"Tacet"

2006年09月09日

 昨日の朝、BS2の「クラシック倶楽部」で、今年の夏の「N響ほっとコンサート」が放送された。

 最初に番組表を見たときは、何かの見間違いかなぁ、と、思っていたのだが、念のため録画しておいてみたら、びっくり。

 特筆すべき点は、演奏会の第1部において、N響のメンバーで吹奏楽編成を組んで、吹奏楽を行ったこと。
 私には「まさか」という感想しか持ち得ない。
 そして、その編成で「アルメニアンダンス」を演奏したのであった・・・。

 その演奏は、吹奏楽らしいさわやかな演奏で、かつ内容の濃いものだった。当然ながら演奏レベルは高い。そしてなにより、音楽を楽しんでいる感じが強い。
 もしかすると、今まで聞いたアルメニアンダンスの中で、一番洗練されているもののひとつかもしれない。
 第1部の最初と最後のスーザのマーチも、素晴らしかった。

 あとは・・・。
 N響の普通の編成で、普通のクラシックの曲たちだったので、普通に聴いた。

 いやぁ。ほんとうに「まさか」の演奏だった。
 この番組に気がついてよかった!
 得した気分だった。
 

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2006年08月08日

op.4

 フランスの作曲家、エリック・サティ(1866-1925)。

 彼の作品は、「ジムノペディ」、「グノシエンヌ」、「おまえが欲しい」、「ピカデリー」等、題名は知らなくても、曲を聴くと「ああ、これね。知ってる!」と、思わぬ所で案外知られている。

 サティの作品にはユニークなものが多くある。

 演奏にまるまる一日もかかるもの(ヴィクサシオン)や、演奏すると普通の曲なのに小節数が1小節のもの(タンゴ)。奇妙なタイトルのついたもの(ひからびた胎児、官僚的なソネチネetc.)

 そして、特筆すべき作品は「家具の音楽」である。
 それは「誰かに聴かれるための音楽」ではなく、何も主張しない、何も押し付けない、空気と同じような感触の音楽を目指してつくられた。

 サティは、とある演奏会の時、その「空気と同じような音楽」を休憩中に演奏することを試みた。

 休憩が始まり、観客は思い思いに席から離れはじめた時、その音楽の演奏が始まった。
 もちろん、観客は演奏が始まったのだから、席について聴こうとした。

 だが、そのとき、サティは観客に大声でこう叫んだ。

 「さぁ、おしゃべりを続けて!歩き回っていいんだ!音楽を聴いてはいけない!」

 現在ではあたりまえとなった、BGMの概念を先取りしすぎたサティ。

 そして、彼の目指した「空気と同じような音楽」は、今では日本の街に溢れかえっている。何も主張しない、何も押し付けない、空気と同じような感触の音楽・・・。
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2006年08月05日

 某アマチュア音楽団体の広報に、クラシック音楽にまつわるコラムを書いていました。
 とりあえず、ページを埋めるために・・・駄文を書き連ねた感じです。
 現在は、しばらく音楽団体に参加していなかったので、書いていません。

 タイトルは"Tacet"。「タチェット」と発音します。厳密ではないですけど。
 意味は、「静かにしなさい」という感じの意味のイタリア語で、私のやっている楽器のパート符に、「音楽用語」として時々登場するのです。それが現れると、私のパートはお休みで、音を出すところはありません。

「あんた今、静かにしといてくれへんか」と言われても、いろいろ思う事や考える事はあるわけです。そういった逆説的な意味で、タイトルに使用することにしました。
 楽譜に"Tacet"と書いてあるときは、実際に物思いにふけることが多いのです。はらへった、とか。たいくつだ、とか。冷房きいてない、とか。練習に入る前に食べたもののこと、とか。(笑)

 結局、20本ぐらい書いたのかなぁ。
 我ながら、よく続いたものです。

 そんなわけで、せっかくのテキストの財産がもったいないので、こちらに転載しようと思っています。
 
 そして、ちょっと前に書いた「じゃじゃじゃじゃーん」は、広報に掲載していない、"Tacet"みたいなものかもしれません。
 もしかすると、続きを書くかもしれません。

 仕事とはあまり関係はないし、三原ともあまり関係はないのですが、音楽もパンも、あまり私にとっては思考回路に区別はないので、問題はないでしょう。著作権も、私にあるはずです。(笑)

 迷惑な人は、手を上げて下さいね。

 

 え?
 ほんとに手を上げた?

 見えませんから・・・。
 ・・・見えなかった事にさせて下さい。

 というわけで、適時ブログにアップしていきます。
Comments(0) | TrackBack(0) │   (19:08)

2006年06月17日

 最近、とあるきっかけがあって、ベートーヴェンの交響曲第5番を聴きなおしている。いわゆる「じゃじゃじゃじゃーん」。通称「運命」。
 この曲は、超有名曲で、誰もが冒頭部分を知っている。

 ただし、冒頭しか知らない人も多い。かなりもったいない話である。この曲は4楽章(4つの部分)から出来ていて、曲が最後に行くにしたがって、計算された開放感を得られる仕組みになっているので、最初だけ聴くと、憂鬱な部分(ある意味不快な部分)で終わってしまうことになる。これでは、たとえば推理小説で、殺人事件が起こったところで、本を閉じてしまうことと、同じことである。

 そんなことなら、最後の部分だけ聴いたら解決部分だけ楽しめるではないか、ということになってしまうが、それは、落語のオチの部分だけ聞いて笑え、と、言われているのと同じこと。オチだけじゃ、笑えません。

 この曲は、それほどまでに1つの曲として計算されている。まるで、フランス料理のフルコースのような感じである。満腹になれる。

 さて、最初に通して聞いてから、かれこれ20年近くなるのだが、最近になってから、初めてわかったことがある。
 上記にある「計算された開放感」について、稲妻が体を通り抜ける感覚で、理解できた。

 これまでずっと引っかかっていたことが、第4楽章に出てくるホルンのメロディー。1度目の時には、すこしメロディが引っかかってる。それが再現部に登場する2度目にはすんなり歌われる。これが、とても不思議だった。どうして同じではないのだろうか、と。

 でも、最近になって、もう1度よくよく聴き込んでみると、なるほどなるほど。

 第1楽章の冒頭からの「不安感」が完全に払拭されるのが、第4楽章の再現部のホルンだったんだなぁ。そこで、閉塞感が、完全に開放される。
 逆に言うと、第4楽章の1回目のホルンのメロディーは、引っかかっていなければ、意味が無い。引っかかっていること自体に、意味が込められている。

 ちなみに、冒頭の完全なる不安定要素は、「じゃじゃじゃじゃーん」の出だしに、休符があること。つまり、「(休符)じゃじゃじゃじゃーん」ということで、とても演奏しにくい。演奏者を不安と緊張のどん底に陥れる、ベートーヴェンの仕掛けた罠ではないだろうか。
 演奏者が不安と緊張を感じながら演奏する曲が、不安と緊張を感じさせないわけがない。

 昔の有名な指揮者のフルトヴェングラーという人は、オーケストラの演奏者が「じゃじゃじゃじゃーん」の冒頭部分への入り方の合図がまったくわからないような指揮をしていたと聞いているが、それが解釈としてはベートーヴェンの真意をつく、至極まっとうものなのかもしれない・・・なんて思ったりして。

 あ、そうそう。
 ベートーヴェンの9曲の交響曲のうち、いまだに交響曲第6番「田園」の良さは、まったくわからない。友人にこの曲をとても愛する人がいるが、いつか話をする機会があったら、「田園」の魅力を教えてもらおうと思う。

 そういえば、13日に指揮者の岩城宏之氏が亡くなられた。昨年と一昨年の大晦日の「振るマラソン」という企画において、一晩でベートーヴェンの交響曲9曲すべてを連続演奏するという偉業を残された。
 岩城氏の死を悼みながら、岩城氏のエッセイをしばし読み返す日々が続く・・・。
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自己紹介
四代目(よんだいめ)
老舗パン屋の四代目として、三原に生まれ育ち、跡を継ぐ。 2010年に代表取締役社長就任。
社長になっても、なんだかんだいいながらイオン三原店の店長も兼務。
三原がふるさと。大阪がボケと突っ込みのふるさと。フランスが心のふるさと。
日本と広島と故郷の三原と我が妻と娘をこよなく愛する40歳。

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オギロパン イオン三原店
郵便番号 723-0014
広島県三原市城町2-13-1
TEL&FAX 0848-62-8800
営業時間 午前9時〜午後8時
定休日 年中無休(お店は)
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