティック」とか、売価が半端じゃなくなってしまう「カスクート」とか、隠し玉はたくさんあるのですが・・・。

 ともかく、今年の「鬼の豆」は「一口ラスク」で決まりっ!
 数量限定ですので、よろしくお願いいたします。

 
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 三原駅の西側、新幹線の高架下に「石亭」という鉄板焼き屋さんがある。姉妹店が尾道にもある。かなり昔からある。昔は表に金属製の「中国新聞掲載記事巨大化看板」を掲げており(現在は表にはない)、そこに書いてある特徴は現在も変わっていない。

 さて、その「石亭」で昼ご飯を食べてきた。日替定食が750円。野菜たっぷりの鉄板焼きにご飯+味噌汁。鉄板焼きをポン酢醤油につけながら、いただく。かなりボリュームがある。モヤシなんて2パック程度は使っているのでは?

日替定食 (750円) ※写真は2人前(しかも、少し食べてなくなってます)
石亭日替定食2人前 敷き詰められた野菜の上に鶏肉・豚肉・牛肉、脇にイカ入り卵焼きが配置されている。座敷に座ったので、鉄板はカセットコンロの上に乗っていて、食べている間もアツアツ。これなら、カウンターとあまり変わらない。カウンターなら、もちろん鉄板の前だから、アツアツである。

 外食すると野菜が取りにくいが、ここならば野菜をがっつり取れていいかもしれない。野菜に含まれる成分は、塩分の取りすぎなどを抑えるし、食物繊維もしっかりとれて、腸にいい。肉の脂が野菜に絡まり、ガッツリとした味わいもある。鉄板焼きならではのメニューかもしれない。

 鉄板焼きといえば、お好み焼きも鉄板焼き?
 野菜もたっぷり食べれて、あちらもヘルシー。

 お好み、食べたいなー。

石亭 メニュー
石亭 メニュー

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2010年01月26日

 近いからか、また「こがもん亭」に行ってきた。

 チャンポン、味噌ラーメン、と食べてきて、ラーメンを食べていない。かなり前に「大牟田ラーメン」は食べたことがある。ちょっとあっさり気味の九州ラーメンという感じだった。
 さて、そのラーメン。メニュー表記では550円である。
 しかし、チャーハンとのセットで660円と、このあたりの「半チャンセット」の相場から言うと、100円ほど安い価格設定になっており、お得感がある。

ラーメンセット (660円)
6e8370e2.jpg スープは豚骨スープにしょうゆだれ。ちょっと茶濁して、表面に油の層ができている。麺はどうやら味噌ラーメンと同じ麺で、黄色っぽいすこし縮れた感じ。具はモヤシ、ネギ、メンマ、チャーシュー。

 ラーメンのスープは豚骨の「臭み」が若干あるものの、それは胡椒をかければきちんと消すことができる。だしがしっかりと取れている。

 次はキムチラーメンとか、色ものに走ってしまおうかなぁ。
 チャーハンは、外せないなぁ。
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2010年01月17日

 今日は「阪神・淡路大震災」が起こって15年目の日である。

 ちなみに、3月24日は「芸予地震」の起こった日。今から9年前になる。 
 三原市でも震度5強を観測し、ブルーシートが目に入ったあの地震。
 埋立地である円一町で液状化現象の起こった、あの地震。

 本当に、地震とは恐ろしい。

 私は「阪神・淡路大震災」と「芸予地震」の両方で「えらい目にあった」ので、地震に対する恐怖心が人一倍強いようである。

 三原市でも、昨年「防災ネットワーク」が出来たのだが「やっとできた」という感がある。芸予地震から8年経って、やっと。

 確かに、このあたりは地震が少ない。天変地異も少ない。ときどきやってくる台風による高潮や土砂崩れ。数年おきにやってくる積雪。これだけで十分「大変だ」と思える地域である。

 数日前に起こったハイチでの大地震に、私の周りでいち早く反応したのは、なんとジャスコだった。もうすでに「ハイチ大地震への義捐金」として、レジ回りに義捐金ボックスを置いている。

 いくら遠くだといって、ハイチに対して日本政府として迅速に大きな援助をするわけでもなしに(医療団は必要だが、災害に対して規模が小さい・・・)、ほっておいていいのだろうか?わけのわからない一議員の金銭問題や政府の支持率よりも、他国の甚大な被害に対して、我が国としての思いやりを見せることが出来ないのだろうか。国際社会に対して「友愛」と言うのならば、こういう時こそ「友愛」精神を見せるべきではないのだろうか。
 いかんせん、我が国の政府に対し、失望感を覚えざるを得ない。
 少なくとも、私の払った税金(微々たるものだが)だけでも、ハイチに向けてほしいと、心から願う。

 おっと、脱線してしまった。
 そんなことじゃなくて。

 ともかく、三原という場所は、天変地異からほど遠いところにある。
 地震は震度5強が9年前に起こっていても、そんなに危機感もなく(公共施設や学校の耐震化はずいぶん進んでいることは、置いておく。対象は市民である)、今日が「阪神・淡路大震災の日」であることも、昨夜のドラマの話題ぐらい。
 ほんとうに、ありがたいものである。

 しかし、天災というものは、いつどこで起こるかわからない。一度痛みを負った人間が、同じ痛みを忘れてしまうのは、どうなんだろう?

 改めて、我が三原市の自主防災体制について、想いを馳せる。
 まず、自らを守れるか。そして、他人を助けることができるのか。
 三原という、自然災害に縁の遠い場所こそ、自然災害に備える必要があるのではないか。その備えが、まちの「つよさ」につながってゆくのではないか。

 三原にできた「防災ネットワーク」が、より強固になるよう願っているし、出来る限り防災に関わってゆけるようにしたいと思う。

三原市防災ネットワーク
http://mihara.genki365.net/gnkm05/mypage/index.php?gid=G0000006

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2010年01月14日

 3日続けて「ラーメン」。
 仕事してないんかい・・・パン屋じゃないのか・・・ラーメンばかり、と、突っ込まれそうである。
 ラーメン、大好きです。生まれ変わったらラーメン屋になりたいです。

さて、今日は「お好み焼き」を食べたい気分で昼食に出たのだけれども、お目当ての店が臨時休業(?)のため、久しぶりに「秀」で食べることにした。

 「秀」に行くと、ついつい頼んでしまうのが「鶏がら醤油らー麺」。
 このお店のスープは、口の中で鶏が走り回るように、とても濃厚な味がする。力のある醤油がそれを受け止め、鶏がら醤油としては、この辺りでは珍しいぐらい美味しい。

 三原界隈では、豚骨+鶏がら、もしくは豚骨に加え魚介類を加えてスープをとることが多いような気がする。鶏がらだけ、というと福山の「天下一品」ぐらいだろうか。いや、それは言い過ぎか。しかも「天下一品」はラーメンのカテゴリーから逸脱しているような気がする。

昼のメニュー
165781e2.jpg 昼だけ豚骨醤油らー麺が398円と破格値になっているのだけれども、私は本日もあいかわらず「鶏がら醤油らー麺」。豚骨醤油も魅力的だけど、鶏がらのほうがもっと魅力的なのである。

ハーフ炙りチャーシュー丼(400円)+鶏がら醤油らー麺(580円)
b804cdb7.jpg スープは鶏がら。麺は細麺ストレート(博多ラーメンチックである)でちょっともそもそしたタイプ。ぷりぷりしたタイプではない。具はバラのチャーシューが1枚とメンマ、モヤシ、ネギ。
 以前と変わらず、美味しい。
 スープも美味しいのだが、特筆すべきはそのチャーシュー。かなり力が入っているのか、柔らかく味の濃い豚肉で、かなりのもの。

 そのチャーシューを炙り、ご飯とキャベツの千切りの上に載せ、マヨネーズを加えているのが「ハーフ炙りチャーシュー丼」である。これは、開店当初からの一品で、ついつい頼んでしまう。2枚乗ったチャーシューを一口サイズにして、かき混ぜて食べるのが私流で、もっとわがままを言うときはマヨネーズをはずしてもらい、代わりにカラシをチャーシューに絡め、食べると美味しい。

 このお店のメニューに「旨濃 ニンニクらー麺」というものがある。
 ホルモンとモヤシとニラとニンニクを炒めた具が乗っていて、それはそれは元気になりそうな感じである。その具を乗せたのが「スタミナホルモン丼」なのだろうか。まだ食べたことがないけど、美味しそうだ。

 今度行ったときは「スタミナホルモン丼」を食べてみたいなぁ。


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2010年01月13日

 昨日に引き続き「こがもん亭」で昼ご飯を食べた。

 今回は「味噌ラーメン」である。

味噌ラーメン 550円
254dd4d4.jpg 100円足せば「味噌チャーシューメン」となるが、そんなにチャーシューめいているラーメンは好みではないので、やはりノーマル味噌ラーメン。

 スープは、こげ茶色をしており、味噌の風味が強そうなイメージを持つ。一口すすると、その風味はしっかりとした味噌の味とスープ自体のだしの味が拮抗しているような、力強い印象だった。これは久しぶりにガツンとくる味噌ラーメンスープである。
 麺は、太めの縮れ麺で、ちゃんぽんと同じく「短い」感じがする。この麺はどこかで見たことがある。自由軒の「味噌ラーメン」と同じ麺じゃないかしらん。ちなみに製麺所は共通しているので、似通ってくる面があるのかもしれない。面の風味も食べ口も、スープに相性がよく、とても好感触である。
 具はバラ肉の少し厚い目に切ったチャーシューが2枚。メンマ、モヤシ、コーン、ネギ。チャーシューはしっかりとした肉の味がしており、丁寧に仕込まれている。モヤシもシャッキリしている。もう少し野菜が多いほうが好みではあるが、550円の味噌ラーメンとしては、結構ボリュームのある具材ではなかろうか。

 全体として、まとまりのよい味噌ラーメンで、とても美味しかった。
 スープはどことなく、味八の味噌ラーメンを彷彿とさせるパンチのある味噌で、後口に「えぐみ」を感じなくもないのだが、この「えぐみ」があるということは、まともな味噌を使ってこそだと思う。

 「こがもん亭」には「大牟田ラーメン」と普通の「ラーメン」がある。
 味噌ラーメンは、普通のラーメンのバリエーションなのか、豚骨ラーメンのバリエーションなのか。チャンポンは豚骨ラーメンのバリエーションなのだろう。
また「ミニカレー(300円)」なるものもあり、ラーメンとチャーハンとカレーを食べて1000円・・・というメニューも構築できる。昭和の3大国民食が勢ぞろい、という感じである。昭和パラダイス、なのかもしれない。

 三原の味噌ラーメンといえば、市役所近くにある「もり翔」の味噌ラーメンが美味しいという話を聞いたことがあるが、こちらもタイミングが合わず、まだ食べていない。チャンスがあればぜひ食べてみたいものである。
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2010年01月12日

 皆実に「こがもん亭」という「大牟田ラーメン」を掲げるラーメン屋さんがある。 このお店は、結構昔からやっているように思う。
 もちろん、メインは九州風のとんこつ細麺のラーメンである。

 そういえば、国道2号線沿いのこの皆実あたりには、ラーメン屋さんが多い。
 2号線沿いには東から味八、自由軒、ラーメンランド、どさんこラーメン、ラーメン康、こがもん亭という具合に、一直線ではないが、点在している。

 こがもん亭はそんな皆実界隈のラーメン店の中で唯一、九州色しているような気がする

 そもそも、三原には九州色したラーメンは、こがもん亭と「サツマラーメン」と「長崎ちゃんめん」ぐらい。需要と供給の関係なのか、何か理由があるのか、さっぱりわからない。

 話が変な所に飛んでいかないうちに、前に進めよう。

 本日、気になっていた「こがもん亭」の「チャンポン」を食べに行ってきた。
 このお店は、10時半開店で昼の営業のみのようで、昼食しかチャンスはない。何度か食べ損ね、やっと食べることができた。
 話によると、ボリュームがあるとのことだった。

 店に入ると、券売機が置いてあり、食券を買いカウンターに出すシステムになっている。ぼんやりとしばらく待っていると、チャンポンがやってきた。

チャンポン(770円)
8538f15a.jpg スープは豚骨スープが主体のようであるが、いろいろほかの風味も混ざっているようだ。しかし、野暮なほど重厚ではなく、適度にハーモニーとなっている様子である。塩加減もちょうど良い。
 具はキャベツ、モヤシ、ニラ、豚肉を炒めたものと、イカ、アサリが若干入り、コーンがトッピングされている。
 麺は・・・。短い。太い。そして、不思議な断面。・・・どこかで見たことあるんだけどなぁ・・・。麺としての味は、適切である。

 一口、一口と進めるたび、バランスが良いチャンポンであることに気がつく。このようなチャンポンは、三原ではこがもん亭とあとほかに1店あるぐらいだろうか。美味しい。野菜の炒め方がよいのか、シャッキリとしている。麺が太いためか、不思議な断面のせいか、スープとよくからむ(もやしほどの太さがある)。野菜と一緒に食べると、とてもうまい。

ミニチャーハン(200円)
393ac5b5.jpg ついでに小さいチャーハンも注文しておいた。ご飯一膳分ぐらいだろうか。福神漬がついてきており、なんとなく自由軒のチャーハンと似たところがあるが、こちらのほうが圧倒的に「チャーハン寄り」である(自由軒は「焼き飯」寄りかな?)。一粒一粒がハラリとしており、こちらも美味しい。

 あとから来たお客さんが、味噌ラーメンを頼んでいた。
 帰りがけにちょっとどんぶりを覗いてみると、黄色い細縮れ麺にこげ茶色のスープでちょっと味わいに興味がわいた。野菜も多いような気がする。

 次回は味噌ラーメンを食べてみたいなぁ。
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2009年11月01日

 昨日、手作りキャンドルを3万個集めて灯す「みはらエバーラスティング ライト」が終わった。

 今朝の中国新聞に、その全景の様子が、カラー写真できれいに掲載されていた。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200911010094.html

 キャンドルで「WE ? MIHARA」と読める。
 若干右上のハートが読みとりにくい。一応「?(ハート)=LOVE」の意味らしい。
 
 しかし本当に・・・。(笑)
 三原でこんなたいそうなことができるだなんて。素晴らしい・・・。

 私もちょこっとキャンドルを作った。50個ぐらいかなぁ。
 そのようなキャンドルを、三原中から集めたら「みはらエバーラスティング ライト」のようにたいそうなことができるだなんて。


 いま、夕方の教育テレビにて三谷幸喜脚本(?)で「新・三銃士」という人形劇をやっている。アレキサンドル・デュマ原作。劇中の有名なセリフで、

「ひとりは、みんなのために。
 みんなは、ひとりのために。」

 と、いうものがある。耳にタコができるぐらい有名なので、説明を書く必要もないが、実際にそう行動しようとしても、なかなかできないものである。


 このイベントの陰に、いろいろなドラマが隠れている。ひと夜のイベントとはいえ、そこまでに、さまざまな人のドラマがあり、関係する人たちの集合地点として「みはらエバーラスティングライト」を迎えたような感じである。

 そして、集合すれば、ふたたび散ってゆく。再度、このような力が結集する時があるのだろうか・・・。また、このような機会が来る日が近いと思う・・・。



 そんなこととはまったく関係ないが、本日開催の「第6回浮城まつり」にて、マリンロードでパンを売っていた私は、急遽「甲冑行列」に参加することになった。
 突然に電話で呼び出された時には、多少「えっ?」と思ったのだが、なかなかできる経験ではないと思い直し、さっそく集合場所に行くとそこに置いてある甲冑に胸躍らせる。毛利家の紋と吉川家の紋と小早川家の紋のはいったさまざまな甲冑たちは、やはり胸高まるものがある。
 私は「毛利元就」の「旗持ち」に扮装することになったが、着替え始めた時から雨が降り始めた。すこし、いやな感じである。
 しかし、刀を腰にぶら下げるとすこしテンションアップ。仲間と子供に返ったようにチャンバラ。そして、刀を構えてみたりして、またテンションアップ。
 だが、かぶれると思っていた「兜」が、「ベトナムの農民」のような兜で、すこしテンションダウン。やはり、男なら「兜(紋はいらない・・・)」をかぶってみたいものである。
 そして旧城下を練り歩く雨中での行軍が始まった。雨は練り歩きの最中にピークを迎え、ずぶぬれになりながら「甲冑行列」が終わり、誰かがこんなことを言った。

「しかし、突然降り始めたなぁ。しかも、大雨。・・・おまえ、雨男なんじゃないか?」

 ・・・図星。(汗)

 でも、今日ぐらいの雨だったら、大したことはありません。
 私は台風を呼べる雨男なのですから(通算4回)。
 どちらかというと、雨男というより、暴風雨男です。(汗)
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2009年10月16日

 私の所属している(社)三原青年会議所まちづくり委員会が、とんでもない企画を進めています。

 なんと3万個の「手作りキャンドル」を集めて、三原小学校で灯そうとしているのです。
 なんて無謀なのでしょう。(笑)

 三原市の人口は約10万人です。ですから単純計算で三原市民の3人に一人が1個の手作りキャンドルを作るという計算もできます。33%の人がキャンドルを1個作るんです。
 しかも、それを三原小学校のグランドに敷き詰めて、10月31日に点灯!とは・・・。無謀です。(笑)

 しかし、私はこの心意気に感動します。

 そう。このような「ドン・キホーテ」的な活動や心意気が、三原には足りないのです。企画は多少無謀であるとも、それを行おうと行動している姿。そして、続々と集まっている手作りキャンドル。すさまじい力を感じます。

 やっさ祭りに踊り手として出場する人は約7000人。三原市の1割にも満たない数です。しかし、この「みはらエバーラスティングライト」では、どれだけの数の市民が参加するのでしょうか?すごい数になるのでは?

 ですから、その心意気に胸打たれ、オギロパンジャスコ店でも、「手作りキャンドル」の回収場所に名乗りを上げました。
 皆さんが作られた「手作りキャンドル」を当店にお持ちくだされば、確実に三原小学校で灯されます。

 ついでに、ジャスコさんも巻き込んでしまいました。
 ジャスコさんのサービスカウンターでも、「手作りキャンドル」の回収をお願いしています。

 是非、手作りキャンドルを作られた際、当店かジャスコさんのサービスカウンターにお持ち込みください。お待ちしております。

 また、開催当日も、キャンドルの持ち込みを受け付けておりますので、是非、参加されてみてはいかがでしょうか。

 現在、キャンドルの数は、まだギネス記録更新までたどり着いていないようですが、まだまだ追い上げがきく日数があります。


 ちなみに、私も、キャンドルを作成し始めています。少しでも、3万個のキャンドルに近づけ、ギネス記録を達成し、三原の自慢を一つでも増やす助力となれば、幸いです。

 この無謀な企画。成功するかどうかは、ここからの半月足らずの追い上げにかかってきています。マスコミも少しづつ、動き始めているようです。

中国新聞10月13日掲載「三原への愛着の灯ともそう」

 三原から世界記録が生まれれば、本当に素晴らしいことだと思いますし、素敵なことだと思います。キャンドルをご家庭で作るときに、夫婦間で、親子間で、会話が膨らむでしょう。それがギネス記録になれば、もっと思い出に残るでしょう。
 そういったことが、三原人の誇りを生むのだと思います。
 そして、これが毎年続けることができれば。毎年数が増えてゆけば。三原の秋の風物詩になるのではないでしょうか。素敵です。

 私は、この企画が失敗してもかまわないと思います。しかし、すでに集まっているキャンドルをみると、ギネス記録に達しなくても、それだけのキャンドルを集めて灯すだなんて、素晴らしい夜になるのではないでしょうか。

 あとは、天気だけが心配です・・・。

 詳しくは、下記サイトへ!

みはらエバーラスティング ライト公式サイト
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2009年06月27日

三原城跡の堀の横。隆景広場の隅に、その慰霊碑はある。

慰霊碑

原爆死没者慰霊碑である。
昭和20年8月6日に、広島に投下された原子爆弾は、一瞬にして広島の街を焼き尽くした。そして、救援に駆け付けた方は放射線による二次被曝を受け、今でも苦しんでいる方が多いと聞く。
もちろん、この三原にも、被爆者の方がいらっしゃる。

小学校のころから、近い存在から「被爆体験」を聞いてきた私としては、ある意味、万感の思いである。
どうして、広島に、そのような爆弾が落とされなければならなかったのか?
素朴な疑問を生じた。
まずは、「日本を早く負かせるためなんだよ」と教えられた。そうかもしれないと思った。
そして、まだ若かったころ、ネットなんてない、本しか情報源のなかったころ、私は一つの説を読んだ。それは、広島・長崎への原爆投下は「冷戦前の東側諸国へのけん制」であった、と。
どうやら、さまざま事情で、原爆は落されたようだ。
あちらさんからすれば、それによって利益が得られたわけだから、効果はあったのだろう。こちらからすれば、そうでなくても敗戦必至だったのに、泣きっ面に蜂である。

私は今は知っている。国際社会というものが、きれい事では済まない事を。
国際協調という言葉が、どれだけ軽いかということも。
日米同盟という言葉が、対等の同盟ではないことも。

非常に喜ばしいことに、広島・長崎の原爆投下の後、核兵器は使用されていない。
しかしながら、通常兵器による被害にあっている一般住民は多数に上る。
また、「カラシニコフ」と呼ばれる「世界で一番人を殺した兵器」をいうものがあることも知っている。

日本は、海に囲まれ、比較的同質性の高い人たちで構成されている国である。
海の周りには、島があり、その島には外国の勢力が進出してい場合もある。
しかし、それを日本に取り戻すためには、日本には「外交交渉」しか道はない。

まさか、憲法9条を拡大解釈、または改正して、武力による日本領土の奪取ともなると、国際的な批判よりも、国内的な混乱が起きるという、とても不思議な国である。

広島にある、原爆慰霊碑には「二度とあやまちはくりかえしません」と書いてある。
以前書いたことがあるが、この「あやまち」とはなにか。
「原爆投下」と考えるのが普通だろうか。
もしくは「戦争」を行なったこと、だろうか。

どちらにせよ、平和ボケした日本で、国防のことなど真剣に考えている人は少なく、そして、それに対しての行動を起こす人も少ない。
軍事マニアは多いが、「戦争」とは政治の一手段であることから、どちらかといえば、政治に詳しい人のほうが、コメント的には適切に思える。

ひとつ、予言をしておこう。

50年以内に、台湾は中国領となる。
もしかすると、朝鮮半島も、中国領となる?

日本はアメリカの核の傘が、いつまでもかかっていると思ってはいけない。
所詮、人の傘。嫌いになれば、はずされる傘である。

そして、日本人は、核は持たないだろう。
少なくとも、核兵器を持つような政府を、私は信じない。
心情的な面と、合理的な面から、私は許さない。

今年も、8月6日はやってくる。
もういちど、日露戦争が終わった後から敗戦までの政治の流れ、国民の考え、世界の流れを整理し、「先の不幸な戦争」と呼ばれるもの、過去のものにするべきである。

未来志向の外交(平和外交ではない)は、いつ、日本に生まれるのだろう?
それより、日本は、このさき、大丈夫なのだろうか。
そして、三原も、娘が大きくなるころには、どのような街になっているのだろう。

少なくとも、私が小学校1年生のころのみはらとは、今の三原はずいぶん変わってしまった。
もっと歳の人だと、もっと変わってしまったと言うだろう。

小早川隆景公なら、どんなことを言うだろう。
おもわず、空想してしまった。
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2009年03月14日

 あまりにも更新していないと、「店長さん、病気しちゃったん?」とか、「最近、忙しいん?」とか、直接声を頂く。ありがたいことに更新しなくても、来ていただける方がいらっしゃる。

 がんばって、更新しなければ!

 といういわけで、久しぶりに先日見つけたコネタをひとつ。


 先日、パルディ西町店に行ってきた。心の中ではもちろん「西町スーパー」と呼んでいる。そして、「西町スーパー」で十分「パルディ西町店」と認識していただけるのが、三原市民としては常識である。

 さて、通勤の通り道にあって便利なので、時々利用させていただいているパルディ西町店であるが、つい先日の出来事。
 普通に駐車場に車を入れ、ふと道路わきにある「パルディ西町店」の大きな立看板を眺めると、その基礎部分に目がいった。

 なにか、石柱がバラバラと置いてある?
 なんでだろう?不思議だ。
 雑然?整然?何かの規則に従って置いてある?
 だいたい、看板の下に、雑然と大きな石柱が並べておいてあるのは、おかしい。

 ・・・2〜3秒、不思議な感覚を覚えながら眺めた。

stone

 よくよく見てみると、「パルディ(実際には最後の小さい「ィ」は不確実である」と置いてあるような、ないような・・・。

 しかしまぁ、なにか釈然としない。
 パルディの「パ」の丸の色が違う。丸ではなく、点に見える。「バルディ」に見える・・・。どうしてここまでやったのに、いろを合わせななかったのだろう。不思議だ。
 事実、「ディ」の「デ」の点々は、きちんと色が合わせてあるのに・・・。

 ついでに、「ディ」の小さい「ィ」の縦棒がどっちらけの方向に放置されている。思わず、直そうかと思ってしまった。

 しかし、店舗の前ということで、人目につくうえに、一生懸命石を動かしている姿は、あまりにも不審である。

 ともかく、草は刈ってあるようなので、手入れはされている・・・のか?刈られているのか?夏に見たら草に埋まっている、なんてことはないのか?
 疑問は尽きない。

 
 と、毎日なにげなく見ている光景の中にある、何らかの主張というものには二つある。「見て見て!!」と主張するものと「まぁ、気がついたらええか」というものである。この「パルディのモニュメント」はどうにも前者とも後者とも判断しがたい。たぶん、後者であると思うのだが前者とも思える(専門家が行なわないと、石をこのように置くことは不可能である)。

 ちいさな発見かもしれないけれど、いろいろと考えさせられる発見だった。
 
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2008年12月11日

 最近、よく聞かれることとして、こんなものがあります。

「ねぇ。ジャスコって、撤退するんだって?」

 私は答えます。

「しません。」

 撤退する根拠が今のところありません。
 全国でジャスコは100店舗閉鎖されるという報道が10月10日にありました。たぶん、それが引き金になったのではないか、と感じてはいるのですが、「全国で」という点に注目したいと思います。
 三原のジャスコが、そんなにひどい店なのか、というと、全国的にはそんなにひどくない店なのです。とても平均的というか、バカ売れもしていないし、大損もしていない、三原の街をそのまま持ち込んだような、そんなお店です。三原の縮図とも言えるかもしれません。

 撤退する根拠を提示できるか、というと、できないのです。

 ためしに、グーグルで「ジャスコ 撤退」と検索してみると、老朽化した店舗(その場合、新たに別の場所にショッピングセンターを展開します)、もしくは、本当に景気の悪い場所にある店舗が、検索に引っ掛かります。
 三原は、この未曽有の不景気傾向のなか、全国平均的に景気が落ち込んでいる街です。これまた、平均的なのです。

 ないものを証明することは、不可能です。
 たとえば、「宇宙人の乗っているUFO」について、NASAは存在を否定できません。未確認の飛行物体というものは、実際に存在するからです。それは隕石だったりする場合もあります。
 ですが、それは「宇宙人の乗っている乗り物」の存在というわけではなく、単に「未確認の飛行物体」があるということだけです。

 また、有名な「悪魔の証明」という命題もあります。「悪魔」という存在を否定するためには、「悪魔がいないこと」を証明しなければならない。となると、元から存在しない「悪魔」がいないことが証明できない。つまり、悪魔は「存在するかもしれない」ということになります。

 と、いうわけで、巷のウワサとは、その程度の信憑性しかない、ということです。


 ・・・まれに、本当の情報がウワサとして流れる場合もありますが・・・。


 そういえば、駅前のペアシティ東館跡地に水がたまっているようで、問題になっているようですが、ライフコート社はポンプを設置して排水機能を稼働させてくれるのでしょうか。
 私にとっては、そちらのほうがよっぽどウワサより心配だったりします。


 先日、某所にて「ペアシティ東館跡地に水がたまっているんだったら、周りを防水加工して、ほんまもんの浮城を10分の1ぐらいのスケールで作って、観光資源にしよう!ぜったい、みんな見に来る!」と言ったら、笑われてしまいました。・・・結構、本気だったんですよ。
 呉の大和ミュージアムみたいに、三原に浮城ミュージアムを作って、「小早川隆景・浮城博物館」も併設し、日本庭園も造り、上田宗箇流(三原にゆかりのある流派)の茶会なんぞ開いたら、素晴らしいだろうなぁ、とあの場所を通るたびに想像します。
 きっと、日本中の「城マニア」が集まってくるだろうし、三原の人間として「浮城復活」はアイデンティティの創出にもなるだろうし、隣のペアシティ西館から俯瞰して見ると、かなり気持ちがいいだろうなぁ、と思うのですが・・・。

 うちの会社のお金で作れたならば、即作ります!
 もちろん、そんなお金はありませんが・・・。
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2008年08月30日

 たまには、更新しとかないと!
 コメントに返事できなくて、本当に申し訳ございません。
 忙しいのです。貧乏暇なしです。爪に火を燈して生活しております(言いすぎ)。


 さて。


 三原城は三万石の禄高だったと言われている。記憶に間違いなければ、広島浅野家の支城としてあった時代の話。

 そこで、ふと思った。
 3万石とは、米何トン分?

 調べてみた。

 1石=1000合。
 1合が約150グラム。
 つまり、1石が150キロ。
 ということで、その3万倍は450万トン。

 ちなみに、ユアーズで山口産ひとめぼれが10キロで2980円と言うお買得価格。それを元に3万石を計算すると、金額にして、1トン29万8000円。89億4000万円。

 浅野家家老に与えられた禄高として、どのぐらいのものかは、よくわからない。その3万石で家臣を養わなければならないし、城も維持しなければならない。実際に、城を経営してみないと、多いのだか少ないのだか・・・。

 ただし、江戸時代、三原に3つの過ぎたるもの・・・というものがあり、3万石の三原城がはいっているのだから、規模にしては結構な額だったのかもしれない。

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2008年05月15日

今日はなぜだか久井〜大和〜本郷と、旧3町を制覇することになってしまった。

そんな時間を過ごしたので、いくつかのブログのネタを拾ったのだが、まず最初書くのは、かねてからの宿題であった「白竜湖のよがんす白竜(道の駅)
(大きな地図で見る)の真正面にある「たこ焼き屋」である。年下の友人から「旨い」とうわさに聞いていた。関西出身の主人が焼く「たこ焼き」であるいう。とりあえず、行ってみた。

takoyakiyaぱっと見て、店舗はとにかくコンパクトである。「必要最小限」とはこのことなのだろう。食べるスペースは用意されているが、極めて簡素なテラスである。今日のようにうららかな天気の良い日でないと、幸せな気持ちは味わえないかもしれない。しかも、屋号はなんと言うのだろう?外観からはうかがい知れない。看板には「大阪たこやき」としか書いていないような・・・。たこの絵のところに「NEEDS」と書いてあるので、それが屋号なんだろうか?謎である。謎が満載である。

ともかく、6個入り300円のたこ焼きをいただく事にした。
15個なら、650円ということで、1個当たり13%ほどお安くなるようだ。ほかにも、「辛口ソース」「しょうゆ」「しお」など。あと、たこやきだけでなく、大阪風お好み焼きも売っていた。

熱々のたこ焼きを、そのテラスで頂いたのだが、これはなかなかに旨い。やはり、焼きたてのたこやきとは、旨いものである。尾道の「すぎや」さんと比較すると酷なので(すぎやさんは、こだわりの店である・・・)、平均的に考えると、見かけによらず実力派のたこ焼き屋さんだと思う。かりっとした表面にとろりとした生地。ころりと入ったタコ。オタフクソースとマヨネーズと鰹節のトリニティ。まったくもって、普通の「たこやき」である。(笑)

車で来ていなければ、ビールのお供にしたい。というより、ビールが飲みたくなった。だいたい、朝ごはん代わりに「たこやき」なんだから(食べたのは朝食抜きの11時である)、そんな時間からビールとは、結構なご身分でないと無理である。
とはいえ、私のの休日には、ビールはつきものではあるのだが・・・。

ちなみに、大和町には「オタフクソース」の工場がある。ついでに言うと、「オタフクソース」の創業者一家とは、なんだか遠い親戚になるらしい(だからどうした?)。


朝ごはんとして、たこ焼きをほふほふと頂いたあと、さて次の目的地へ・・・と車を走らせようとする矢先、目に飛び込んできたモノがあった。

tamagojihanki「産みたてたまご 直売所」?
どうみても、自動販売機である。近寄ってみると、やはり自動販売機である。
販売機の中には、確かに卵がネットに入って置いてあった。お値段300円。
「産みたて」とは、なんだか妙に食欲をそそるではないか。これで「卵かけご飯」なんてした日には・・・。旨いだろうなぁ・・・。なんて妄想するうちに、100円玉3つが自動販売機に投入されていた。・・・買っちゃったよー。
 光っているボタンを押すと、その扉のキーが外れ、中の卵たちを取り出すことが出来る。

 こうして、旨い「卵かけご飯」が食べたいがためだけに「産みたて」に引きずられてしまったのであった。

 ちなみに、その卵の自動販売機は、我が母の実家の近く(大和町蔵宗:くらむね)の深川養鶏場というところが展開しているときがついたのは、しばらく後のことだった。

 おそるべし、大和町。奥が深い。

 帰宅し、その卵で「卵かけご飯」を食べた。私の食べ方は、卵を小鉢に割り入れ、よくかき混ぜる(カラザは取り除く)。それに醤油を加えて、下準備終了。
 ご飯に、その卵液を満遍なくかけて、そのまま頂く。このとき、かきぜない。米粒に卵液が表面にへばりついているぐらいがちょうどよい。
 今回食べた「生みたて卵」での「卵かけご飯」は、卵の濃厚さを十二分に感じることの出来る、満足のゆく「卵かけご飯」だった。卵の風味もよい。味も濃厚。
 ふと、卵で「カスタードクリーム」を炊いて、クリームパンを作ったらうまいかも?と思ったのだが、いまはそんな余裕はないので、次の機会に取っておきたい。


 大和町シリーズは、あと1点あるので、続きはまた今度に。
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2008年05月07日

数年前、とある人からこんな事を聞いた。

「三原は、小早川隆景をもっと大切にせにゃいけん。隆景公は偉大な人だったんじゃ」

そのときは、「そりゃ、そうだわ。」と軽く思っていたのだが、調べてゆけばゆくほど、小早川隆景の偉大さがわかってきた。こりゃ、すごい人だ。そんな人が、三原の街の土台を作っただなんて、素晴らしいことだ、と。

そんなわけで、小早川隆景のことを少し書いてみようと思う。

三原の人間なら誰でも知っている「小早川隆景」であるが、三原城に居た期間はどのくらいだと思うだろう?

三原城が築城されたのは1567年と言われているが、隆景が新高山城(本郷町)から三原城に本拠を移したのは1582年である。

隆景はその5年後(1587年)、豊臣秀吉の九州征伐後に同行した後、九州の筑前・筑後・肥前の一部を与えられ、筑前名島城(ちなみに、九州の筑前名島城も三原城と同じく海城である)に本拠を置き、入封した。

朝鮮出兵にも参加し、武勇を馳せたらしい。

そして、1595年に家督を小早川秀秋(養子:秀吉の甥)に譲り、再び三原城にて隠居生活を送る。そんな隆景は1597年に亡くなる。

つまり、隆景は、1582年から1587年までと、1595年から1597年までの時期しか、三原城を本拠にしていなかったということである。思ったよりも短いものである。

足しても7年間。たった7年間である。
その間に、三原城築城を喜んで踊ったという「やっさ踊り」の話があり、神明さんにまつわる話もある。なんと三原にとって関係の濃い人物だったのだろうか。たった7年で現在の三原に伝わる2つの祭りに重要に関わっているとは。

ちなみに、三原が城下町として整備されたのは広島藩に福島氏が入封したころからという。その後、福島氏は広島城の無断改築のため、浅野氏が広島藩に入ることとなり、三原城はその広島藩の家老の城として3万石を与えられた。

三原の銘菓「三万石煎餅」は、そこに由来している。「名城焼き」は、三原城に由来している。

しかしまぁ、隆景という人は、なんとドラマティックな人生を送ったのだろう。
毛利家の三男として生まれ、竹原小早川家に養子となり、沼田小早川家を統合し、三原城を築城し、九州征伐し参加し約53万石の大名となり、秀秋に家督を譲り隠居し、三原城で没するとは。

「利家とまつ」という大河ドラマがあったが、我らが「小早川隆景公」だって、負けてはいない。側室をおかず、嫁さん一人を愛したそうだ(だから、秀秋・・・)。

ともかく、小早川隆景公については、もっと調べると面白そうなので、継続して掘り下げてみようと思う。

私のもうひとつの夢であった「歴史家になりたい」という夢は、郷土史によって叶えられるかもしれない。
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2008年05月01日

昨年、某団体の関係で一つの講習会を受けた。
タイトルは「ぼくは13歳 職業 兵士」。

特に興味がある話ではなかったので、あまり期待せずに講演を聞いていた。しかし、講演を聞くうちに、どんどん話しにのめり込んでいった。
本当にびっくりしたし、日本の平和の大切さを思う存分感じたし、アフリカのウガンダという国(といっても、根っこはウガンダ1国の問題ではなく、とても深いところに原因がある)の現状を深刻に受け止めた。

さて、なぜ急にそんなことを書くのかというと、その講師の講演会が再び三原で行われるからである。

三原市教育委員会の生涯学習課がリージョンプラザで毎年行っている「生涯学習 市民講座」の1コマに、その講演会が入っている。料金も、たったの1000円である。1000円以上の価値は十分にある内容の講演で、人によっては自分の人生すら考え直してしまう(別に、洗脳されてしまう・・・という感じではなくて、深刻に生き方というものを考え直す、という意味で)だろう。

詳しくは、「広報みはら」6ページに詳細が書いてあるので、そちらをご覧になるとして、私としてはお勧めの講演会であるのは、間違いない。

ちなみに、講師の方は鬼丸昌也さん。
正直に言うと、4コマある「生涯学習 市民講座」の中で、一番地味な講座(ほかの講師が有名人だったり、地元の人だったりするので・・・)なのだが、私にとっては、ほかの3コマに負けないし、もしかすると4コマ中1番「発見」の多い「市民講座」になると感じている。

家田荘子さんの講演会も、気になるけど・・・。

もしかすると、鬼丸さんと家田さんで、ワンセットなのかな?国外・国内ということで。

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2007年12月02日

 三原芸術文化センターのイルミネーションも良いが、そういえば、以前このブログで書いた「異常にサンタクロースのたくさんいるイルミネーションの家」が、ふと気になったので、行ってみた。

 昨今、原油高で、電気代も高くなっている。やはり今年は縮小傾向なんだろうか、なんて思っていたのだが・・・。

 その家に、車で近づいて行くと、例年との変化にすぐにがつく。去年より、輝かしい。ついに垣根に点滅式イルミネーションがついているではないか!拡大されている!!

あのいえ1あのいえ2

さすがである。
玄関先から縁側のイルミネーションも。
あのいえ3 本当に、気合が入っているなぁ。年々、設備投資も行い、規模が拡大している。この調子だと、あと5年もすれば、煌煌と光り輝く「クリスマス御殿」になってしまうことだろう。

 いろいろ考えることはあるのだが、ここまでされてしまうと、頭を垂れるしかない。その情熱が素晴らしい。

 ・・・しかし、電気代、12月分はいくらになるんだろう・・・。いや、こんなことを考えるなんて、無粋である。行動を起すことに意義があるのだ。

 さしあたり、帰宅時の楽しみがひとつ増えたことは、間違いない。
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2007年11月30日

 この秋に完成した、三原文化会館に換わる市民ホールである、三原芸術文化センター(通称:ポポロ)が、ライトアップされていた。ポポロライトアップ さすが60億円かけて建築された、新たな三原を代表するホールである。きっとライトアップにも、きちんとデザイナーが関わっているのだろう。洗練されている。
 画像には写っていないが、建物の正面左側には、イルミネーションのついた樹木が整然と並んでいて、見ごたえがある。

http://www.mihara-popolo.com/topics02.html

 このホールは、まだ入ったことがないのだが、評判は良いようである。
 約1200人の入るホールや、リハーサル室、楽屋など、必要なものはそろっている。音響もきちんと計算されており、オーケストラが演奏しても、よく響くらしい。
 
 せっかく良いハコができたのだから、ここを文化拠点とし、三原の芸術文化が発展すれば、素晴らしい事だと思う。

 私の趣味は、クラシック音楽の鑑賞および演奏なのだが、こういうホールが三原に欲しかった・・・と、言いたいところだが、反対に「これ、持て余すことにならへんやろか」と心配している。三原の音楽文化事情から考えて、かなりオーバースペックなものを作ってしまったのではないだろうか?

 具体的に考えてみると、座席の一部を取り外し、オーケストラピットを用意できるようになっている。これは、どう考えても「オペラ」や「ミュージカル」のための舞台装置であるが、商業ベースで成り立つかという点から考えると、不可能に近い。
 プロの歌劇団(一流ではなく、一応プロ、としておく)を招聘し、どこからも援助なく、チケット代だけで公演を成り立たせることを前提に計算してみると、チケット代が1万円を超える。
 もし、海外の歌劇場の引越し公演をするのであれば、今度は、舞台の大きさが若干足りない。いや、舞台の広さではなく、舞台の横に必要なスペースが小さい。つまり、グランドオペラなどの引越し公演はできない。
 仮にオペレッタや一幕物の軽いものであれば、可能であるが、そういったものを、三原市民が望んでいるのだろうか?

 となると、オペラで商業ベースでの利用は、厳しくなってくる。オケピットがあるのに?

 では、オーケストラでは?
 舞台の広さは十分あるし、音響もよい。ここでも1200人と言う中途半端な客席が、チケットの価格を上げる。
 多少高いチケットでも、いろんな演奏家が来るたびに満席になるほど、三原のクラシック愛好家がいるか?
 たしかに、三原に来てくれれば、その分広島や福山や、ましてや東京や大阪などに出向かなくて良いわけなので、多少チケットは高くても良いと思えるクラシック愛好家が、どれだけいるのだろうか?

 と、ここまで厳しいことを書いてみたが、言いたいことは1行で済んでしまう。

「ハコを建てたら、それで終わりと思うのは、大間違い」

 つまり、ハコを建てるならば、長期的な戦略を持ち、そのハコを有効活用する戦術を取り、いかに三原の文化水準を上げることができるか、ということを前提にして、ハコを用意しなければならない、ということである。
 だから、そういう戦略を持たず、ただ建てただけでは、たんなる立派なハコで、中身は空っぽの状態になる。天満屋の紙袋の中にうまい棒が1本、という状態である。それでは、アンバランスなのである。

 せっかく60億もかけて、文化会館を建て直し(たしかに、文化会館は音楽をするには大変状態の悪いホールであったのは、間違いないが・・・)、新たなホールを作ったのだから、その中身をどうするか、もっと市民レベルで考えてみればよいのではないだろうか、と思ったりする。

 文化とは、与えられるものではなく、生み出されるものなのである。
 私は、この三原の力、新たなる「文化」が生み出されることを、祈るばかりである。

 ・・・じゃ、おまえが何かしろよ、って言う話になりそうな・・・。
 
 まぁ、10年後ぐらいには、何かしてるかもなぁ・・・。
Comments(3) | TrackBack(0) │   (18:36)

2007年11月16日

 今朝、仕事中に1本の電話がかかってきた。
 
「あの、ブログみているんですけど、やまもと珈琲店さんって、最近営業されていないですよね。どうなってるんですか?」

 というお話だった。

 実は私も気になっていた。しかも、しばらく豆を買っていない。忙しくどたばたしていたので、のんびり美味しいコーヒーを飲む余裕さえなかった。
 臥龍橋のたもとのお店の看板が外されていたことまでは、知っていたから・・・。
 もしや、まさか?不安がよぎった。

 というわけで、店主さんに電話してみた。
 すんなり繋がり、いつもながらの平然とした口調で、

「いまは、自宅でのんびり焙煎して、販売しているんですよ〜」

 というお答え。
 いいですよ。そのほうが。確かに。

 いま、このブログ見てますか?朝電話をかけてこられたIさん!
 やまもと珈琲店さんは、ちゃんと別の場所で(しかも、三原で!)営業されていますよ!

 ちなみに、電話番号は変わってらっしゃらないので、電話にて注文されると配達していただけるそうです。個人店ですから、繋がらない場合もあるかもしれませんが、留守電に入れとけば、たぶん折り返し電話がかかってくると思います(経験上、そうなる、という予想ですけど)。


「やまもと珈琲店」 電話番号 (0848)81-0345


 ちなみに。

 店主さんと交渉して、オギロパンジャスコ店で(もしかすると、本店でも?)、「やまもと珈琲店」さんのコーヒー豆を販売する方向で検討しております。
 私は、「やまもと珈琲店」さんのような、真面目なお店がきちんと三原に存続して欲しい。ただ、それだけのために、商売抜きでもコーヒー豆を売ります。売れなかったら、自腹で買います。そのぐらい、惚れてます。
 ・・・じゃ、忙しくても、買って飲めよ、と、突っ込まれそうですけど・・・。

 具体的に決定いたしましたら、また、ブログにアップしようと思いますので、乞うご期待です。


Comments(3) | TrackBack(0) │   (18:11)

2007年10月10日

(ここからは、過去の自分の日記(お気軽日記)からの転載です)

三原に「かわらい」といううどん屋さんがある。手打ちで、コシのある、旨いうどんを食べさせるお店だ。

さて、話は約20年前に遡る。そのお店は、通学路の途中にあった(現在は、別の場所に移転している)。その看板には、「ごっつ笑顔のおっさん|のイラストと、「かわらい」という屋号が書いてあった。

私は、その「ごっつ笑顔のおっさん|と「屋号」を見て、「ああ、カッっと笑ってるんだ。カッ笑い、なんだ。そうなんだ。」と、ひとり合点していた。

ところが、つい最近のある日、こんなことがあった。

テレビを見ていると、「とろろ蕎麦」を食べている光景がブラウン管に写っていた。それを見た私は、ちょっと前に「とろろうどん」をどこかで食べた事を、ふと思い出してた。でも、「食べたお店」がどこだか思い出せない。たしか、妻も一緒に食べていたように記憶していたので、妻に店名を聞いてみた。

私「そういえば、とろろうどん、どっかで食ったよなぁ。」
妻「うーん。あ、かわらいさんで、食べたよ。」
私「あ、そうそう。そうだった。カッ笑いさんで食べたよな。」
妻「そうそう。かわらいさん。かわらいさんがやってるんだよね。」
私「うん。カッ笑いさん(あたりまえやん、と、ちょっと不思議に思う。)」
妻「?」
私「前からおもっとったんやけど、カッ笑い、って、面白い名前やなぁ」
妻「どうして?」
私「だって、カッ、笑い、やん。」
妻「そういえば、いつも、かわらいさんの名前を言う時、か と わらい の間を開けるよね。」
私「だって、カッ 笑い やもん。」
妻「あれって、瓦井さんがやってるんだよね」
私「へっ?」
妻「だから、瓦井さん。かわらいさん。」
私「・・・(しばし、沈黙。何がなんだか解らないけど、なんかピンと来る)」
私「もしかして、瓦井さん?」
妻「そう。瓦井さん。食べてる時、いってたでしょ?」
私「覚えてへん・・・。じゃ、カッ笑いさんじゃないんやなぁ。」
妻「だって、瓦井さんでしょ。」

恐ろしいものである。
私は、自分の勘違いに、至極反省することとなった。20年間、私はずっと「カッ笑い」と思い込んで、それが正しいと勝手に信じていたのだから。

あまりの衝撃に、その日一日、ずっと「かわらい、さん、ね。かわらいさん。かわらいさん」と、口の中でつぶやいた。そして、あまりのアホらしさに、情けなくなったのであった。

(転載終わり)


 の、「かわらい」さんで、お昼を頂いた。
 なんとおにぎり1個無料券を妻が持っていたので、おにぎり1個は無料なのである(あたりまえ)。
 私は、日替わり定食を頂いた。今日は「キス天丼とかけうどん」だった。プラス無料のおにぎり1個である。

 妻はカレーうどん。そして、無料のおにぎり1個(無料券が2枚あったのだ)。
 ここのカレーうどんは、ナッシュカレーを使い、フランスパン(たかちゃんパンのもの・・・ふむぅ)が数枚ついてくる。辛さは5段階、1がやさしい辛さで5が最上級らしいが、さしあたり5を頼んだお客さんは見たことがない。ひぃひぃ言いながら、食べていただきたいものである。

 さて、我がオーダー。きす天丼。キス天2匹とかぼちゃ天が乗っていた。かけつゆは適度、適切。美味しくいただいた。ほろほろとするキス天って、なんだか良いなぁ。
 かけうどんは、うどんの真髄を見たような気がした。つゆを一口すする。「・・・薄い?」と、一瞬思ったのだが、最後にちょうど良い塩加減だったことに気がつく。うどんはもちろん旨い。

 3人前で500円で生うどんを販売していたが、つゆが上手に作れないと、もったいないことになるんだろうなぁ、なんて思った。ただし、鍋に入れるうどんとしては、最上級のものであるので、これからのシーズンは是非この生うどんで鍋を〆てみたいものである。

 入って左の壁にかかっている「昭和60年、ご主人修行時代の写真」にご注目。
 いけてる・・・。
 
Comments(4) | TrackBack(0) │   (22:55)

自己紹介
四代目(よんだいめ)
老舗パン屋の四代目として、三原に生まれ育ち、跡を継ぐ。 2010年に代表取締役社長就任。
社長になっても、なんだかんだいいながらイオン三原店の店長も兼務。
三原がふるさと。大阪がボケと突っ込みのふるさと。フランスが心のふるさと。
日本と広島と故郷の三原と我が妻と娘をこよなく愛する40歳。

========

オギロパン イオン三原店
郵便番号 723-0014
広島県三原市城町2-13-1
TEL&FAX 0848-62-8800
営業時間 午前9時〜午後8時
定休日 年中無休(お店は)
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